どうもどうも、けいです。

 

ここ半年、なんとなくブログを書く気になれず、

ずっとこちらを放置しておりました。

 

それでいてYouTube動画の最後では、

「アメブロのフォローよろしくお願いします」と言うもんですから

自分でも「こいついい加減そのアメブロとやらを更新したらどうだ」

とは思っていました。

 

さて、半年放り投げて久々のブログ執筆ですので、

感覚を忘れて変な文章が書かれているかもしれません。

そこんとこは何卒よろしくお願いします。

 

閑話休題。

 

今回のテーマは新潟115系です。

今年3月で惜しまれつつ引退してしまった新潟地区の115系ですが、

引退を見送った方の中には「あれっ?」と思われた人もいるでしょう。

 

新潟地区、新潟車両センターに最後まで残った115系は7編成です。

その一覧をざっと並べますと、

N33編成…旧弥彦色

N34編成…3次新潟色

N35編成…2次新潟色

N36編成…新弥彦色

N37編成…1次新潟色

N38編成…湘南色

N40編成…懐かしの新潟色

となっています。

 

そうです。

N39編成がいないのです。

 

33から順番に来て、38の次は39になりそうな気もしますが、

引退時には新潟車両センターにN39編成の姿がありませんでした。

 

これは一体どういうことなのでしょうか?

 

ここからはなぜN39編成がいないのか、

新潟車両センターの過去に遡って時系列順に見つつ

その理由を探していきましょう。

 

 

新潟車両センター 2010年時点

2010年の新潟車両センター。

まだまだ115系が現役の頃でした。

 

新潟の115系は大別して5つの編成に分けられます。

S編成…2連

N編成…3連

L編成…4連

Y編成…2連、ワンマン対応編成(弥彦線用)
C編成…訓練車

 

このうち、N編成が結局最後まで残った115系となったわけですが、

当時はN1~32までの32編成しかいませんでした。

本題のN39編成はともかく、

新潟の最後を彩ったN33編成以降もいなかったのです。

 

この体制に動きがあったのが2013年になります。

 

 

新潟車両センター 2013年時点

この年、長野から3連1編成が転属してきたのです。

なぜ突然、決して先の長くない115系が転入してきたのでしょうか?

 

その理由はE127系にあります。

ことの発端は2008年9月になるのですが、

越後線内の踏切事故でE127系V3編成が被災しました。

この編成は2014年に廃車になっています。

 

一方、E127系は10編成が2015年に

えちごトキめき鉄道に譲渡されることが決定しています。

このため、譲渡に伴う整備が必要でした。

 

整備中は当然運用を離脱します。

そのため、稼働できる車両が1編成減るわけですが、

V3編成が動けなくなって以降やりくりはカツカツでした。

 

そこで運用離脱中のE127系に代わって普通列車運用に就かせるため、

長野から3連1編成が転属してきたというわけです。

 

長野時代でのN27編成が新潟へ入り、

この編成は新潟でN33編成と改番されました。

最終的に旧弥彦色となったあの編成です。

 

これで、新潟車両センターの115系N編成は

N1~33の計33編成となりました。

 

 

新潟車両センター 2014年時点

N33編成転入後も、長野から続々と115系が入ってきます。

この頃になると115系も置き換えが始まる時期。

中には車齢がすでに50年を超えているような車両もおり、

決して状態がいいとは言えない車両も交ざっていました。

 

こうした車両を置き換えるため、つなぎの意味も込めて

長野からの転入が相次いだわけです。

 

N3、6、11、14、25編成が順次転入。

編成番号は改められ、順にN34~38編成となりました。

 

この編成は、0番台を組み込んでおり車齢を相当数えている

一部の編成を置き換え。

2連のS編成ではS13、14、15編成、

4連のL編成ではL1、3、14編成が、

2015年3月の改正を待たずに運用を離脱しました

(なお、L14編成は0番台を組み込んでいません)。

 

6本のうち5本は廃車されたのですが、違ったのはL14編成。

この編成は「クモハ - モハ - サハ - クハ」の構成だったのですが、

ここからサハのみを抜いて3連化されることになりました(サハは廃車)。

編成番号もN編成へ編入したうえで変更。

 

そう、この編成こそが、N39編成だったのです。

 

 

新潟車両センター 2015年時点

他の編成に若干の廃車が発生する中、3連N編成はむしろその勢力を拡大。

N1~39編成が残ったまま、2015年3月のダイヤ改正を迎えました。

 

2015年度はあまり置き換えが進行せず、

一部の編成が廃車になるにとどまりました。

N編成でも廃車となったのは、N19編成の1編成のみ。

しかもその後12月になって、長野から追加で1編成が到着します。

 

N9編成改め、N40編成でした。

ここに新潟の115系N編成がすべて揃うことになります。

 

本題であるN39編成は、2015年の改正では生き延びました。

運用も他のN編成と分け隔てなく組まれており、新潟県の広い範囲に姿を見せます。

4月には検査のために大宮へ回送される様子も目撃されていました

(何気に、新潟115系の検査が長野から大宮に移って以降

初めてとなる検査入場だといいます)。

 

新潟車両センター 2016年時点

しかし、これが一変したのが2016年。

このダイヤ改正で一気にE129系が投入され、多くの115系が廃車になりました。

 

N39編成はそれでも運用を守りましたが、12月10日。

この日の運用変更でついに運用を離脱することになりました。

程なくして廃車手続きがとられ、

とうとう新潟車両センター敷地内で解体されてしまったのです。

 

N33編成から数えて綺麗に40まで揃っていたN編成ですが、

N39編成の廃車により、39番に空きができることになってしまいました。

N40編成がN39編成に繰り上がるなどといったこともなかったため、

最後まで39番は空白となったのです。

 

これが、2022年の新潟115系の並びから

N39編成だけが抜けていた理由なのです。

 

 

なぜN39編成は早期に廃車されたのか

では、なぜN33~38、40編成は22年まで生き残ったにもかかわらず、

N39編成だけ早くに運用を離脱してしまったのでしょうか。

 

いくつか推測はあるかと思いますが、

私は全社リニューアル工事を受けていなかったこと

一番の理由なのではないかと思います。

 

1998年度から2002年度にかけて、JR東日本に所属する115系には

リニューアル工事が実施されました。

新潟支社の115系も18編成がこの対象となります。

 

このリニューアル工事を受けた編成は3次新潟色となり、

受けなかった編成は2次新潟色であったのが大きな特徴です

(塗装に関しては一部例外があります)。

 

そしてこのリニューアル工事を受けたか否かという記録と、

各編成の廃車日を照らし合わせてみると、

リニューアル工事を受けた編成より、未施工の編成の方が

早期に廃車されていた傾向があったのです。

 

N39編成はリニューアル工事が未施工の編成でした。

よって、リニューアル工事を受けた編成より車体の状態が悪く、

早期廃車対象になってしまったものと推測されます。

 

(なお、長野から転属してきたN33、40の両編成もリニューアル工事未施工ですが、

なぜこの編成が最後まで生き延びたのかは不明です…

この辺はJRの担当者のみ知る理由でしょう)

 

また、結果論ではありますが、N39編成にはATS-Pの設備がなかったため、

どれだけ生き延びても2018年には結局廃車になっていただろうと思われます。

 

2018年4月、新潟駅の高架部分が一部供用開始されました。

これに伴い、新潟駅構内でATS-Pの使用が開始されたため、

ATS-Pの設備がなかった新潟生え抜きの115系がすべて廃車になっています。

 

長野から転属してきたN33~38、40編成と異なり、

N39編成は元L14編成、つまり新潟生え抜き編成です。

ATS-Pの設備はどちらの先頭車にも搭載されておらず、

2018年の新潟駅高架化に対応することはできなかったでしょう。

 

こういったこともあったため、

結局39番が空白となって最後の時を迎えただろうと思われます。

 

(これも例外はあり、例えばL10編成のクハ115-1033などは

ATS-Pが設置されています。

こういった編成は比較的最近まで首都圏で運用されて新潟に転属してきたため、

首都圏運用のためにATS-Pを搭載したのです。

果たしてこういった編成を「新潟生え抜き」と呼んでいいのかは些か疑問ですが)

 

 

というわけで、今回は2022年の新潟に、

なぜ115系N39編成だけがいないのかということについて

取り上げてみました。

 

115系の引退、その後に行われた何度かの撮影会。

果たしてその中の何人の同志が「N39編成は?」と思ったのかは分かりませんが、

裏にはこういう歴史がありました。

 

115系最後の7編成について思い出すとき、

少しの間でいいのでN39編成にも思いを馳せてあげてくださいね。

 

 

 

最後に、N39編成とは全く関係ありませんが、

私が経営分離直前の直江津駅で撮影した115系の写真を載せておきます。

決して綺麗な写真ではないですが、そこだけご了承ください。

 

▲直江津駅3番線へ入線する、115系N25編成。当駅始発の長岡行きになる。

彼もこの約1年後には帰らぬ車両となった。(2015年3月8日撮影)

 

▲N25編成はこの日、特急「はくたか」15号と並んだ。(2015年3月8日撮影)

 

▲こちらは長野所属の115系N32編成。

撮影からわずか1ヶ月足らずで帰らぬ車両となった。(2015年3月8日撮影)

 

▲もしかしたらこれがN32編成の直江津乗り入れ最後の日だったのかもしれない。

左は金沢所属の413系。(2015年3月8日撮影)

 

▲車両基地の奥には、6日後の出番を座して待つニューフェイスがいた。

(2015年3月8日撮影)

 

 

新潟の115系についてもっと詳しく知りたい方は、

私が過去に出しているこちらの動画をご覧ください。

 

 

お後がよろしいようで。