お待ちかねのものみの塔2024年8月号、ちょっと前にやっとアップされましたね。
もちろんチェック済みです。
英語版のリークからずっと情報を入れてはいたのですが、日々の生活に追われて、落ち着いてブログの記事にする時間と体力がありませんでした。
詳細については他の方も記事にされているので、ここでは割愛したいと思います。
あれだけ期待してた割に、春のブロキャス以上の情報はほとんどなかったです。
追加点は「排斥disfellowship」という言葉を「除かれたremove」に変わるとか、早ければ数ヶ月で復帰が可能っぽいことくらいですかね。
「除かれた」という表現も癪に障りますが、その辺は別にどうでもいいんです。
どうせ排斥が人権侵害だって非難されたから、「聖書に基づいた宗教的慣行です」とか言い逃れするために聖書に出てくる言葉を使っただけでしょう。
ただ、復帰の期間についてはやっぱり「人生返せ」って思います。
「組織」の本の「復帰」という項目にはこう書いてありました。
長老たちは,その人が本当に悔い改めたことを証明するまで,慎重に十分の期間を置きます。状況によって,何カ月も,あるいは1年以上様子を見るでしょう。<エホバの望まれることを行う組織153ページ>
復帰までには年単位で時間がかかることを暗示しています。
実際に復帰経験者から話を聞いたら、排斥直後から集会に行き始めても2年とか5年とかかかったそうです。
その間、無視され続ける苦痛・苦悩はいかばかりでしょう。
私は耐えられませんでした。
今回の変更について「罪を犯したコリントの兄弟が会衆に復帰したのはいつか」という囲み記事にこう書いてあります。
罪を犯した人が会衆から除かれた後,短期間のうちに,おそらく数カ月後に,パウロはその人を会衆に復帰させるように伝えたと考えることができます。<ものみの塔(研究用)2024年8月号16ページ>
「組織」の本ほどはっきりとは書かれていませんが、今後は数ヶ月で復帰できるケースもたくさん出てくるでしょう。
それから排斥者に対する扱いも集会に来た時は挨拶と少しくらいは会話して良くなりました。
これはブロキャスでも言われていましたね。
索引の「排斥」という項目を見たら、排斥者との交流についてどれだけたくさんの事細かな指示を与えていたかがわかります。
これぜーんぶ排斥者をどう扱うかについての資料です。
それもたったこれっぽっちで変更です。
ヨハネとパウロは同じ罪について書いていましたか
(中略)
パウロはコリント第一 5章11節で,会衆から除かれた人とは「交友するのをやめなさい」と言っていました。ではヨハネの「あいさつの言葉を掛けてもなりません」という言葉は,同じ状況に当てはまるのでしょうか。ヨハネとパウロは同じ罪について書いていましたか。いいえ,そうではありません。
(中略)
パウロは会衆の人たちに,その人と交友するのをやめ,一緒に食事をすることもしないようにと書きましたが,簡単なあいさつをしてはいけないと言っていたわけではありません。<ものみの塔(研究用)2024年8月号29ページ>
この指示は,会衆から除かれた人を完全に無視するように,という意味でしょうか。いいえ,そういうわけではありません。もちろん,その人と交友を持つことはしません。(中略)では,その人が集会に来た場合はどうしますか。以前はあいさつをすることはありませんでした。でもこの点に関しても,私たち一人一人は聖書によって整えられた良心に基づいて判断する必要があります。中には,集会であいさつしたり歓迎したりする方が心が痛まないと思う人もいるかもしれません。<ものみの塔(研究用)2024年8月号30ページ>
上にリンクを貼った自分の記事でも書きましたが、まずは謝れと。
話はそれからや。
あと、この「心が痛まないと思う」という書き方!
英語版はcomfortable(快適な、心地よい)が使われています。
これは、これまで透明人間のように無視されてきた排斥者の心情を慮ってのことではありません。
自分たちの心が痛まないためにということです。
結局自分のことしか考えていないんですよ、あの人たちは。
てか私が排斥されたときは、長老から「最初の歌と祈りの後に王国会館に入り、最後の歌の時に退場しろ」ってはっきり指示されてました。
そうすると、ブロキャスみたいに「こんにちは。会えて嬉しいよ(棒読み)」っていう挨拶なんかされることないんですが。
だから私はわざと5分くらい遅れて到着するように調整してました。
早く着きすぎた時は王国会館の駐車場で待つのは気まずいので、近くの公園で時間をつぶしていたものです。
一説によると「排斥者の賛美と祈りを神様は喜ばないから」って聞いたことがありますが、そんなこと聖書のどこにも書かれていません。
それがもし本当にそういう理由なら、悔い改めの表明として集会に出席しているのに、そういう「くすぶる亜麻の灯心」に唾を吐きかけて消すようなことこそ神様は喜ばれませんよ。
長くなったので次回へ続く。