決めました。
集会に行くことにしました。
しんきちよ血迷ったかと思われるかもしれません。
大丈夫です。
復帰なんてしません。
変わり果てたエホバの証人の様子を一度見てみたかったんです。
み使いが天使になり、注解がコメントになり、賛美の歌や聖書さえも変わってしまいました。
今回の規制緩和が近々ものみの塔の研究記事になるはずです。
集会で扱われる時、その場に排斥者いたらおもしろくないですか?
どんな言われ方するのか、とても興味があります。
ツッコミどころもいっぱいありそうです。
あぁこの人たちはこんな考えなんだというのがわかると思います。
フンって鼻で笑いたくなるのか、チッって舌打ちしたくなるのか。
さすがに注解、じゃなくてコメントは控えておこうと思います。
しかも今住んでるところの会衆でも、排斥された会衆でもなく、母のいる会衆にです。
これは妹には連絡したのに、私にはしなかった仕返し的な当てつけでもあります。
きっと動揺するでしょう。
イジワルですね。
本当は来月、祖母に会いに行ったついでに行くつもりだったのですが、集会の日に仕事の休みがありませんでした。
ネットで最新号を見てみると、Xデーたぶん9月以降になると思います。
時間はたっぷりあるので今いろいろ作戦立てています。
まず、母や弟には知らせません。
集会にはちょっと遅れて行きます。
「こんにちは。会えて嬉しいよ(棒読み)」って言われないためです。
終わった後もアーメンダッシュです。
いろいろ話しかけられるのがめんどくさいです。
本当は話してみたいのですが、質問をうまくかわしたり、適当にいなしたりする自信がないです。
全く関係ない会衆だったら旅行中だとかなんとか適当な設定をつけて演じることもできますが、母の会衆だとウソもあまり通用しないでしょう。
聖書は新世界訳1985年版を持って行きます。
前のほうが馴染みがありますし、スタディー版はなんか変で使いたくありません。
もちろん今は手元にないので、メルカリか元JWつながりかで手に入れようと思います。
で、集会中に聖書が読まれる時はサッと開いてみせます。
タブレット使ってる奴らには負けたくありません。
「エホバの証人よりも敬虔なクリスチャン」が目標です。
あと歌の時は立ちません。
国歌斉唱で起立すると崇拝行為に参加していることになるという理論を逆手に取ります。
座ったままの人がいるとどんな気持ちになるか味わうがいい。
ものみの塔は持たずに行くか、ライブラリーから印刷して持って行くか迷い中です。
予習もしてやる。
メンタル的にはかなりハードだと思います。
バカですよね。
こんなことするなんて。
最終的にはその時の自分の状態で判断しますが、やんごとなき事情がなければ行ってみます。