赤城です。
先日、あきつ丸さんが著名な方々の訃報について書いたばかりでしたが、昨夜、またもや悲しい報せを受け取ってしまいました。
埼玉西武ライオンズの森慎二一軍投手コーチが、28日に亡くなられました。42歳という若さでした。
森さんは25日の福岡ソフトバンクホークス戦(ヤフオクドーム)の試合前に体調不良を訴え福岡市内の病院に向かい、検査の後入院していました。27日に西武球団が、森コーチを体調不良のため休養、西口文也二軍投手コーチを一軍コーチ代行として合流させると発表した、矢先の訃報でした。
死因は多臓器不全ということで、その病状ははっきり分かっておらず、亡くなる前に渡辺久信SDも「病状不明」とコメントしていました。辻発彦監督も「病気の兆候は見えなかった」とコメントしており、あまりに突然すぎる旅立ちに驚きと悲しみの声が広がっています。
山口県岩国市出身の森慎二さんは、地元岩国工を卒業後、県内光市にある新日鉄光に所属。1994年の新日鉄光休部後は新日鉄君津に移籍し活躍。1996年にドラフト2位で西武ライオンズに入団しました。
プロ入り後は主にリリーフで活躍。1年目から38試合に登板。2000年には不動のクローザーとして君臨し23セーブを記録。2001年は不振を受けてクローザーを豊田清選手に譲るも、2002年はその豊田選手までに繋ぐ不動のセットアッパーとしての地位を確立し、71試合に登板し防御率2.07、翌2003年も61試合に登板し防御率2.31で、この2年は連続して最優秀中継ぎを受賞しました。
2005年にポスティングシステムを利用したメジャー挑戦でタンパベイ・デビルレイズに移籍。しかし2006年のオープン戦で右肩を脱臼し1年を棒に振ると2007年に契約解除。メジャー、マイナーともに公式戦登板がなく帰国。その後はリハビリを経て2009年よりBCリーグの石川ミリオンスターズの選手兼任コーチに就任。2010年には監督に就任し、チームを常勝球団に育て上げました。
2015年に埼玉西武ライオンズの二軍投手コーチに就任し古巣復帰。2016年シーズン途中に一軍投手コーチに異動し、西武の一軍投手陣のバックアップに尽力していましたが、その最中の2017年6月28日、突然旅立たれていきました。
神様は何故彼をこんなに早く旅立たせる選択をしたのか、全く理解することができません。残酷なものです。
現役時代の森さんは、独特な足の上げ方をするフォームから、150km/hを超える剛速球とキレキレのフォークを投げ、次々と三振を奪うタイプの投手でした。前述の「森→豊田」という形は、今も語り継がれる強固な勝ち継投でした。
まさに、その剛速球のように一気に駆け抜けていった野球人生だったとも言えます……。
それぞれの思い出、それぞれの記憶の中にある森さんの思いを胸に、選手たちも監督コーチたちもこれからのシーズンをどんどん戦い抜いていってほしいですし、元気にやってくれることで、森さんもきっと安心するはずでしょう。
森慎二さん、今までお疲れ様でした。
彼の地元岩国市にある岩国城の麓で撮影した梅の花



