それはそれは昔のことでありました。

まだ昭和も近かった頃の平成。

日本は、いわゆるバブルというものが弾けまして

"55年体制"というものも弾けまして

自民党ではない政党が与党となりまして

まあ、それはそれは混乱いたしました。

 

ちょうどそんな時、夏が暑くなかったんですな。

曇りと雨ばっかり。

そんな夏を「冷夏」と呼ぶそうな。

"日本の夏はただでさえ、暑い。涼しい夏なんて、良いじゃないか。"

と、思う方も、確かにいたでしょうね。

 

ところが、問題はその後。

秋になり、人々の食欲が増す頃に

「米がない!」ということになったのです。

 

「嘘をつけ!」といぶかる方もいるでしょう。

コメなんて、余ってるのが普通だろうと。

わざわざコメ農家に「作るのは控えてください。お金あげますから」と

政府が頼み込むぐらいですから。

 

でも、本当になかったのです。

スーパーのお米の棚には、いつ新米が入荷されるのか未定で

次々と袋は消え、何にも置いてない状態に。

 

そして急遽輸入されるようになったのが、「タイ米」。

普通のお米よりも、ちょっと細長く、

ひょろひょろっとしてて、なんかちょっとクスリくさかった。

 

それを、炊飯器で炊いて、食べた時の、クソまずかったこと!!

ホント、それだけは鮮明に覚えてますよ。

だいぶ、昔のことですけどね。

 

ここで、打首獄門同好会さんのこの歌。

 

日本では、ごはんがおいしいのは当たり前。

ごはんに何を乗せるか、何をつけるのかが問題であり

ごはんそのものは意識されない。

蛇口をひねると出てくる、水道水のごとく。

 

まだ、7月半ばだけど、

「冷夏」なんて聞くと、あのクソまずかったタイ米を思い出すのだ。

酷暑も嫌だけど、まずいごはんはもっと嫌だ。

 

せめて、"普通"の夏であってほしい。

令和初の夏。エビ中結成10周年の夏。

 

さて、ここで考えた。

 

柏木ひなたの歌声は、日本の米ではないかと。

燦然と輝く、"銀シャリ"ではないかと。

 

かつて歌穂ちゃんが、

「ひなちゃんの声がないとエビ中のユニゾンが全然違っちゃって不安になった」と

ひなたが喉を痛めて声が出せない時に言っていたが、

確かにひなたの声は、線が太く、どんな音程でものびのびとしていて心地良い。

ソロパートはもちろん格別だが、ユニゾンでもその持ち味が発揮されている。

 

単体でももちろんうまいが、他と組み合わさっても、うまく混ざり合う。

決してでしゃばることなく、でも主張することは忘れていない。

誰もが一目置くボーカル。安定感・安心感を与えてくれる。

 

ひなたは、人柄も、まるで白米のようだ。

素朴で、飾りっ気がない。

淡泊なところもあるが、粘っこいところもあるし

噛めば噛むほど味が出てくるし、飽きがこない。

 

なんでもしっかりこなせる"マルチ"な才能があり、器用な反面、

一本気で、こうと思ったら絶対に折れない、頑固で不器用な面もある。

 

妙に古風で、上品で控え目なところもあるが

豪放磊落で、お茶目さはメンバーNo.1だ。

だいぶ落差はあるのに、不自然さがない。それがひなたの個性になっている。

 

食卓には、彩りが必要だ。

エビ中メンバーは、みな個性豊かで、いい意味でバラバラだ。

メンバーそれぞれのインスタグラムにも、個性が反映されている。

 

ひなたはインスタグラムをやらない。

流行に流されることがない。追う気もない。

自分は自分。

自分の好きなものがあればいい。

自分の好きなことができればいい。

 

エビ中という"食卓"には

中心に"柏木ひなた"がいる。

それは、あまり意識されていない。

 

ごはんがおいしいのは、当たり前。

ひなたが凄いのも、当たり前。

"当たり前"なのは、意識する必要がない。

 

しかし、ひなたがいなかったら、どうなるか。

それは、エビ中ではない。

おいしいごはんがなかったら、

日本の食卓ではないのと同じように。

 

今、改めて、ひなたのボーカルを噛み締める。

やっぱり、格別の味わいがある。

ホカホカでモチモチ。

"おもち、もーちもち、柏木ひなた♪"

 

7月の連休も終わった。

雨は、降りやまない。

 

日本の米は世界一。

他の米ではダメなのだ。

 

ひなたの歌も世界一。

他の声ではダメなのだ。

 

そろそろ『ラブリースマイリーベイビー』が

ガチで似合う季節になってほしい。