こんにちは!

英語脳プロデューサーのZakです。

15年間の海外勤務の経験から、ビジネス英語、海外生活、異文化コミュなどについて書いています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
TOEICスコアが低くたって大丈夫!
初めての海外赴任でも成果が上がる 
キャリアアップ英語
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
https://www.facebook.com/wwwdotjp
 

今回は、帰国子女のお話

日本出国からアメリカ生活までを第1話、アメリカから帰国後の日本での生活を第2話、の2回に分けて書いていきます。

 

海外赴任予定のある方の参考になれば、幸いです。

ご質問あれば、どうぞ

 



本日は、第1話。


親は子を選べない、子は親を選べない。
子は親の決断で、友達と別れて言葉の通じない異国へ旅立つ・・・
うちの子供は、小学2年生と小学5年生のときアメリカへ行きました。
子供にしてみれば青天の霹靂。

=============


出国前のドタバタ


社宅に居られる年数が満期となったため、近所に小さな一戸建てを購入。
住み始めて2年目。住宅ローンのついでに新調したクルマは購入して1年目、

当時の私は、試作機の現地テストや新製品立上げの工場支援のために、数週間から3ヶ月にわたる海外出張が多く、「もうお父さんが返ってこないと思った、うえ~ん」と玄関先で子供に泣かれてしまうこともありました。

このような生活を続けて、10年近く時は流れ、米国拠点を立ち上げるメンバーとなり赴任することとなりました。

子供にしてみれば、友達とお別れが寂しい、外国へ行くとはどういうことかピンとこない、こういう状態でした。

海外渡航の準備は、会社によって差があると思うのですが、まず本人が現地入りして生活設営をした後に家族が追っかけフライトで渡航するパターンが多いのではないでしょうか。

つまり、パートナーや子供は日本でせっせと引っ越し準備、役所への届け出、ご近所の挨拶回りや、お別れ会、両親への挨拶、会社の渡航説明会などをこなすんです。こういうイベントをこなしていくのは、初めての経験ですから結構な労力になります。

このようにして、ほぼ新築の家を離れ、ほぼ新車のクルマを手放して、家族で渡米したのでした。

渡航フライト、乗り換えなしの直行便があれば何も心配はないのですが、乗り換えがある場合は、旅行慣れしていないと大変かもしれません。
出来る限り乗り換え回数を減らす、十分な乗り換え時間を確保する、高くても直行便を使うなどの配慮は必要です。

=============

アメリカでの新生活が始まりました。

 



まず、いきなり困るんですが、何年生に編入するのか? です。

ジョージア州の新学期は8月中旬から。夏休みに入るのが6月からなので、新学期開始が中途半端にちょっと早いんです。

下の子は日本で4月に2年生になっていた。5月に渡航した。8月中旬に新学期が始まる。

ということで、我が家は5月に渡航し、8月中旬まで自宅待機とし、8月中旬の新学期から2年生に編入しました。つまり2年生をダブらせたということです。

英語のハンデがあったことでこのようにしました。まあ、1年くらいダブったところでその後の人生にに大きな影響はないだろうとの判断です。我が家は夫婦ともに1浪して大学へ行ったので。

==============

アメリカに着いた、学校の段取りもやった。

次は、英語をどうするか・・・

大人は、いいもんですよ。
職場に行けば、出張時代からの仕事仲間がいるんですから。

でも、子供にはそんな人、いません。
本当に、右も左もわからないまま、現地校に放り込まれたわけです。
子供のストレスたるや、ものすごかったと思います。
まずは、ESLの先生と担任の先生がたよりです。



とはいえ、家庭教師は必須でした。
中国系のESL指導の経験がある元教師の女性。
毎日、学校から帰宅後、毎日2時間

フォニックスから徹底指導いただきました。

 



色々な関係者のご支援の結果、3カ月もすればすっかり慣れてきた感が分かりました。
私も妻も記憶の限りでは、子供たちが「もうイヤだ!日本へ帰りたい!」と漏らしたことは一度もありませんでした。
日本では私が出張がちだったため、シングルマザー状態だったところ、アメリカでは私の在宅時間が長くなったことも精神的安定状態にあったのだろうと思います。

また、週1回の補修校も、ひとつの精神安定剤だったと思います。
そこで、知り合った新たな家族や友人とは、奥様同志のtea partyに始まりsleep overとか、お誕生日会を通じて交流がありました。

ご近所に他の日本人家族がいない場合は、奥様のストレスも加わりますから、家族全員が協力し合っていく絆がより大切だろうと思います。

 



==============

芸は身を助ける

ジョージア州は、各校で音楽活動が盛んでした。
うちは、日本でピアノをやっていたこともあり、現地校ではジャズバンドの鍵盤担当と現地校で始めた吹奏楽団でのクラリネットをやっていましたので、その方面からも現地校に溶け込みやすかったように思います。



アメリカの学校では、

 

「君みたいな子は始めただよ!天才じゃないか?

「上手だね!素質がある!

「続けていれば、上の方に行けるよ!

 

などと子供をものすごくポジティブに応援していましたね。

とにかく、いったい何人の天才がいるんだよ的な

アメリカ式の「おだてる教育」、すごいなと思いましたね。

 

子供たちが、ミスを怖がらないんですよ。ミスなしではうまくならないんだよ、自分に気が付かせて直させる、オッケー良くなったじゃないか、いいんだよそれでっていうのを四六時中聞かされるわけです。

 



日本って、それはダメだ、こうじゃなけりゃうまくいかない、っていう、型にはめる感じ。
どちらかというと出る杭は打たれる式が強いと思うんですね。自分の小さいころを思い出しても。

下の子は、小学2年生からこのように学校で育成されてきたので、日本に帰国後(田舎の方に帰国したせいもある)は、アメリカとのギャップと、イジメに相当苦しみました。その辺は、第2回でお話しますね。

では、今日はこの辺で。

Zak