ギャンブル番外編-スリップ最終話- | ギャンブル依存症を自覚したボクが書く日記

ギャンブル番外編-スリップ最終話-

そして、ボクはコチラ側に戻ってきた――。

最終戦、それは師走の慌しさと
浮かれた気分によってもたらされた
少しだけ悔しい敗北感だった。
ただ、12月の期間、
ボクは、数回雀荘に行き、
6桁の勝ち金を手中に収めていた。
あとは、着地点を探すだけだった。


こう書くと、誤解を受けるかもしれないが、
ほぼ想像通りの行動経路を辿り、
落ち着くべきところに戻ってきたように思う。
もちろん、それは、
ボクが独り身だからこそできたことでもある。


〆切は目前に迫っていた。
読み返し、ため息をついた。
《スリップ》中に書いた部分には、
どことなく、おざなり感が漂っており、
改めて、自らのココロの動きというものを
洗いざらわなければいけない、と感じた。


正月返上、というのはその時点で決定したことだ。
《了》まで書き、さらに加筆・修正を行いながら、
きちんとした《完成形》にしなければならない。
ボクは、焦るわけでもなく、
不満に思うわけでもなく、
ただ、楽しさに身を任せて、物語を構築していった。
そして、その中で見えてきたこともある――


記憶、なのだと思う。
脳に刻みつけることが必要なのだ、と思う。

《やめたい》と思った瞬間のこと。
《やめよう》と強く誓った時のこと。
そして、その過程で見つけた、
自分が《やめよう》と思った原因や理由――
それらを一度でも、くっきりと脳に刻印をつけておくこと。
そうすれば、いつか必ず脳がカラダに指令を出す。
それが《スリップ》と《リバウンド》の違いだと思う。
きっと。


《ギャンブルをやめたい》と考えるのは、
それ以上に大事なもの、壊したくないもの、
守りたいものがあるからだ。
《ギャンブル依存症》を克服したいというヒトは、
間違いなく、その存在に気づいたヒトビトだと思う。
だからこそ、それを脳に深く、強く刻みつけておく必要がある。
そうすれば、《戻れる》から。
絶対に。


それに気づいた瞬間、
《ギャンブル依存症》というものが
病気だろうが、病気じゃなかろうが、
ボクにとってはどうでもいいことになった。
ただ、ボク自身は
《ギャンブル依存症》なのだろうし、
それをどうにかしたい、そう考えているだけのことだ。
それは、ボクに、もう賭けるべきものが失くなったから、
自分の人生を懸命にBETしようとしているからだろう。
そして、そっちのほうが楽しいと感じているからだ。


再生や回復のためには
《気づき》が必要だと言われている。
この《気づき》という言葉、
ただ《ギャンブル依存症》である自分に気づくだけではない。
その先、いろいろなものに気づき、
そしてそれを忘れないよう、
しっかりと記憶する、
という部分こそが大切なのだ。


かなりムリな日程を超え、
原稿用紙300枚超の作品を仕上げた。
その時点で、ボクの《スリップ》体験は終了した。
書き上げた後の、
いつも通りの反省点などは確かにあるのだが、
それは、自分のものかきとしての反省点である。
物語自体に対して、
《面白くないよ》とは、自分の口からは
決して言わない。
それくらいの、達成感と、完成度。
そして、プライドは形作ったつもりだ――


《了》


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