改めて《ギャンブル依存症》について考えてみた | ギャンブル依存症を自覚したボクが書く日記

改めて《ギャンブル依存症》について考えてみた

書き終えました。
原稿用紙にして300枚分の作品です。

さて・・
今回の作品は、ご存知の方もいますとおり、
《ギャンブル依存症》や《借金》を主題にした2作目になります。
1作目は、まぁ、無我夢中で、いなくなった自分を探しつつ、
ゲシゲシガシガシと書き上げたのですが、
さすがに今回は、
筆が止まることが多々ありました。
そして、それと共に、書き上げた際、
いろいろと考えさせられました。

まず――
何を伝えたかったんだろう、ということ。
《ギャンブル依存症》だよ。
そう言うことは簡単なんです、きっと。
その上で、ボクは、何をメッセージとして残したかったのか・・?

今回の作品を皆様にお披露目する前に、
言っておこうと思うことがありまして・・
この作品を書いている間、
ボクは、何度か麻雀を打ちに出かけています。
というのも、《スリップ》をどうしても物語に組み込みたく、
実地検証の名のもとに、打ってみました。
ええ、言い訳かもしれません。
それが遠因となり、完成が遅れたという側面もあります。

まー、その辺のことは、
この後、今日のお昼頃にアップするであろう、
『ギャンブル番外編-スリップ-』のほうで詳しく書くとします。

結局、《実感》なのだと思うのです。

《ギャンブル依存症》を自覚して以来、
ずっと《実感》というものを探し求めていたのではないか、
そして、それはギャンブル場では得られないのだ、
と、気づいたのではないか。
手触りや香り、舌触り――
もっと生々しく言うなら、
血脈の流れやトクトクという鼓動、
息の生温かさや柔らかな髪の質感、
そして、誰かがふと漏らす言葉に似た本音――

それらはすべて、おそらくは、
ボクが求めていたもの。
それは決して《愛されている》実感ではない。
きっと《愛している》実感なのだ、ということ。

《ギャンブル依存症者》のほとんどは、
受動が得意なヒトなのではないか?
能動を基本とし、自らの意思をごり押しする、
そういうヒトは少ないのではないか?
少なくとも、ボクは受動的なヒトなのだと思います。

作中、《ギャンブル依存症》であることを告白した
主人公に、ヒロインが聞きます。
「私はどうすればいいの?」
「詩織はどうしたいの?」
そしてラストシーン――
もう1度、ヒロインが聞きます。
「あなたは、どうしたいの?」
そして、主人公は・・
「救けて欲しい」と――

おそらくは、ボクがもっとも言いたくて、
ずっと、ずっと言えなかった言葉なんだろうな。
言えていたら、きっと、
失くさなくて済んだものも、たくさんあるんだろうな。

そしてさらに主人公は続けます。
「俺は《ギャンブル依存症》で金も仕事もない。
 それでも・・愛したい」

ヒトを愛することなく、愛されたい・・
という思いはきっと、傲慢なものなのでしょうね。
愛されるより、愛する。
受動であるより、能動であること。
そして、何よりも自分を自分が愛すること。
きっとボクは、
そういうことを描きたかったのだと思います。

今年、誰かを愛せたら、いいなぁ・・

さて、そんなわけで、
恒例の(といってもまだ2回目)
読んでくださる方、大募集!!のコーナーです(笑)
もちろん、お代なんざぁ、いただきません。
感想を教えてくださって、
あとは著作権だけ守っていただければ、
捨てようが、誰かに読ませようが、
取っておいて、いつかヤフオクに出そうが(笑い)
ご自由にどうぞ!
少しでも、たくさんのヒトの目に止まると・・
嬉しいなぁ。

あ、でも、作品の送付はデータで。
推敲後になりますので、10日前後の予定です。

読んでやってもいいぜぃ!
という方は、アメブロご使用の方は、
メッセージ機能をお使いくださっても構いませんし、
いずれにせよ、メールアドレスをお教えください。
ちなみの、教えていただいたアドレスは、
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なお、その際、前作などご希望の方、もしいましたら、
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謹んで、ご送付させていただきます。

そんなわけで、下記、メールアドレスまで
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以上、長々とおつき合いくださいまして
ありがとうございました。