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shin-1さんの日記

 朝の連続テレビ小説「あんぱん」

 朝の連続テレビ小説「あんぱん」が始まりました。毎朝食事をしながら楽しく見ています。

 主人公たちが小さくてかわいい役を演じていましたが、早くも大になりました。 

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〇四国が舞台の連続テレビ小説あんぱんが始まりました

 高知県を舞台にした牧野富太郎を主人公にした連続テレビ小説が終わると、今度はまた高知県が舞台の「あんぱん」が始まりました。今度は漫画家やなせたかしが主人公のようです。高知県はお隣の県なのでよく知っていて朝8時から15分間毎朝楽しみに見ています。

 

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〇朝日新聞の天声人語

 わが家は地元紙愛媛新聞を購読しています。ゆえに全国紙他紙の新聞を読もうと思えば、借りるしか方法がないのです。時々朝日新聞の「天声人語」というコラムが読みたい時は、借りに行って読んでいます。5~6日前にも「森は海の恋人」で有名な親交のある畠山重篤さんの突然の訃報が届き、そのことを取り上げたコラム「天声人語」を読みたくて、近所に住む人の家を訪ねました。運よく奥さんがいて快くお借りすることができました。

 

 ~森は海の恋人」。この魅力的なフレーズほど、畠山重篤さんの活動を見事に示すものはない。宮城県でカキを養殖する漁師でありながら、45歳で植樹を始めた。カキを育む海の養分は、川がもたらす。ならば水源の森を豊かにしなくては。大漁旗を掲げてブナを植えた。▼手探りの活動は間違っていなかった、と思えたのは9年後だ。リアス海岸という名が産まれたスペインを訪れ、そこでも『森は海のおふくろ』と言うのだと知った。教えてくれたムール貝の漁師と思わず握手した。著書『リアスの海辺から』には、その時の感動が詰まっている~

 

 「天声人語」を読みながらふと昨年10月5日、人間牧場20周年記念事業で招聘した畠山さんの在りし日のことを思い出しました。港の見える丘の植林中のクヌギの森に畠山さんが清水医師、わが息子一心と3人で植えたクヌギの苗木が育っています。よく似た境遇を「徳の木を植える」と教えられ今も元気に育っています。

 

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〇山が笑う

 私の家はド田舎の双海町上灘にあります。ガソリンスタンドもなく、ハザードマップにはいわゆる危険地帯の烙印が押されています。人からはそんな危ない所より、もっと安全な場所へ移ったらどうかとよく言われますが、住めば都で親の代から住んでいます。しかしその心配事以外は巣小ぶり快適で。目を転じれば双海町のシンボルである本尊山が聳え、家からは海が見えるほか半年間は綺麗な夕日が見えるのです。家庭菜園を含めれば660坪もある広い土地に本宅、隠居、私設公民館煙会所、海の資料館海舟館などを自力で整備し不自由なく暮らしています、難点は広過ぎて管理に世話が焼けますがそれなりに幸せです。最近ウェルビーイングなどという言葉が流行っているようですが、まさにそんな生き方をしています。今日は少し雨模様のあいにくの天気ですが、本尊山は自然林のためクヌギや山桜などの落葉樹が生えていて、丁度それらが芽吹きの季節を迎え、木の香りがヤマゼの風に乗って吹き下ろすのです。山が笑うという表現がぴったりの好季節を迎えています。

 

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〇地元双海中学校の入学式

 いつもの年だと一日早く小学校の入学式があるはずなのに、どういう訳か、今年は中学校の方が一足早く入学式があり、「間違いでは?」と疑心を持ちながら出かけて行きました。間違いなく今日は地元双海中学校の第16回目の入学式でした。校長も教頭も春の人事異動でいなくなりました。事前にあいさつに回られていたので安心ででした。今年の入学生は男子6人女子2人の合計8人でした。「もうそろそろ」と身の引き方を思いつつも、人数が少ないこともあってもう少しお役に立ちたいと思うこの頃です.。


 

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〇学校訪問で出会った人

 いよいよ新年度が始まりました。昨日は子ども教室の説明のため公民館長と主事さん2人、それに実行委員長である私の4人で、町内の4つの小中学校へ説明に出かけました。入学式がまだ終わっていないのでどの学校も閑散としていましたが、どの学校も校長室へ通されそれぞれの学校に応じた説明を担当の武智主事が行い、その後教頭先生を交えて座談をしました。学校の中には昇任校長で異動してきた校長先生もいて、承認を祝う胡蝶蘭の贈り物が沢山飾られている人もいました。帰りに運動場の隅に寒そうに立っている金次郎像に面会しました。双海中学校にはありませんでしたが翠小学校=金次郎像、由並小学校=金次郎像、下灘小学校野口英世像にそれぞれ挨拶をして写真を撮りました。ありふれた光景なのでおそらく誰もその存在に気付いていませんが、歴史上の人物といえど子どもたちに人間として大切な生き方の教えをしているようでした。県内の小学校には182体の金次郎の銅像が立っていますが、「至誠・勤労・分度・推譲」は二宮金次郎の教えです。

 

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〇私の歌が登場

 昨日東温市の近藤さんのお宅へ人形作家林智美さんに誘われて妻と二人で出かけました。徳島県唯一の村佐那河内村からやって来た佐那人のライブを久しぶりに聞きましたが、カホンを叩く日下さんが作詞作曲を手掛けた私の歌が披露されました。人間牧場事業20周年記念事業で初めて披露されましたが、この日は忙しくてそれどころではなく、失礼ながら余り記憶にありませんでした。いい歌なので口ずさんで歌ってみたいと思いました。

 

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〇畠山重篤さんが天国へ旅立ちました

 人間の世の中には,産まれた場所こそ違え、生い立ちがよく似た人がいるものです。「森は海の恋人」で有名で3日前に亡くなった畠山さんもその一人なのです。宮城県気仙沼出身の畠山さんは漁家に産まれ,仙沼水産高校増殖科に進みましたが、その後カキ漁師になりました。私も同じ漁師の家に生まれ宇和島水産高校の漁業科に進み漁師になりました。ここから少し違った道を歩き始め、私は病気を理由に双海町役場に勤めまちづくりに関わるようになりましたが、畠山さんはカキ漁師を慣れ合いとして一生を終えました。そして「森は海の恋人」というスローガンの元、漁師が山に木を植えるという運動の先頭に立って多くに事をなし得ました。畠山さんから貰った自著本「カキじいさん世界へ行く」によると、「私は子どもの頃地図が好きな少年でした、小学5年の時親に世界旅行の本を買ってもらってから地図を見ては『大人になったら世界を旅してみた』と夢見ていました。」と書いています。私も同じ境遇で世界地図やジョン万次郎の本を読んだりして「海の向こうに何があるのだろう」と小高い海の見えるみかん畑で遠い水平線の彼方を見ていました。後日畠山さんと出逢い「あんたとよく似た少年だったようです」と話されました。その後大学こそ違え畠山さんは京都大学、私は愛媛大学で高校卒ながら教壇に立ちました。そして何度か同じステージの上で論陣を戦わせました。人間牧場20周年記念事業で招聘し、100人を超える人に元気な話をしてもらったのに、畠山さんはもう私の前から姿を消し天国へ召されました。私は1944年生まれ、畠山さんは1943年生まれでした。

 

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〇NHK四国羅針盤「えひめ丸事故」

 私は宇和島水産高校漁業科の卒業生で18歳に時実習船愛媛丸で珊瑚海へ遠洋航海に出掛けているのですその船ではなく沈んだのは4代目の船でした。その船は今から24年前の2001年にハワイ沖でアメリカ海軍の潜水艦グリーンビルに衝突され、尊い9人の人命が奪われました。忘れもしませんが私の自著本「昇る夕日でまちづくり」の出版記念の日でありました。悲しい事故はその後多くマスコミに取り上げられました。えひめ丸事故はその後特別番組四国羅針盤でも取り上げられました。その番組の回顧版が昨晩放送され、家族とともに視聴しました。悲しい出来事でした。

 

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〇一羽のカラス

 昨日大根畑の残材を取り除いていると私の後ろで何やらゴソゴソ動いているようでした。振り返ると大きなカラスが何かを啄んでいるようでした。耕運機で中耕する時、時々見かける光景です。恐らく大根を引き抜くとミミズなどが飛び出すのでそれを狙っているようでした、カラスは全身が真っ黒で、決していいイメージの鳥ではありません。街中に出没し、ゴミなどをあさる雑食性で、特にトマトやスイカ、などの狙います。撃退しないと慣れてやって来るので、少し大きな物音を立てて追い払いました。先が思いやられます。