子どもの頃好きだった遊びや、頼まれる事で苦にならなかった事から天職が分かると言いますがご存じですか?びっくり


私はと言えば、小さいころからお絵描きが好きな子供でした爆  笑



小学生の頃は担任の先生から、文集や学級通信に載せるイラストを描いてくれと言われたり、鉄筆でろうを塗った原紙に描いて印刷する、いわゆる『ガリ版』(正式名称は謄写版と言うらしい)の原稿を書くように言われたりしていました。
その頃私は書道の毛筆が4段、硬筆が2段だったので、先生から頼まれたのだと思います。


 

更には、授業について来れないクラスメイトの面倒を見るようにも言われ、どうやったら彼女が漢字を覚えられ、書けるようになるのかを考え、お尻で文字を書く(しりもじって知ってる?)時のようなテンポで、調子を合わせながら漢字の書き方を覚えて貰う方法を編み出し、一緒に歌いながら(?)漢字の書き方を練習したりしました。


そんな風に小学生の時から、絵を書くことを頼まれたり、人にものを教えることを頼まれたりしていました。


高校3年の進路決定の時、実は小学校の先生になりたくて『大学に行きたい』と両親に言ったことがありました。
しかし『女に大学は要らない』と言われ、行っても短大か専門学校しか選べませんでした。
学校の担任の先生には『推薦で大学に行けるから、親を説得しろ』と言われていましたが、昭和世代の両親を説得は出来ませんでしたえーん


そのため人に教える道ではなく、絵を描くことの道『デザイン』の専門学校に行きました。


以前にも書いたように、18歳の時漠然と『カラリスト』になりたいとも思っていたのですが、どうやってなれるのか分からず『インテリアデザイン』の道に進みました。


しかし今となってはデザインの道に進んだのは、正解だったように思います爆  笑チョキ
今でも物づくりが大好きな私ですから照れラブラブ

 

そんな私が人様のお役に立つ事は何なのだろうかと考えてみたところ、やっぱり何かを作ってお客様に提供する事かなと思います。
その何か作ったものをお客様が活用して、また更に他のお客様に喜ばれる。
そんな喜びが循環する何かを提供出来たら嬉しいなと考えています。
その何かとは、やっぱり私はツールなんですね。



いま自分にできることは、名刺やチラシなどツールのデザイン、看板のデザイン、のぼり旗のデザイン、そしてパーソナルカラー診断やイメージコンサルティング、インテリアのカラー提案などです。



人様に何かをお教えする時も、どうやったら分かって貰えるのか、どうすればできるようになるのかを考えながら進めていきたいと思います。



これは小学校の時から変わらないですね爆  笑



還暦を過ぎた今、自分の得意なことを必要とされる方に提供して、自分の出来ないことは人様にお願いする。
そんな風にして、喜びと共に仕事の循環ができるような生き方をして行きたいと思っていますおねがい


 

果たして残りの人生、あと何年あるか分かりませんが、やり残したと思うことが無いように、精一杯楽しんで生きていきたいと思っています。