今シーズンの目標は、横浜でのサブ4です。

も、最後列でも全然OKの気持ちです。 きて、立ち止ります。ストレッチするものの、痛みは消えません。歩いて多少良くなっては走る。

昨年11月の富士山マラソンで、爆坂に脹脛をやられながらの4時間6分の後、1月の湘南藤沢16Kmで心肺を強くして、2月青梅30Kmで坂を走り足を強くして、フラットな横浜でサブ4の青写真を描きました。



まず1月までは予定通り、湘南藤沢は目標の5分/Kmで走れました。

しかし、2月初旬のインフルエンザにやられ、 ほぼぶっつけで青梅、フルの目標ペースできっちり走れたのですが、やはり走り込み不足だったのでしょう、右膝(太ももの下部)をやられました。

7-8Km走ると痛みが出て、15Kmくらいまでしか走れない状況が2週に渡って続き、整体でマッサージ゙や針、横浜1週前から走るのは止めて、ひたすら太もも・膝を休ませる、それしか道がなく、完全な走り込み不足で横浜となりました。

しかも、今回の症状は走ってみないと、痛みがでるかどうか分からないという、厄介なおまけ付です。


そんな状況での作戦は、テーピングぐるぐる巻きとロキソニンです。

当初目標通り、サブ4ペースでいけるところまで行って、あわよくばそのままゴール、駄目ならぴっこ引いてでも完走(完歩)、それもかなわなければ関門に捕まるだろうなあーという感じです。

服装は、前日の有明ハーバーのガラガラくじ金賞で貰った「ありあけハーバーシャツ」に決めました。

なんとか右足、最後まで持ってくれ、と祈るばかりです。



当日は家でテーピング等準備、6時20分頃桜木町、会場行ったらトイレが大変なので、桜木町近くのコンビニでお借りしました。男の場合、大さえしておけば、小は会場でもそんなに混んでませんでした。



会場には7時頃到着、簡単に着替え(と言っても上着を脱ぐだけ)、タバコ吸って、集合場所への途中にある屋外の仮設トイレでもう一度小、パシフィコの中のトイレよりはるかに空いてました。

パシフィコの中のトイレは利用しないのが正解です。


そして集合時間の10分前に、ブロックへ。今回、なぜか実力以上のBブロックスタート、今回の横浜のブロック分けは謎です。

Bブロック、集合10分前でも後ろの方でした。まあ、実力的にも、膝の不安という部分で

セレモニーでのサプライズは黒岩知事のフル参戦表明、F横栗原さんの「知事、3時までにお戻りください」の軽妙なトーク、隣のM知事には出来ない事でしょう。


スタートは8時30分、昨年同様スタートラインまではみんな歩きなので、スタートまで7分程度かかりました。まあ昨年の20分強よりは、はるかに良かったです。

スタート後は多少はゴチャツクものの、他の大会より渋滞は少なく(Bスタートのおかげかも)、すぐ自分のペースで走れました。



早くも3Km過ぎから、懸案の右膝に違和感、ロキソニン飲んでも違和感があるくらいだから、、、。

やばいと思いつつも、なんとか誤魔化しながら、違和感感じたり、軽い痛みを感じたりで走ります。

途中、念願の江戸清のブタまんゲット、でも走りながらはのどにつかえます。



折り返しも高速もなんとかペース維持、30Kmまできましたが、ここで右膝の痛みが強くなっ

そのうち今度は、富士山M以来の懐かしい脹脛の痙攣が左右とも、さらに足底の痛みなどなど、両足のありとあらゆる部位が悲鳴の大合唱を始めます。走り込み不足のつけですね。

そこから後は辛さとの戦い、パシフィコが遠くに見えた時には、本当にホッとしました。こんな状態でも12Kmくらいは走れる(歩ける)なあー、と感慨。

目標未達ですが、完走出来て、メダルを掛けてもらい、タオルも頂き、良かったー。



カミさん、ゴール付近で写真を撮ってくれました。昨年の横浜は見逃し、西湖はゴール後ウオッチ操作で下を向いている姿、富士山は周辺のランナーに隠れて映っていない、そして今回は間に合わず後ろ姿でした。



恒例のワンコへのメダル掛け、3つになったので、そろそろ重いと怒っています。

整形外科で膝をみてもらうことにします。



サブ4は来シーズンへ課題継続です。