たしか中学校の国語の教科書かなんかで

「皆が同じ色を見ているかどうかはわからない」

みたいなものがあった。


たとえば、黒いりんごがあったとする。

Aさんはそれを垢に見えていて、りんごは赤色だと言う。

Bさんはそれを緑色に見えているのだけど、

「りんごは赤」とAさんの言葉を習ったので、

緑のことを「赤」といういいます

そうやって「赤」という言葉をみんなで共通して使っていても、必ず赤を見ているとは限らない、誰にも知り得ない、というような内容だった。


 その時もかなり衝撃的で記憶に残ったが、最近この考え方とリンクする考え方が形成されてきたので、書き留めることにした。



僕が好きなbump of chickenの歌詞に


「言葉で伝えても  伝わったのは言葉だけ」


ってのがある


中学くらいの、初めて歌詞を見たときは、

何いってんだろ?

って感じだったが、大学のときに言語に関する参考文献を読んだりしててやっと分かるようになった、という経緯がある。


僕の解釈は

「言葉は絶対的な意味を持たない」

となっている。


どういうことかと言うと、赤といっても本当に僕の見ている赤が伝わってるかはわからないってことだ。


つまり、言葉は共通して使うものだけど、その細かい意味とか気持ちとかニュアンスは人それぞれだ違うものだから、

言葉を届けることができても、伝わるかどうかはわからないってこと。

言葉を伝えても、伝わったのは言葉だけだったって、とても悲しく感じるけど、

この歌詞を読むと、言葉が一番大事なものではなくて、言葉を通して伝えたい

・気持ち

・人間味

・エネルギー

みたいなものが大切なものなんだよ?って言われてる気がしてとても考えさせられる


そんな感じで、言語というのは意思疎通ができていると、あたかも


「絶対的で、人々のなかで必ず共通してあるもの」


みたいに捉えてしまうけど、そうではないってことが分かるようになった、という経緯がある。


そういう言葉の「あいまいさ」のお陰で、


すれ違いが起きたり

間違って伝わってしまったり

うまく伝えられなかったり

意図せず傷つけてしまったり


というような事が起こるんだな〜と学んでいた。

だから、


「言葉は不完全なもので、トラブルの元」


という認識が頭の中でなされていた。


しかし、ここ最近の発見で、


「言葉のあいまいさ」がもつ最大の(?)長所


みたいなのを見つけて、誰かに伝えたり、伝わってほしいなとなったところだ。






次回に続くw



2024. 2. 22