「ひとりごと」の語る"やさしさ"


"ねぇ、やさしさって何だと思う?"


Bump of chickenの「ひとりごと」という曲は優しさの概念について考えが巡らされている



歌詞をどう捉えるかはもちろん人それぞれなんだけど、僕の捉え方を一言でいうと

「優しさはinteraction」

と今のところなっている。



"君のために生きたって

僕のためになっちゃうんだ

本当さ

僕が笑いたくて 君を笑わせてるだけなんだ

ごめんね"



その人のためになにかするのは自分になにかメリットがあるからであって、それを果たして「優しさ」だと言えるのだろうか、、という投げかけだ


"やさしさ"に「誰かのためにしてあげること」

という意味を与えると、

「それは相手のためじゃなくて、自分のためじゃないの?」

という疑問が生まれてくるということだ


僕自身の中の"やさしさ"はどんなものなのか、考え直してみる、、、



 僕は「優しさ」というのは客観的なものではなくて絶対的なものだと考えてきた


例えば、誰かのためにご飯を作って上げる。

栄養バランスを考えたり、おいしくなるように工夫したりする。その努力や行為を、その誰かは知らないとしても知っていたとしても、これが「優しさ」である、と。


言い方を変えるとこの「優しさ」は、本人が望んでなくても望んでいても絶対に「優しさ」なのだ



でもこれってかなり一方的なものではないかな、と考え始めている。

なぜなら、一方的に優しくすることで「自分は優しい人だ」と思いたいだけなのではないか、ということだ。


まさしく、自分が笑うために相手を笑わせている「僕」自身なのだ。




."ねぇ やさしさって何だと思う?

僕少しわかってきたよ

きっとさ 君の知らないうちに 君からもらったよ

覚えはないでしょう"


"ねぇ やさしさって何だと思う?

さっきよりわかってきたよ 

きっとさ

人と人との心の外の中だけに在るんだ"



優しさって、意識して誰かに与えることはできないんじゃないか。


優しさってどこにあるか定かではない、だけど人と人との間にあるものなんじゃないか。


そう藤くんはゆってるように聞こえる。


やさしさはinteraction なんだ。



Interaction というのは、

inter 〜の間の

action 行為

という語源で成り立っている


「相互作用」という日本語訳がしっくり来る


だから優しさは人と人との間で生まれる行為であって、一方的なものではないと「ひとりごと」は語ってると解釈した



自分を振り返ってみる


これからどうしようと肩の荷が重い感じがしてるのが本音だ。


僕の中には「絶対的なやさしさ」が知らず知らずのうちに根付いていて、反射的にそういう行動をしてしまうのだ


それをinteractiveなやさしさに変えていくのはきっと難しいし、時間がかかると思う

でもやらないといけないと思うし、それは自分がみんなが幸せになるためにやらなくてはいけないという信念がある。


ねぇ、やさしさって何だと思う?

他の人の意見も聞いてみたい。