「何の制限もないとしたら?」という質問は、本当の望みを導く質問として、
私もよく自分に聞いてきました。
本当の望みを導くためなのだけれど、
私はずっと苦しかった。
何の制限もないわけないじゃん!
何の制限もなかったら生きてる意味ないよ!
そんなあり得ないこと想像できない!
という感じに
けれど、最近思うのですが、
これがそのときの答えだったわけで、
別にそれはそれでよかったんだということです。
言葉の表現がすでに「制限」であり、
「提案」でしかないことを
私たちは知らなければならないんだと。
自分はどう思うのか?が1番大事だからです。
ブログや本やセミナーは
「こうしたらいいよ」という
「提案」でしかないことを
肝に銘じておかなければならない。
けれど、自分に問うことは大切♡私は「お金の神様に可愛がられる手帳」を愛用しています。
「何の制限もないとしたら?」
「これを聞いたら、本当の望みが分かるんでしょ!」
「え?分からないけど?嘘教えてんじゃねぇ!」
と反応している、その自分を見る。
それが難しいのは、
他人に怒りをぶつけている、
いたたまれない自分を
見れないことが多いんだよね、きっと。
誰かのせいにして楽になりたい自分を。
他人を責めることで
自分を守ろうとする自分を。
直視できない。
受け入れたくない。
傷つくから、怖いから。
でも、実は、
そこから始めるしかない。
ズルい自分、
自分勝手な自分、
他人にしてほしくないことをしている自分。
直視することから、
本当の人生は始まるんだなと
思います。
同時に、努力してきた自分や
可愛い自分、キャラじゃない自分も
「おお、よくやってきたな」と見る。
ズルい自分も、
一生懸命な自分も、
対等に見ると不思議と、
「自分」への執着がなくなってきます。
「自分とはこう在らなければいけない」
という呪縛から解き放たれるのかなと
今のところは思っています。
どうあっても自分なんだ、
みたいな。
コメダのコメ牛、肉だくだくを食べる女子でもいいんだ!笑
例えば、ズルいあの人に対して、
「私はあんな風にならないぞ!」と
頑なに決意することで、
ズルいことは一切できなくなります。
そうやってどんどん自分に
制限をかけて、
自分を縛って固くしていく…
そうすることで自分に執着する。
硬くなっていく。
身動きが取れなくなっていく。
▲昨日も書きましたが、自分への執着は素直になるとかから手放せます♡
だから、全部取っ払って
まっさらにして
「制限がないわけないじゃん」という
声をスルーして、
素直に「何の制限もないとしたら?」と
聞ける自分になることが、
まず第一歩でした♡
今日もお読みいただき、
ありがとうございました♡