有名な童話作家アンデルセンが書いた「裸の王様」という童話をご存知だろうか?
服を新調しようとした王様の元に、2人の詐欺士が現れ、
目にはみえない世にも奇妙な布で服をつくる事を提案する。
誰にもみえない布であるが、それで服を新調したと言い張る王様。
その服を着てパレードをすることに。
パレードの最中、誰もが裸なのは知っているのだが、
誰も言えずに王様の機嫌取り。
そこへ素直な少年が一叫び!「はだかの王様だ!」
自分の見得について語った有名な童話であるが、
僕はこれを小さい頃に絵本で読んでいたため、
色々な事を考えてきた。
その結果、3年前に2度目の入院をするまえに、
ある絵を描いた。
それは今手元にないため、
お見せすることはできないが、
その絵を言葉で表現すると、
裸の王様を描いて、その横にこんなワードを付け加えた。
「全ては、見せれる?」
これが僕の中でずっとあった心情だった。
人は猫をかぶったり、自分の本心は悟られたくないもの。
そして、日本人は特に、お世辞や建前というものを大事にする。
そんな僕には正に「裸の王様」が示した愚問としてしか捉えようがない。
そう思った僕は、反撃に出た。
それが最近の僕の記事の通りのことで、
上記の言葉の通り、
自分の心の中にある、憤り、怒り、悲しみ、悩み、喜び、その他沢山の念い。
何もかも全て表現したらどうなるだろうかという事。
たぶん、そんな全部をさらけ出す人はいないと思われる。
それが良いか悪いかは僕が考える事ではなく、それを見た人が感じることだと僕は思っている。
前にtwitterで挙げたワード
「I'm sample, but don't examle. (僕はサンプル。でも模範ではない。)」
の通り、
誰もやらない心の内を全て、どんな人に対しても打ち明けてしまったら、
どうなるのかという事をやっているつもり。
たぶん、そんな事をやったとしても、僕の感情や苦しみ、
そして僕という人間は理解できないのかもしれない。
でも、これは僕なりの挑戦だ。
ピグともには心配してくれる人もいらっしゃる。ありがたいことだ。
しかし、この手法は変える気はない。
リスクを犯してでも、僕は僕の一つの生き方としてやり続けたいと思う。
どんな批判を受けようとも、結局のところ、その意図が伝わらなくても、
やめてしまったら、ずっと続けてきた僕の精神が報われないし、
途中で頓挫(とんざ)してしまったら僕の気持ちが治まらない。
それに折角積み重ねてきた努力も水の泡だ。
だから、これまでどおり、この記事の書き方は失わずに書き続けたいと思う。
誰にも理解されなくても、誰からも相手にされなくても、
真摯な気持ちで謙虚な態度で、
僕は僕が思うまま、僕が僕として書き続ける。
それが僕が「裸の王様」から考えた生き方である。
最後まで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。
これからもこの記事に書いたとおりのスタンスで不定期ですが書き続けますので
よろしくお願い致します。