今日は心の話を掘り下げてみようと思います。
先日、ある人と会って話している時、
話題に出たのが、「心の渇き」について。
人生において全ての人ではないけれど、
多くの人が物にしろ、金にしろ、異性にしろ、
自分は持っていないモノ、自分にはないモノ、自分とは違うモノを求めている節があると思います。
この物欲社会にあれば、自分が持っていないモノを欲しくなるというのは当然の欲求でしょう。
誰しもその問題を抱えています。
また愛を欲するが余り、愛を求めて、あくなき旅をする人も多くみられるように思います。
僕は前から記事に書いている通り、
ずっと焦燥感がありました。
もちろん、今もあります。
それは言い換えれば、自分にはない安心感や自分の肯定感を求めているという事でした。
話相手の人も、そういう心の渇きを感じ続けてきたということでした。
それがどうしてそうなったのか、なぜそういう渇きを潤したいという欲求に追われるのか、
理由はわかりませんが、
とにかく、ずっとそういうモノを追い求めてきたようです。
その人は、僕より人生経験も長く多く、
僕とは違って結婚した事もある人ですが、
それでも心の渇きは消えなかったといいます。
ここで僕が考えるのは、やはり、その渇きをどうやって潤すかという事です。
いくら金を稼いで大富豪になろうとも、
物を買い集めて一大コレクターになろうとも、心の渇きは潤されません。
そして、愛を求めても、自分の求めるような愛を相手が施してくれるとも限りません。
僕もそれで悩み、苦しんできました。
でも、今は前より潤いを感じます。
全てが潤ったというと嘘になりますが、前とは全然違います。
それはなぜか?
あるいは、なぜ潤いを感じるようになったのか?
その一番の理由は、次の言葉に表されています。
「ないモノを求めてた・・。 あるモノには気づかなくて・・。」
そう答えは簡単。
自分の欲望に縛られていて、その範疇でしか物事が見えてなかっただけの事。
見方を変えれば、事足りてたかもしれないという事。
そして、もぅ一つ。
何よりも自分の心の渇きは、「自分でしか潤せないという事」。
言い方を変えれば、自分に対する心の変わり様(気付き)で
180℃、世界観も人生観も自己意識も変わってしまうという事。
そこまで到達するのは、かなりの間、自分と向き合わなければならないのですが、
大抵の場合、そこまで向き合うだけの時間的な余裕や金銭的な余裕、
あるいは、精神的な余裕がないようです。
僕は発病という形でいやおうなく、自分と向き合わざる終えない状況が発生しました。
それによって、苦しい時期もありましたが8年という歳月をかけ、
自分がどういう人間で、何が拠り所で、何が欠けていて、何が大事で、何が本当に必要なのか。
そういう事を突き詰めて考えてきたわけです。
現実から逃げていたのも事実ですが、
その間、自分と、自分の影と、ずっと闘ってきました。
それがとうとう熟しきって、ありのままの自分を受け入れるという原点回帰に至ったのでした。
多分、心の渇きもその時に潤されたんだと思います。
僕が僕であっていい事を誰に認めてほしかったかと言えば、誰よりも「自分に」です。
その原点に立ち返れた時点で、
僕の心は満たされました。
もぅ何も迷う事はありません。
どんな家に住もうが、どんな仕事に就こうが、どんな人と過ごそうが、
別に問題ではありません。
どんな家に住んでても、どんな仕事に就いてても、どんな人と過ごしてても、
そこで育まれるモノは、かけがえのないモノです。
ですから、別に家を失おうが、自分の思うような仕事に就けなくなろうが、
自分の好きな人と一緒に過ごせなくなろうが、
全く持って問題ありません。
既に僕は僕でありうるし、この先、どんな災難が降りかかろうとも僕は僕でしかありません。
それくらい自信を持っていえるし、
もぅ満たされているので、怖いものがありません。
まぁだからと言って、シャシャリキになって、
「俺様は!」的な自己中発言をするかというと
そうではなく、
逆にやっとスタート地点に立てただけのまだ何もしていない自分がいます。
ですから、まだまだ知らない事だらけで、謙虚に誠実に、これから挑戦する意気込みであります。
あなたには心の渇きはありますか?
そして、それはどういった手段で潤せると思いますか?
よく考えて、よく自分と向き合って、自分なりの答えを出してほしいと思います。
ちなみに、これはあくまでも僕の心の渇きの潤し方です。
あなたに合うかどうかはわかりません。
でも一つの方法として参考にして頂ければ幸いです。
健闘を祈ります。