こんな話を前に耳にした。
確か原発の報道の時の話だ。
報道の限界。それは表層だけをかいつまんで報道し、
より重要でより濃いその奥の話は、報道では伝えきれないとの事。
時間的な問題もあるし、観客の理解度のレベルもあるから、
実際に起きている問題について、その明解な答えは表層だけしか伝えられない。
その限界を知ったとき、報道の空しさを感じたのだった。
そんな話を聞いたとき、大学時代のある思い出をふと思い出した。
当時住込み3畳間に暮らしていた僕の部屋には、
テレビがなく、ニュースは銭湯か大学の図書室の新聞で知っていた。
ある日、美川憲一さんと野村沙知代さんが喧嘩をしたという日があった。
その日、バイト先でも通学中の電車の中でも大学でも、
皆その話題で持ちきりで、テレビを見ていない僕としては全く理解できない話題だった。
喧嘩なんて日常生活には多々あり、それがタレントのだからという理由で
日本中を巻き込むような話題になるとはなんという国なんだろうと。
平和といえば平和な話題なわけだったのだが、
一般人の常識とか話題等が、その程度のモノで成り立っていて、
表層ばかり聞きかじって、モノの本質には届かない。
そんな情報に流されて、大事なモノを見過ごしているんではないのか?
そんな事を思ったのだった。
それからというモノ、僕は報道というモノに一線を置いている。
確かに日々起こる事件は僕らの生活に少なからず影響を与え、
知らない事で害をこうむる事があるわけだから邪険には扱えないけれど、
でもそんな3ヶ月もすれば忘れてしまう情報に翻弄されるくらいなら、
情報網をストップして専門書でも読んでいた方が
結局のところ、自分の人生にはプラスになるのではないかと思うくらい。
そんな表層の世界ではなく、より深くより濃密なその奥の闇に目を向けたいと思っている。
僕のバイブル、漫画版「風の谷のナウシカ」の中の言葉でこんなのがある。
「光とは闇の中にまたたく光だ!」
闇から目を背け、表層ばかり食らっていると光すらも感じられなくなる。
そんな事になるのならば辛く苦しい想いをしたとしても
闇に目を向け、その中にある本当の光を見出したい。
その為に力を注ぎたい。
そんな想いが僕の胸をかすめる。
僕は今、自分の闇というただそれだけの闇に惑わされている。
そんな僕が人の闇や社会の闇に目を向ける事事態、無理難題だと思うような事もある。
でも自分の闇に奮闘する中、そんな闇を感じて苦しむ人が一人でも助けられたらという想いを持つ。
自分が苦しんでいる分、そんな苦しい想いは人にしてほしくない。
僕が僕の闇で苦しむ分には自分が耐えてそこから光を見出せばいいだけだけど、
人の闇や社会の闇で苦しむ人が一人でもいるならば、
そんな想いをしている人がいると思うと、やり切れなくなる。
まずは自分の闇に光を見出す事が必要だが、
その上に立って、社会の闇にも光を見出せたらと思うかぎりである。
まぁそれにはまだまだ学ぶべき事ばかりだが・・。
人との繋がりについても同じ事がいえる。
ネット社会、携帯社会によって人間関係すら浅くなる現代。
本当に必要な事は、表層だけのうすっぺらい関係ではなく
その人の闇の部分も知った上でその中から光を見つけ出そうとする
共同作業の濃密な関係なのではないんだろうか。
モノの本質はその闇にこそあると思うから、
人の嫌がるその闇にこそ目を向けて、一緒に分かち合いつつ道を探り出したいと思う。
広く浅い人間関係よりも狭く深い人間関係を築きたい。
それでしか培われない深い見地があると思うから。
自分の闇も多分一人では同じ所を回るだけで
答えなんかでないと思う。
人と関わり、疑問をぶつける事。
自分の理解を深めるためには必要な事。
それを続けるしか道はない気がする。
そんな想いで今を生きている。
答えなんか見つからないし、そもそもないのかもしれないけれど
妥協しない生き方をしたいと思う。