城郭名:安威城(あいじょう)

住所 :大阪府茨木市安威四丁目

城主 :藤原鎌足?? 安威弥四郎、安威五郎左衛門

利用年:大永七(1527)ー天正十四(1586)

駐車場:△(看板手前に1台分くらいのスペースはあるが……)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

山城をめぐっているとたびたび入山禁止の山に出会います。

 

事前に下調べをして、すでに誰かが行ったことのある城を確認しているのですが、

それでも、種々の理由で実は入れない城だった、ということがたびたびあります。

(いつの間にか獣除けの柵が構築されているとか、地権者が変わって入山禁止になったとか、整備されたしまったとか……)

 

今回も、縄張り図状は非常に期待していた「安威砦」で、その例に出会ってしまいました……

 

 

 

 

  アクセス

ここでは安威砦の方のアクセス方法を記載します。

安威城・安威砦の距離は極めて近いので、とりあえず安威砦の方を向かえばよいかと思います。

公共交通機関の場合、安威バス停を利用できます(30分に1本はきます)
GoogleMapだと以下のようになります。

 

ここから細い道に入っていき、水道のタンクを目指します。

タンクへの道は、このような坂になっています。

 

ここに、案内看板とわずかなスペースがあります。

乗用車1台くらいなら止められそうです。

 

ここの藪に突っ込んで直登すれば城には入れるのですが、「立入禁止」の看板や、「撮影実施中」の文字があり、

今回はやめておきました。

 

もともと貯水タンクが近い、ということで多分難しい……と思っていましたが、やはりその通りでした。

ということで、今回はおまけと考えていた、麓の安威城を中心に紹介します。

 

 

  歴史・構造

安威城の歴史

この地域の歴史は古くヤマト政権にもさかのぼるとされます。

それを示すように、付近には、太田茶臼山古墳(伝継体天皇陵)などの古墳が存在します。

太田茶臼山古墳

 

「安威」という由来もこの時代とされており、ここにはヤマト政権時代に藍の栽培・染色にかかわる職業集団、

中臣藍連(なかとみのあいむらじ)が生活したとされます。

 

現在の安威という地名も、藍がなまったものとされます。

 

 

また、歴史の教科書でも有名な中臣鎌足(藤原鎌足)も、この地域を領していたとされ、

安威砦は、中臣鎌足が構築したという珍説もあります。

 

実際には安威城および安威砦は、中世に当地を支配した豪族、安威氏によって構築したとされます。

特に、16世紀の細川京兆家をめぐる家督争いの中で、当城が築かれたとされます。

 

 

 

東摂城址図誌によれば、「安威砦」については大永年間(1521~1527)に、

安威弥四郎によって築かれたとされます。

 

ただし、同時代の文献資料で当城の名前が出てくるのはごくわずかです。

 

同時代の軍記物「足利季世記」の大永七年(1527)年の項に、

摂津の各城と一緒に「安威城」が落城したとの記録があります。

 

 

足利季世記の記事を追って、当記事の前後の流れを追うと、以下の通りです。

安威城落城後に発生した桂川合戦は、畿内の権力が細川高国から細川晴元に入れ替わる契機となりました。

 

※Google Earth(https://www.google.co.jp/earth/)にて作成

※Google Earth(https://www.google.co.jp/earth/)にて作成

※Google Earth(https://www.google.co.jp/earth/)にて作成

※Google Earth(https://www.google.co.jp/earth/)にて作成

 

この後も安威氏は、時の権力者の庇護下に入り続けます。

 

天文18(1549)の江口合戦では、三好長慶方に参加し、政権に組み込まれるとともに、

後には、子の安威五郎左衛門了佐が、キリシタン安威シモンとして、豊臣政権下でキリシタン外交を担当しました。

 

そして、天正十四年(1586)に、安威了佐が居城を茨木城に移したことで、城の歴史は幕を下ろします。

 

 

安威城の地形および構造

安威城および安威砦は、茨木から豊能町方面に向かう、妙見街道に位置しています。

国土地理院の色別標高図で、当地の地形を見てみると、安威砦の尾根が突き出るように街道を抑えています。

 

つまり、安威城・安威砦は街道のボトルネックを抑える位置に築かれた城であると考えられます。

 

■安威城・安威砦の地形図

※国土地理院(国土電子Web)より作成https://maps.gsi.go.jp/#5/36.104611/140.084556/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

 

 

また、「東摂城址図誌」の絵図を基に、GoogleMapにトレスしてみます。

これを見ると外郭・内郭の2郭構造となっており、北側には突出部が存在することがわかります。

 

また、土塁についても記載されており、台地周辺の崖に沿って土塁が築かれていたのではと考えられます。

 

■安威城の構造

※Google Map(https://www.google.co.jp/maps)にて作成

 

 

また、安威城はH14・H22・H23に、発掘調査が行われています。

しかし、出土遺構は近世のものばかりで、中世の明確な遺構は見つかっていません。

 

というのも、この地域は中世から村として発展してきたため、土地がかく乱されてしまったようです。

 

 

■安威城の発掘調査地点

※Google Map(https://www.google.co.jp/maps)にて作成

 

また、大阪周辺については、国土地理院Webサイトより昭和20年ごろの航空写真が閲覧できます。

これで、現在の地形を確認すると、すでに住宅街として土地が利用されているのがわかります。

 

しかし、現在は宅地化されている内郭付近が森になっています。

この付近は戦前までは「御殿台」として、台地上の地形が残っていたとされ、これを指しているのではと考えられます。

 

 

■昭和20年ごろの航空写真

※国土地理院(国土電子Web)より作成https://maps.gsi.go.jp/#5/36.104611/140.084556/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

 

 

  現地の構造

さて、実際に歩いてみます。

今回安威砦には入れなかったので、安威城のみをめぐりました。

 

ただし、安威城はほぼ宅地です。

土塁などもあるようですが、入れる位置には存在しません……

 

 

安威砦遠景

安威川南側から安威砦を見ています。安威城は突出した地形となっているため、かなり目立ちます。

 

 

主郭付近

安威小学校と住宅地になっており、現況ではここに城があったことを推測することは難しいです。

ただし、右側に水路が走っており、これが堀の名残なのかもしれません。

 

 

 

内郭北側のライン

右手側が内郭です。

 

 

東側の土塁?

土塁があるとされている部分です。

写真上で森となっている部分は荒れた竹林となっており、入るのは困難です

(そもそも私有地だと思うので、入るのはやめといたほうがよいかと思います……)

 

 

城跡碑

この城にはきちんと城跡碑があります。

なお、この付近は道幅が非常に狭く、駐車をするのは難しいです。

 

看板のアップです。

※ここに井戸があると書いてありますが、完全に個人宅内にあるため、見ることは難しいです。

 

 

 

南側の地形

安威城周辺は、もともと道が狭いですが、ここは特に狭いです。

村だった時代の道がそのまま残っているのではないかと思われます。

 

 

大手周辺

大手の城内側です。

 

大手の城外側です。

右の護岸を見ると分かる通り、高低差があります。

 

これは自然の崖地形であり、安威城が高低差をうまく使った城ということがわかります。

 

以上です。

 

 

 

  参考文献

  1. 近藤瓶城 [原編]『史籍集覧』第16冊,臨川書店,昭和42. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3450057 (参照 2024-02-25)
  2. 平井聖 [ほか]編修『日本城郭大系』第12巻,新人物往来社,1981.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12208284 (参照 2024-02-25),p71
  3. 茨木市, 茨木市教育委員会 編『わがまち茨木』城郭編,茨木市,1987.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9576370 (参照 2024-02-25), p64-69
  4. 茨木市教育委員会「5.安威城跡」『平成14年度発掘調査概報』2003/3, p21-22
  5. 茨木市教育委員会「4.安威城跡」『平成22年度発掘調査概報』2011/3, p8-p11
  6. 茨木市教育委員会「12.安威城跡(AIC11-1)」『平成23年度発掘調査概報』2012/3, p30-31
  7. 高田徹「安威砦」『図説近畿の城郭Ⅰ』戎光祥出版, 2014/8, p273-275
  8. 中西裕樹「安威砦」『近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編』吉川弘文館, 2015/2, p44-45
  9. 中西裕樹「安威砦」『大阪府中世城館辞典』,戎光祥出版, 2015/8, p104-107