関西に来るまで、大阪と聞いて「都市・平野」というイメージを持っていました。
けれど、実際に住んでみると、意外と周辺部は自然豊かだなと感じます。
そのためか、北部と南部はいくつか城館が密集している地帯があります。
特に大阪北部、昔は摂津国北郡の東郷・西郷と呼ばれた地域には、
面白い城が複数あります。
今回は、その中の一つ、野間城を紹介します。
アクセス
大阪の山の中(能勢町)にあるので、基本的に自動車でのアクセスが必要です。
圓珠寺の駐車場をお借りするのがよいかと思います。
ここに限らず、お寺の駐車場を借りる場合、
法事などで多くの車が駐車する場合があるので、複数台で訪問するのは避けたほうがよいかと思います。
ルートについては以下の通りです。道がついているので登りやすいです。
(画像はGoogleMapより、情報は2023/11時点)
歴史
野間城については同時代資料がなく、詳しいことは分かっていません。
野間城は摂津国の北郡東郷という地域に立地しており、
ここの有力武士として、「能勢氏」がいました。
野間城は、この能勢氏から派生した一族である「野間氏」に築かれたとされます。
後世の文章では、天正十年(1580)に
織田方の塩川長満によって落城したとあります。
「信長公記」でも、天正九年(1579)4/28条に、
「有馬郡まで中将信忠卿御馬入れられ、是より直に野瀬郡へ御働、耕作薙捨」
とあり、廃城となったのはこの時期と思われます。
年表
ただし、織田軍の侵攻については、西郷には伝承があるのですが、
東郷には伝承がなく、正確なことは不明です。
構造
野間城は、山城の「野間城」と居館の「野間氏館」が一体となった構造です。
居館と詰城が一体となった城郭事例として取り上げられることが多く、摂津としては数が少なく、珍しい城です。
また、居館では発掘調査も行われており、庭園遺構が発見されるなど、
館部分には、実際に居住していたと推測される要素があります。
今回は主に「野間城」部分について取り扱います。
概念図
地形との重ね合わせ図
※等高線は、地理院タイル (標高タイル)を「Web等高線メーカー」サイトで作成
見どころは、
「入り口にある木戸のような施設」、「奇妙なひな壇地形」、「外縁部の曲輪にのみ見られる転石」、「主郭の内枡形虎口」、「背面の大堀切」などです。
それでは見ていきましょう!
①外縁部の曲輪の転石
山麓側の曲輪にのみ、小石が大量に転がっています。
この山が小石が多いので、自然に転がってきたのでしょうか?
登ってきた敵に対して石を投げるために、積んだというのは、
考えすぎでしょうか……?
②入り口にある木戸のような施設
日本城郭大系にも、「木戸跡かとみられるところも存在する」とありますが、
ここの事でしょうか(もしくは石灯籠のある所?)
城の中心部に位置する処に、人一人分くらいの平坦地があります。
ここには何らかの施設があったのでは、という気がします。
地形だけだと分かりづらいので、
画像加工して脳内イメージを再現してみました
こんな感じで、人が立てる段差が構築されています。
③奇妙なひな壇地形
②の入り口に背を向けて進むと、高さが2段に分かれた細長い曲輪があります。
ここには大岩があるのですが、なんだか意味深な気がします。
麓の館に庭園があったので、これももしかしたら……?
↓バインダーのおいてある位置が、高さが変わる部分です。
④主体部の3段の曲輪
②の木戸のある位置を上ると、3段の曲輪があります。
ここからが主体部ではないかと思われます。
木戸を上って現れる2段の曲輪。
城内側から見ると形態がわかりやすい。
最上段の曲輪。この上は主郭となっており5mほどの切岸が形成されている。
2021年にこの地域を台風が襲ったが、その影響を受けたのか、少し崩落気味。
③の地形を見下ろす。
⑤主郭
④の曲輪からスロープを上ると、主郭にたどり着きます。
まず最初にであうのが内桝形虎口です。
主郭に入るためにはいったん右を向く必要があり、
無防備な側面を攻撃されてしまいます。
こちらもイメージ画像を作成してみました。
主郭背面には土塁と櫓台があります。
ここから主郭側をのぞき込むとこんな感じです。
櫓台です。
大系の書かれた時代(1980年ごろ)には祠があったようですが、
現在は解体されています。
⑥主郭背面の大堀切
野間城の一番の見どころだと思います。
地形を見ると、野間城の両サイドは谷になっているのですが、
うまく自然地形に沿わせて堀切を落とし、ここにつなげています。
元々少しくぼみになっていたところをさらに掘り込んだような雰囲気があります。
堀切を渡ります。
対岸から主郭を望みます。
大きさのイメージはこのような感じです
(距離的には25mくらいでしょうか)
⑦最後の堀切
主郭背面には堀切を挟んだ、あまり成型されていない空間があります。
いくつか竪堀が落ちているのですが、これはもともとこのような地形になっていたようにも見えます。
最後の堀切を渡ると城域はおしまいです。
⑨野間館
今回、野間館部分はおまけです。
現況はこのような感じです。荒れた畑のようになっています。
山麓の尾根部分を彫り込んで作られているので、
「丘腹切込式」の館とも言われます。
背面には土塁があります。
野間館では、発掘調査が行われており、
園池(13m2、滝組・石組)が発掘されたとのことです。
このあたりだと思います。
また、西側には虎口状の地形があります。
館からは野間郷が一望できます。
領主が住むには、ふさわしい地形なのではないでしょうか。
以上です。
野間城はどの郭も藪化しておらず、
すべてのパーツを見て歩ける、大阪では稀有な城だと思います。
皆さまもぜひ訪問してみてください!!
参考文献・利用した資料、ツール
- 岡田徯志 『摂陽群談』下、歴史図書社、1969. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9572353 (参照 2023-12-16)
- 古川与志継「野間城・野間氏居館」『日本城郭大系』12、新人物往来社、1981、p49-50
- 「壬生于恒記」『大日本資料9編11集』、東京大学出版会、1987、p309
- 田中哲雄「中世城館の庭園遺跡」『ランドスケープ研究』61巻3号、公益社団法人日本造園学会、1997、p212-217、(
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/61/3/61_3_212/_article/-char/ja/
) - 中西裕樹「摂津国能勢郡西郷・東郷における中世城館構成ー築城主体の性格と「小規模城館」ー」『中世城郭研究』11、中世城郭研究会、1997、p194-219
- 中西裕樹「大阪府中世城館辞典」、戎光祥出版株式会社、2015
- 中西裕樹「戦国摂津の下克上 高山右近と中川清秀」、戎光祥出版株式会社、2019
-
GoogleMap
-
Web等高線メーカー
-
ぱくたそ
-
写真AC