三回にわたって展開されてきた、夜重の過去にまつわるエピソードのトリを務める今回。

ついに夜重の心のド真ん中でふんぞり返っている「鬼」を退治する時がやってまいりましたね。

 

既に上終がかつての少年時代の自身に精神を宿し、夜重の中で戦ってくれています。

我々にできることは、その上終を見守り、心から応援することだけでしょう。

 

 

しかし、「恋」とはまた随分とストレートなサブタイトルですね。

一口に恋と言っても、色々な想いや関係性がありますから、どういう意味なのかは、蓋を開けてみないとわかりませんけどね。

 

 

夜重が上終のことをどう思っているのか、本当のところはまだ正直分かりません。

ほっぺにキスをしたり、「鯉が恋するポーズ(仮称)」をしたことはありましたが、

それが本当に「夜重の恋心」によるものなのか、ただの気まぐれだったのかは、私には断定できません。

 

たぶん、夜重自身もそうなんじゃないですか?

自分が上終に対して抱くドキドキだとか、ぬくもりだとか、安心感みたいなものが、一体何なのか、どこから来ているのか、夜重自身もわかってないんです。

私が「上終のことが好きなんなら、ちったぁ上終の言うことも聞け」と指摘したように、もし夜重が「私は瓜生くんのことが好き」という自覚があったら、さすがにもう少し襟を正すはずですし。

 

 

上終が夜重のことをどう思っているのかについても、正直分かりません。

というのも、上終は明らかに「考えないようにしている」ように映ります。

「勘違いだったら恥ずかしい」「医者になる夢の障りとなる」「夜重を幸せにできる保証がない」などのいろんなことを、上終なりに総合的に考えた結果、「考えないようにする」という結論が導き出されたのでしょう。

 

 

さて、そろそろ本編のほうに参りましょうか。

 

 

引き続き、上終の中に眠っていた「記憶の世界」の中での物語。

前回のラストで、夜重は家の者に「連行」されかけましたが、その手を上終が引っ張って、走り去ってしまったのでしたね。

 

黒服の男達があたりを探しますが、上終と夜重は付近の民家にあった道具入れのような箱に隠れ、うまく撒くことに成功したようです。

 

ちなみにこのシーンは、「夜重が箱に入る」様子を描写することで、

「夜重は『箱入り娘』である」ということを表現しています。んなわけねーだろ。

 

 

追手が来ないことを確認して、二人は公園のベンチに腰かけて、一息つきます。

この公園は上終にとってナワバリというか、自分の庭みたいな感じなのでしょうね。

 

上終はサングラスの男達(と、その男達に伝言を頼んだ夜重の母)に対し、「せっかく家族が見つかったのに、言う言葉が違うだろ」という、前回の考察記事で私が書いたこととまったく同じことを口にします。

 

「いなくなった子どもが親と合流できたときに、親から言われて一番嬉しいのは『見つかってよかった』という言葉だ」という上終の考え方、ちょっと子どもらしくないですよね。

たぶんこれは「上終がきせき園の子を探す側になった時に『俺ならこう言うけどなぁ』という話」なんじゃないかな、と思います。

ただそれをそのまま言うと、「上終の、きせき園の子達に対する愛情の深さ」とか「上終も過去に迷子を捜したことがあるのか」みたいな本件に関係のないノイズが混じって、ややこしい話になってしまいます。

そのため、最終的にこのような発言としたのだと思います。この判断は、大正解だと思います。

 

ふと上終は、自分がきせき園の子の面倒を見る設定ことになっていたのを思い出します。

続いて、自分も夜重と同様に迷子扱いになっている可能性に気付き、青ざめる上終。

 

言いつけを守らない子に対して、舞昼先生は容赦なさそうですもんねぇ。

約束をすっぽかした上に、夜まで連絡ひとつよこさず遊びまわっていたとなれば、「数日間おやつ抜き」くらいは平然としてきそうです。

まぁその厳しさが、上終をはじめとするきせき園の子らを想う気持ちの裏返しであることは、言うまでもないですが。

 

 

焦る上終を見て、クスクスと笑いはじめる夜重。

夜重の笑顔を初めて見た上終がそれを指摘しますが、夜重はとっさに「笑ってない」と取り繕います。

夜重は緩んだ顔を必死で覆いながら「笑ったら怒られる」という、恐ろしいことを口にします。

 

そんな家あるんだ!?

生理現象まで制限するって、一体どういう教育方針なのでしょうか。

 

そもそも親って「子どもを笑顔にするため」の存在じゃないですか。

過激なことを言えば、子どもを笑顔にしようとしない親なんて、親の資格ないですよ。

 

居間のテレビで夜重の母がお笑い番組とか観てて、夜重がそれを見て笑ってしまったら、夜重は一体どうなってしまうんでしょうか。

「一乗寺、アウトー!」とか聞こえてきて、お尻をバットで叩かれたりするんでしょうか。

 

 

笑うことすら怖れてできない夜重の様子にただならぬものを感じたのか、「どうせ舞昼先生に怒られるのは確定だから」と言わんばかりに腹を括った上終は、夜重をある場所に連れ出します。

そこは、京都の夜景が一望できる、隠れスポット的な高台でした。

 

いやぁ、綺麗だなぁ。

京都は中学校の修学旅行で行ったっきりですが、ある子がピアスを持ってきていることがわかって、急きょ学年集会みたいなことになり、何も悪くない他の生徒も怒られた上、そのせいで京都タワーに行く予定がスキップされたことは、今でも心から恨んでいます。

 

上終は夜重に「ここなら何を言っても誰にも聞こえない」と言って、自由に叫ぶことを提案します。

「女の子を絶景スポットに連れて行くなんて、上終にしてはやけにオツだな」と思ってましたが、景色ではなく「自由に叫ぶこと」が目的だったようですね。

 

 

大きく息を吸い込んだ夜重が、心の中のモヤモヤを、すべて吐き出します。

 

「くたばれクソババアーーーーーっ!!!」

 

夜重は京都の夜景に向かって「自分のことは自分で決めたい」「自由になりたい」と、その心の内をすべてぶちまけました。

ここで「○ね」とかじゃなくて「くたばれ」なの、いかにも京都が舞台の物語っぽくて、なんかすごく好きです。(他意はないです)

 

その心の叫びをすべて聞き届けた上終は、夜重に「お前はもう自由だ、何ものにも縛られなくていい」と話します。

そして夜重に優しく「お前がどこにいっても、必ず探してやる」と語り掛けました。

 

この「探してやる」っていうの、八話で上終が夜重に言ったのと、同じ内容ですね。

八話で上終が夜重に言った言葉が「夜重が美人のお姉さんだから」とか「いなくなられたら迷惑だから」ではなく、上終の真心から発せられたということを、窺い知ることができます。

 

 

まぁ、いち小学生に過ぎない上終が「縛られなくていい」だの「必ず探してやる」なんて言ったって、ハッキリ言って何も変えられません。

しょせん「できるかどうかわかんないけど、夜重を想ってそう言った」だけです。要するに、気休めです。

 

ですが、夜重がこの言葉をどれほど頼りにして、ここから先の人生を歩んできたかと考えると、なんていうか、胸がじわ~んとしますねぇ。

 

言葉の力って、すごいですよね。

ほんの一言二言の言葉が、人の心を救い、その後何十年という人生を支え続けることだって、あるんです。

言霊(ことだま)」ってやつですね。

 

私もいつか、自分の言葉で誰かを幸せにできる男になりたいなって、心から思いました。

こんな記事書いててそれができるようになるって思ってるんなら甘いよ

 

 

やがて、上終の精神は、現在の世界へと戻ってきていました。

親子で楽しめる体験型アトラクションは以上となりま~す。

 

上終は、見事夜重を見つけることができていました。

夜重は疲れ果てて眠ってしまっているようですが、ケガはないようです。

今の夜重の様子を見て「夜重がどのように転落したのか」や「どのようにしてここまで移動したのか」、あと「なぜ服の胸のところがはだけて、ツインドライブシステムの谷間が露出しているのか」等については、推し量ることはできません。

 

 

うーん、ここの「夜重がまったくの無傷だった」というのは、なんかちょっと、うん。

 

あっ、今「またこいつ、なんかめんどくさいこと言おうとしてるな」って思ったでしょ。

違うんです。別に「夜重に怪我をしててほしかった」なんて言ってるわけじゃないんです。

ですが、「夜重が無事だったこと」について、何かしら納得のいく描写が得られないと、なんかこう、イマイチだなぁって思っただけです。

 

「ほならね、自分で作ってみろって話でしょ」と思う人もいるでしょうから、私も一肌脱ぎましょう。

上終を導いた狐面が、夜重のことも守ってくれていた」というのはどうでしょう。

これなら、狐面が上終を夜重の居場所まで導くことができる説明にもなっています。助けたんなら、夜重の居場所も知ってるはずだもんね。

 

まぁあの狐面が、上終や三姉妹にとって、敵なのか味方なのかは、まだわかりませんけどね。

 

 

上終は夕奈達に連絡を取り、夜重の無事を知らせた上で「お稲荷さんの出入り口で落ち合う」ことを伝えます。

その連絡を見て、安堵する夕奈、朝姫、そして安心まこちゃん

 

この時、スマホのメッセージアプリのような感じで、両者のやりとりの様子が表示されるのですが、上終のアイコンは、どうやら「デフォルト」のようです。

アカウントを作って、まだ何も設定していない時に、とりあえず表示してくれるアレです。

SNSで知らない人からフォローされた時に、その人のアイコンがそれだったら「こいつ、何が目的なんだ?」と身構えるアレです。

 

実は十一話のラストでも、夜重が上終とメッセージをやりとりする際に、メッセージアプリの画面が描写されました。

その時の夜重も、この時の夕奈も、アイコンはどちらも「猫」でした。夜重は黒猫、夕奈は茶猫ですね。

それに対して上終がデフォルトっていうのは、なんか無粋な感じがしますが、これは男子と女子の違いもあるでしょうが、「他の連絡先」が関係しているのだと分析しています。

 

 

上終のスマホに登録されている「他の連絡先」について、考えてみましょう。

 

感想記事では省いていましたが、六話で上終にSeeDの正装転校先の制服を渡すために舞昼先生が連絡してきた際、舞昼先生は連絡手段としてメッセージアプリを使用していました。

なので、上終は舞昼先生の連絡先は知っています。

 

余談ですが、舞昼先生のアイコンは「桃色の折り鶴」です。理由は皆さんで考えるように。

 

舞昼先生用と三姉妹用でいちいちアカウントを分けたりしていない限りは、「三姉妹と連絡するアカウントに設定されているアイコン」は、舞昼先生からも見えます。

上終が自身のアイコンに、アニメやゲームのキャラとかを使ってたら、舞昼先生に「こいつガキかよw」って笑われますよね。

三姉妹関連の写真とかを設定していたら、それこそ恥ずかしいですよね。

かといって、ネットで適当に拾ってきた、当たり障りのない風景とか、バイクとかの写真にしても「センスねーな」って思われますよね。

 

とりあえず、何を設定しようが、「舞昼先生に、変な風に思われる」可能性は、ゼロにできないんですよ。

舞昼先生に対して「強くてかっこいい上終瓜生像」をキープする上で一番楽なのは、アイコンをデフォルトのままにして、「アイコンなんかに頓着していない」ふりをすることですよね。

これが私の考える「上終のアイコンがデフォルトである、最大の理由」です。

 

上記はただの妄想に過ぎませんが、こういう色々と考えさせられる描写を散りばめてくれるところも、本作「甘神さんちの縁結び」に数多く存在する「細かいこだわり」のひとつと言えるでしょう。

 

ちなみに私のLINEのアイコンは、ポケモンGOで捕まえた「オスの色違いミツハニー」です。

世にも珍しい色違いに生まれながらも、オスだというだけで、どれだけ頑張っても何も変わらない一生を過ごす」という彼を見て、ただならぬシンパシーを感じたからです。



あっそうだ。朝姫のアイコン、当ててあげましょうか?

白猫…と見せかけて、巫女服を着た、朝姫自身の自撮りでしょ。そうに違いないです。

いつか答え合わせできたらいいなぁ。

 

 

お稲荷さんの出入り口を目指しながら歩く上終と夜重。

夜重は上終に、心配や迷惑をかけたことに対する謝罪と、見つけてくれたことに対する感謝を述べます。

 

パッと見、もう何回聞いたかも忘れた、夜重の「いなくなったことや、探してもらったことに対する『表向きの謝罪と感謝』」です。

ですが、「今度こそ本当にそう思っている」と信じさせてくれる雰囲気が、この場にはあります。

まぁ今回は自分の意思でいなくなったわけじゃないので、責めるつもりはないですが。

 

 

ついに上終は、夜重に対して重い口を開きます。

「一乗寺澪子」について、確認しなきゃいけませんもんね。

 

夜重の本名に触れる上終に対し、夜重は自分が「一乗寺澪子」であることを、あっさりと認めました。

そして、「一乗寺澪子は、甘神夜重に生まれ変わったのだ」と言いました。

なるほど、忠告まこちゃんが言っていた「一乗寺澪子はもうこの世にいない」というのは、「生まれ変わったから」という意味だったんですね。

 

でもそれ、あんまり納得のいく説明じゃない気がするなあ。

別に「一乗寺澪子の死亡届を出して、甘神夜重として戸籍を取得しなおした」とかではないので、「生まれ変わった」なんて言っても、乱暴に言えば「勝手にそう言ってるだけ」です。

現に、免許証は「一乗寺澪子」の名で作っているじゃないですか。夜重がいくら心の中で「自分が一乗寺澪子である」ことを否定していようとも、夜重は今後も「自分は一乗寺澪子である」という事実から、逃れることはできないのです。

それなのに本件を「これからも夜重のことを『夜重』と呼べば済む話」で終わらすには、事が大きすぎやしませんか。

 

 

その後、夜重は自らが「一乗寺澪子」から「甘神夜重」に生まれ変わるまでの話をします。

 

先ほどの親子で楽しめる体験型アトラクションにおける「愛の逃避行」が一因となったのか、夜重はかつての母から、勘当を言い渡されます。

この時の夜重の心境について、「毒親からようやく解放されて、清々しただろうね」と考える方もいるでしょうが、私はそれよりも「見捨てられたことの落胆」の方が大きかったんじゃないかなぁって思います。

自身の何もかもを束縛する母を「くたばれ」とまで言った夜重ですが、肉親から面と向かって「お前はこの家には不要だ」と言われて、何も思わないはずはなかったと思います。

 

 

天涯孤独となった夜重は、とある神社に連れてこられます。

そこにいたのは、甘神ママ不自然な光が差していて、顔は見えませんが、甘神ママの生前のお姿がはっきりと描写されるのは、今回が初めてですね。

 

甘神ママは夜重に「甘神夜重」という今の名前を与え、既に甘神家に生を受けていた夕奈や朝姫とともに、我が子のように育てていくのでした。

妹達との交流の中で、夜重が笑顔を取り戻し、だんだんとクルクルパー今の夜重に近づいていく過程が、優しく描かれています。

 

 

甘神ママと夜重がどれくらいの時間をともに過ごしたのかは、各描写から断定することはできません。

ですが、

親子で楽しめる体験型アトラクション内の上終は、ランドセルをしょっているが、言動的に小学校低学年には見えないため、「10~12歳」と推測されること

・夜重は上終の2歳年上なので、この時「12~14歳」程度であること

・九話における月神さんの回想によると、夜重が14歳の時点で既に甘神ママは亡くなっていたこと

上記のことから、「甘神ママと夜重がともに過ごしたのは、長くて2年程度の、ほんのわずかな間のこと」だったことが窺えます。

 

しかも、なんだかんだ言って夜重から見て甘神ママは「継母」です。

それでも夜重が、大人になった今もなお甘神ママのことを大切に想っているということは、「甘神ママが夜重に対して、尋常ではない量の愛情を、短期間でしっかりと与えることができていた」ことを意味しますね。

具体的にどのように過ごしたのかは想像の域を出ませんが、それができたことは事実なので、甘神ママはまさしく「親の鑑」と呼んで差し支えないですね。

 

 

しかし甘神ママ、夜重の改名は考えなかったんでしょうかね。

私は甘神ママが何のわけもなく「夜重が嫌っているはずの一乗寺の名を、夜重に背負わせたままにする」なんて愚かなことをする母親だとは露とも思っていないので、きっと理由があるのだと思います。

甘神ママが「いくら夜重が一乗寺家から捨てられた身だとしても、名前は親から貰った大切な宝物だからと、夜重からそれを奪うのをよしとしなかった」ということであっても、十分な理由になると思います。

 

てっきり自分は改名しているものだと思い込んでいた夜重が、免許証を取るために住民票を取得してみたら、そこにデカデカと「一乗寺澪子」と書かれていて、「私の名前、変わってなかったんだ!?」とか思いながら、書類に一乗寺澪子の名を書くところを想像して、ちょっと笑っちゃったけども。

 

 

すっっっごく余談だけど、私この「一乗寺澪子」っていう名前、どうしても覚えられないんですよね。

覚えられないんで、今まで書くときもほぼすべて「前に書いたところからコピペする」対応をとっています。

本作に対する何かしらの感情がそうさせているのかも知れませんが、もしこの名前が「絶妙に覚えにくい名前」を狙ってつけられているのだったとしたら、お見事と言うほかありませんね。

 

 

ここで上終が「自分だけ秘密を知っているのは、フェアじゃない」とか言って、

かつて自分がおねしょをしたエピソードを打ち明けますが、ぶっちゃけサムいと思ったので、スルーします。

 

いや、ほんとサムいです。サムすぎます。

上終にとって「夜重が今まで本名を隠していたこと」は「上終が今までおねしょのことを隠していた」と同等の、まぁ言っちゃえば「バレても大したことないこと」ことなんでしょうか。

おねしょの件だって上終にとっては重大な秘密なのでしょうが、100人に聞いたら100人が「バレても大したことないこと」と答えると思います。

 

まぁ確かに、私も十一話で夜重の本名が明らかになった時から思ってたんですけど、

夜重の本名が違ったからって、何も変わらないですよね。

夜重がいなくなるわけでも、夜重と結ばれなくなるわけでもありません。

夜重が甘神家の実子でないことは明らかになってしまいますが、それが夜重の評価を落としたり、夜重の立場を脅かすきっかけにはなりません。

夜重が甘神家に来た時点で甘神家にいた夕奈と朝姫は「夜重が本当のお姉ちゃんではない」ことはとうに知っていますし、今だって夜重はまるで本当の妹のように、夕奈や朝姫のことを愛しているんですから。

 

それでも、夜重は自身の正体をひた隠しました。

妨害まこちゃんも、あの手この手で上終が「真実を知ること」を阻止しようとしました。

彼女達は「『バレても大したことないこと』を上終が知ることを、必死に怖れていた」ということでしょうか。

 

つーかこの対応、上終にその気があるかは知りませんが、完全に茶化してますよね。

お前の悩みなんて、俺が寝小便したくらいの、しょーもないことだろ」みたいな。

上終瓜生という男が、根本的に「相手の気持ちを考えて、ものを言う人間ではない」という点は、一話で「神社の子に対して『神なんていない』と言い放つ」なんてことをした時から、何も変わっていなかったんですね。

今思い出しましたが、この作品の世界の人達って、そういう人達ばっかりでしたね。

 

 

あとですが、前回のラストで上終は「過去の自分の行いが、夜重の人生を変えてしまった」と述懐しました。

これを見て私が「本作にしか出せない味」と感心したことはみなさん覚えているでしょうが、やれやれ、肩透かしを食らってしまったようですね。

 

「変えてしまった」という表現からもわかるように、前回ラストにおけるこのセリフは明らかに「あの行いは、夜重にとって悪い方向に作用した」というニュアンスで語られました。

しかし蓋を開ければ、あの逃避行によって夜重が損をしたことは、ひとつもありません。

勘当にはなりましたが、上終がそれを「俺が引き起こしてしまった災難」と捉えているんだとしたら、上終は「夜重をあのまま一乗寺家に帰して、一乗寺家の娘のままにしておいた方がよかった」と言ってることになりませんか。私には、まったくそういう風には思えないんですけど。

今後何かしらの「夜重がした『損』」が暴かれるのかもしれませんが、今の上終がそれを知っているわけはないので、その線もないと思います。

 

この件についてはきっと、作者が何か勘違いをしているわけではなく、単に私が「騙されてしまった」ということなのでしょうね。ちくしょう。

 

 

上終と夜重は、お稲荷さんの出入り口で夕奈、朝姫、お迎えまこちゃんと合流します。

夜重に抱きつき、大声で泣く夕奈と朝姫。

 

朝姫が夜重に「ごめんなさい」と、決して朝姫が悪いわけじゃないのに謝っていますが、

この時に夜重が何も言わないのって、「夜重は転落したことを朝姫のせいだと思っていて、それを許す気はない」ってことだったりして。いや冗談ですけど。

 

 

その様子を見ながら、上終は見守りまこちゃん…竹田さんに声を掛けます。

 

竹田さんが言うには、今まで夜重が自分の正体を隠していたのは、竹田さんが「絶対に話さないように」と釘を刺していたからもであるそうです。

なぜ竹田さんがそのような釘を刺していたのか、理由は推し量れません。考察もできません。あまりにも判断材料がなさすぎるからです。

 

竹田さんは上終に「あんたなら、夜重の運命を変えてくれるのかもね」とも言いますが、ここで言う「運命」ってなんのことでしょう?

「一乗寺家で押し付けられていた、夜重の未来」のことであれば、それはとっくに抜け出しました。

夜重の心にはまだ、なんらかの事情が隠されているのでしょうか?

 

上終が夜重の真実を知れば、上終の夢は叶わなくなる」という竹田さんの脅しの意味も、結局わかりませんでした。

まあそれは、竹田さんのいう「上終の夢」が、「医者」のことなのか、「婿養子」のことなのかが、はっきり示されていないからってのもありますが。

 

 

竹田さんの発言の多くが意味不明なことについて、実は本作の「オカルト要素」が絡んでいるのではないかと読んでいます。

この場面は「竹田さんがわけのわからないことを言っている」のではなく、「本作のオカルト要素が紐解かれたところで、ようやく竹田さんの言っている意味が分かる」という仕組みではないでしょうか?

 

そう考えると本話は、夜重の過去を清算するエピソードであるとともに「今後、本作の軸足を『ラブコメ』から『オカルト』に移していく上でのブリッジ」という見方も可能なのではないでしょうか。

 

それならば、何の前触れもなく狐面が出てきたことについても、それで説明がつきますね。

本話はテレビアニメ「甘神さんちの縁結び オカルト編」のプロローグなのですよ。

 

さらに言えば、夜重の「生まれ変わった」というのも、「勝手にそう言ってるだけ」ではなく、本当にオカルトパワーで生まれ変わっているのかもしれませんね。

そこまでなったらもう、作中の描写で真相を探る営みは、不可能になってしまいますけど。

 

 

「オカルト」というのは、考察するのが非常に難しい題材です。

オカルト要素が出てくる作品には、「そんなことは起きないはずだ」という前提が通用しないからです。

「起きないはずのことが起きる」のがオカルトです。死者が蘇ろうが、時間が巻き戻ろうが、そういった非ィ現実的な展開が許されるのが、オカルトというジャンルです。

しかも、起こる出来事が摩訶不思議であればあるほど「展開に予想がつかない、おもしろいもの」として評価されるのが、オカルトというジャンルです。

 

 

「起きないはずのこと」には、大きく分けて2種類があります。

 

まず、「科学の常識に照らせば、まず起こらないであろう現象」、有り体に言えば 「ファンタジックなこと」です。

例えば、「虚空から飲み水を発生させる美少女」みたいなもんですね。黄金水?

 

もうひとつは、「その状況で、そのようなことが起きることが考えられない現象」、難しい言葉を使えば「蓋然性のないこと」です。

虚空から飲み水を発生させることができるはずの美少女が、砂漠の片隅で行き倒れていた」といった感じです。

 

 

問題は、オカルト要素のある作品って、この「ファンタジックなこと」と「蓋然性のないこと」の見分けがつかないことがあるんです。

 

例えば、「コインを100回投げて、全部表だった」なんてこと、まず「起きないはず」ですよね。

でもこれが「オカルトの力によって引き起こされた『ファンタジックなこと』」なのか、「ご都合主義の『蓋然性のないこと』」なのか、見分けがつかない場合があるのです。

 

私が今後考察を続けていく上で、「オカルトの力で起きた『ファンタジックなこと』を、私が『蓋然性のないこと』だと思い込んで、指摘したり、それに基づいて誤った考察をする」という失態を犯す可能性があることを、私は何よりも怖れているのです。

 

 

本作にまつわる話で例を出せば、下記のような展開があったとします。

・朝姫が突如パンツを頭にかぶり「ディンゴ!ディンゴ!アプー!」とか叫びだす

・それを見た夕奈が、はがきを口にくわえて新宝島ボックスステップを踏みはじめる

・しまいには夜重までもが、アツアツのおでんで積み木を開始する

 

たぶん私は、全員に対して「何やってんだおめーらぁ!」ってツッコミを入れると思います。

でもこのエピソードの真相が、

・朝姫は悪霊に取り憑かれていた

・夕奈はその悪霊を払う儀式をしていた

夜重はただふざけているだけだった

だったとしても、気付きようがねーんですよ。

 

 

もうひとつ言うと、「オカルトなんだから、何をやっても許される」というのも違います。

いくらオカルトを扱う作品でも、さっき言った「蓋然性のないこと」は、可能な限り取り払う必要があります。

各人物が非合理な言動や、まず起こり得ない偶然をアテにした行動を繰り返すような作品は「展開に予想がつかない名作」ではなく「展開に共感できない駄作」です。

 

 

私の「作品を読む力」が、オカルトという武器を得てさらに強大になりつつある本作に、どこまで通用するのか。私自身、不安でいっぱいです。

 

 

…ところで、夜重さん。夕奈さん。朝姫さん。

ちょっとだけ、言いたくないことを言わせてくださいね。

上終さんと竹田さんも、そこで一緒に聞いていてもらえますか。

 

あなた達、お稲荷さんに何をしに行ったんでしたっけ。

肝試し?いいえ、違います。それはあくまで、夜重が考え出した「上終と二人になるための口実」です。

夜重が肝試しなんて言い出す前から、あなた達はお稲荷さんに入り、幾重にも並んだ鳥居をくぐりながら、移動していたはずですよ。

 

思い出せないなら、教えてあげましょう。

あなた達、「山頂に行って、お参りする」つもりでしたよね。

 

疲弊しているはずの夜重や上終の身を案じて、今日は無理しない方がいいというのは、ごもっともです。

想定外の出来事が起きて、時間もかかっちゃったはずですからね。明日のことを考えて、今日はさっさと帰って寝るというのが、まともな思考でしょう。

飲み会に参加した後、ロクに休まずに車を走らせ続けてくれた竹田さんも、さすがに今日はお疲れでしょうからね。

 

でも、「綺麗なところだったね。今度、みんなでちゃんとお参りしに来ようね」とか、「夜重が無事に戻ってきたのも、きっと神様が助けてくれたおかげだから、そのこともきちんとお礼を言わなきゃね」みたいなことは、誰一人言いませんよね。

神様、お休み中のところをお騒がせして、本当にごめんなさい」すら、言いませんよね。

 

私が怒ってるのはぁ!!!!!

あんたらのそーゆーとこなんですよぉ!!!!!

 

もしあんたらが「山頂はあくまで肝試しの目的地として設定しただけで、別にお参りがしたかったわけじゃない」って言うんなら、なんていうか、もういいよ。

 

最後にひとつだけ忠告しとくけど、このお稲荷さん、二度と行かない方がいいぞ。

本作もオカルト展開を始めるらしいし、そんな心霊スポットか何かみたいな感覚で何度も立ち寄ってたら、次は朝姫が膝をすりむいたり、上終に谷間を見られる程度じゃ、済まないだろうからさ。

 

 

タクシーまこちゃんは上終と三姉妹を甘神宅に送り届け、そのまま車で走り去っていきました。

「さすがにもう寝ないと」と、玄関で解散する上終と夕奈、朝姫。

 

夜重はこの場にはいませんが、既に自室に戻っていたようです。

夜重は自身のせんべい布団に身を投げ出し、抱き枕に顔をうずめてジタバタしながら、

瓜生くんのこと、好きになっちゃんたんだ」と、自身の恋心を噛みしめました。

 

 

このセリフですが、まぁ真相がどうなのかは原作者の内藤マーシー先生にお伺いするしかないのでしょうが、

私の解釈は、「今日の出来事で、上終を恋愛対象として意識しはじめた」ということではなく、

今の私が、過去の苦しみや悲しみから解き放たれて幸せに生きていられるのは、上終を想い、愛する心に支えられているからだということに、今日気付かせてもらった」ということです。

 

あと、作者がそれを意識しての言葉選びかはわかりませんが、「好きになっちゃった」という表現は、前回夜重が朝姫に上終への恋心を確認したときと、まったく同じです。

なので、「私ったら、瓜生くんのことが好きなのかを朝姫に確認してたくせに、瓜生くんのことが好きなのは、私の方だったんじゃん」というニュアンスを含むのかな、という見方もできますね。

もしこれが本当に狙ったものであったなら、内藤マーシー先生の恋愛描写は、まさしく神の領域と呼んで差し支えないレベルにありますね。

 

 

それから、しばしの時が流れました。

壁の日めくりカレンダーは、「6月15日の土曜日」を指しています。

 

ちなみに、本記事を書いている2025年現在、「6月15日が土曜日だった年」で最も近いのは、一年前にあたる2024年です。

夜重の免許証にも「令和」の文字がありましたが、本作が「令和の世の出来事」であることは、間違いないようですね。

 

 

滝のような汗を流しながら、自室で勉強を進める上終。

本格的な夏はまだまだ先のはずですが、この時点で既に、うだるような暑さが甘神家に襲いかかっているようです。

 

 

勉学に勤しむ上終の後ろで、しれっとくつろいでいる夜重。

まるで自分の部屋かのように、クッションを両肘の下に敷いて、うつ伏せで漫画本を読んでいるのでした。

 

この時に夜重が読んでいる本のタイトル、私が好きな作品にそっくりですね。

 

 

さて、ここからは本作の感想記事シリーズ名物「本作アニメスタッフのこだわり確認コーナー」のお時間です。

 

夜重が本を閉じるシーンで、そのページの内容がほんの一瞬だけ描写されるのですが、

スローモーションで確認したところ、なんと漫画「甘神さんちの縁結び」そのものでした。

場面は、アニメでいうと五話。例大祭当日、ビラを配る上終に舞昼先生が声をかけるシーンです。

原作でいうと何巻にあたるのか、そもそも実際の漫画が元になっているのかも不明ですが。

 

あと、今そこを読んでいるってことは、もう少し読み進めると「自分が上終のほっぺにキスをする」シーンを目の当たりにすることになります。

あのキスは割と脈絡なくというか、雰囲気とか考えずにいきなりしちゃった感じがあるので、今漫画を読んでいる夜重にも、おそらく予想がついていないでしょう。

突然のキスシーンに驚いた夜重が、クッションに顔をうずめてジタバタしはじめ、それを見た夕奈や朝姫が「なにしてんの、夜重姉…」と呆れる姿が、目に浮かぶようです。

 

というか、「作中の人物が、その作品自体を読んでいる」っていうの、なかなか面白いメタ表現ですよね。

まぁ今はあくまで「本作アニメスタッフのこだわり確認コーナー」に過ぎないので、創作の技法とかの小難しい話をする気はないですけど。

 

とりあえず、私の目はごまかせませんよ!

 

 

夜重は「お姉ちゃんのこと、変な目で見ちゃうのかな?」と、上終を誘惑します。

様々な奇行を繰り返す夜重を我々視聴者が「変な目で見ている」のは事実ですけど、夜重が言っているのは、たぶんそういう意味じゃないと思います。

 

前述のとおり、夜重について「なるべく考えないようにしている」はずの上終ですが、さすがにこれは耐えられません。顔を真っ赤にして、必死にスケベ心を抑え込みます。

むしろ、今までよく耐えていると思います。私だったらとっくに「残り香をかぐ」とか「使ったスプーンを舐める」くらいのことはしていると思います。キモッ。

 

 

いやしかし、私は前回の感想記事にて「朝姫が夜重に『上終への恋心』を隠す理由」を考察した際に「朝姫の気持ちを知った夜重が、自分の恋心にムチを入れる」ことを懸念しましたが、完全にその通りじゃねーか!

まぁ現状は夜重のアプローチの理由が「朝姫に対する対抗心」ではなく、シンプルに上終への恋愛感情によるものなのですが、今後の朝姫のムーブ次第では、夜重がどんな手段に出るかは、誰にもわかりませんよね。

 

上終はとことん顔を赤らめましたが、夜重のアプローチを「茶化している」と受け止めることで、堪えてしまいました。

夜重が思っているほど、上終の心を掴むのは、そう簡単なことではないようです。焦んなくていいよ、朝姫。

 

 

やがて夜重は上終の部屋に扇風機を持ってきて、涼みつつ勉強する上終を眺めて、大学の課題であるデッサンを始めます。

 

この時に夜重が持ってくる扇風機、むちゃくちゃ古いタイプです。

ナショナル社(現パナソニック)が1970年代に販売していた「松風」とかに似たやつですね。いや俺より年上じゃねーか。

 

 

上終は「夜重は自分が好きなのだろうか」と思案を巡らせかけますが、「夜重は家族だ、余計なことを考えるな」と、必死に自分を律します。

 

ここの上終、「俺達は姉弟なんだから、好きになっちゃいけない」と言ってるわけじゃないです。

彼らは、今は姉弟といえど、最終的には結婚する可能性のある間柄なので。

姉からのスキンシップを、異性からの好意であると勘違いしてはいけない」って言ってるわけですな。

年上の女性からの戯れを本気にして、その女性を好きになっちゃうのって、高校生の男子からしたら、むちゃくちゃダサいことですもんね。

 

一方夜重は、自分が書いた上終の横顔のデッサンに「好き♡」と書き添え、それを見て恍惚の表情を浮かべます。

あーちくしょう。これ見て、青春時代に「好きな子の名前をノートに書いて、それを見つめながら妄想にふける」なんて最高に気色悪いことをしていたのを思い出しちまったよ。

 

 

「男女の穢れ」を嗅ぎつけて、突如部屋に乱入してくる夕奈と朝姫。

 

朝姫はどうやら、上終の恋人の座を夜重と争う上で、夕奈を味方につける作戦に出たようです。

夕奈はそもそもとして「巫女が異性と必要以上にベタベタすることは、よくないことだ」と考えているので、必要以上にベタベタしようとしている夜重を大人しくさせることは、夕奈自身の本懐でもあります。夕奈もきっと全力を尽くして戦ってくれるでしょう。

それでいて、朝姫は「上終争奪戦において、夕奈は大敵ではない」と見ているので、夜重に身を引かせた後、夕奈が上終を掠め取ってしまうといった心配もありません。

 

こういう、利害の一致を見抜いて味方を決める戦略眼というか、フットワークの軽さというか、朝姫ってやっぱ賢い子なんだなぁ。

中原の覇者となった曹操に対し、孫権と手を組んで対峙する劉備みたいだ。

 

 

あと、ここの夕奈を見て思いましたが、この子って明らかに「お尻が大きい女の子」としてデザインされてますよね。

十話で上終がバラムガーデンで桃源郷を見たときにも、かなりのええケツを披露していましたしね。

バラムガーデンとか桃源郷とか、途中から読んでる人達はなんの話してるかわからねぇって。

 

 

騒ぎ立てる夕奈と朝姫に対し、上終の勉強を邪魔しないよう筆談で「課題をやっているだけ」と抜かす夜重。

それを見て引き揚げようとする素直な夕奈に対し、上終の部屋に入り込み、顔を赤くしてとどまる朝姫。

 

劉備曹操が「撤退すると見せかけ、長江を南下し、荊州を攻める」つもりであることを見抜き、陣を構えたのでした。

その様子を見て「曹操も脅威だが、荊州に居座る劉備もまた、排除せねばならぬ敵である」と見た孫権は、そのどちらもを討滅せんと、自らも将剣を手に、軍を進めます。

 

ここ赤壁の地で、三英雄の決戦の火蓋が切って落とされます。

実況はわたくしジョン・カビラと、解説は元日本代表・北澤さんでお送りします

 

 

上終の部屋に腰掛けた三姉妹。互いに牽制しあうような空気の中、夜重はデッサンを続けます。

どうやら上終はイヤホンをつけてリスニングの勉強をしているらしく、その背後で行われている赤壁の戦いの様相には、まったく気付いていません。

 

ふと夜重のデッサンをのぞき込む夕奈。そこには、先ほど書いた「好き♡」の文字が。

それを見て、顔を真っ赤にする夕奈と朝姫。

 

この時の夕奈と朝姫の「ッァーーーーーッ!!!」みたいなリアクション、俺が駿河屋でかわいいフィギュアを見つけた時と同じ反応で草。

 

 

夕奈はスマホを使った筆談で、夜重の上終に対する恋心を確認します。

夜重は「そんな風に見える?」と筆談で返します。見えなかったら、聞かねえよ。

 

続けて夜重は「まだ告白はしていないし、するとしても瓜生くんの受験が終わるまで待つつもり」と、筆談で伝えます。

まだ荊州が健在であると知り、一度は安堵する劉備孫権

 

しかしその後、夜重は「それまでにいっぱいアプローチしなきゃね♡」「私が瓜生くんと結婚して、神社を継ぐから♡」と、同盟に対して堂々と宣戦布告します。

 

思わず声をあげてしまいそうなこの一大事にも、頑なに筆談を貫く夕奈と朝姫、器用だなぁ。

っていうか朝姫が「なんだってー!」と入力する前提で「な…」で止めてる夕奈、お前おもしれー女だな。

 

 

でも、夜重の心理を考えたら、この宣言って、一体どういうことなんだろう。

 

夜重は朝姫のお姉ちゃんですから、今までのやりとりから「朝姫は上終のことが好き」であることくらい、とうに見抜いています。

「夜重が上終を狙うことを宣言をすれば、その上終のことを好きな朝姫は、大層ショックを受けるはず」ってことくらい、いくらクルクルパーの夜重でも、さすがにわかると思います。

 

 「朝姫がショックを受けるとわかっていて、あえて宣戦布告する」っていうの、まぁ夜重のマイペースっぷりを考えたらさもありなんですが、これまで見せてきた「妹達を大切にするお姉ちゃん像」とは、いささかかけ離れている気がしますよね。

 

夕奈に対してもです。夕奈が夜重のアプローチを見張ったり、宣戦布告に驚愕するのは、あくまで「巫女は節度をわきまえるべき」という思想によるもので、上終に対する恋心によるものではないかもしれません。

ですが、「夜重が上終と淫らな関係になることを嫌っている」ことに変わりはないですよね。

夜重もその夕奈の考え方は、ちゃんと知っているはずです。

 

それなのに、夜重は「上終はワシのもんじゃ」と、臆面もなく天下餅に手を伸ばしました。

このことを「夜重は『上終の妻』の座を手に入れるために『三姉妹の絆』を捨てようとしている」のだと捉えると、それは本当に恐ろしいことですね。

夜重と妹達が血の繋がった姉妹でないことが明らかになった矢先に、夜重がそんなことをしたら、なんだか夜重が「偽りの姉妹の絆など、しょせんその程度のものだ」と考えている風にも見えちゃうじゃないですか。

今回の「夜重が『上終に嫁いで神社を継ぐ』意志を妹達にはっきりと宣言する」というこのシーンは、単なるラブコメの一幕にとどまらず、甘神夜重というキャラクターのデザインそのものを大きく揺るがすような、まさしく大事件だと受け止めています。

 

ま、夜重もまたこの世界に掃いて捨てるほどいる「そういう人間」の一人ってだけかもしれませんが。

 

 

結局三姉妹は上終に見つかり、荊州から軍を退くことになりました。

本話は「三姉妹が言い訳する声を流しながら、夜空を映す」という、いたって古風な「ちゃんちゃん」演出で締められますが、

夜重の宣言が三姉妹の絆に大きな禍根を残すことを懸念している私は、笑うに笑えませんよ…。

 

 

今回は以上ですが、本話の次回予告を見て、驚いたことがあります。

それは、「三姉妹が巫女姿をしている」ことです。

 

前回の考察で話した通り、本作にとって巫女は「降着装置」です。

一度離陸してしまえば、しまっておいても問題のないものです。

第二クールが本格的にスタートするこのタイミングで、彼女達が再び巫女服を纏うというのは、本作が「一度着陸して、改めて目的地に向けて飛び立つ」ことを意味しているのではないでしょうか?

 

一度「着陸」したのは、本作が「オカルトつきのラブコメ作品」から「ラブコメつきのオカルト作品」へと移行するためです。

そして、その「目的地」こそが、まさしく本作の結末でしょう。これは心が躍りますね。

 

まぁ商業的な面で言うと「第二クールから興味を持った人のために、もう一度巫女姿の三姉妹を見せておく」ってことなんだろうけどなぁ。

 

 

また、次回から採用される新しいオープニング・エンディングにも期待しましょう。

オープニング映像だけは一度だけ見ましたが、私これ大好きです次回の感想記事で、ちょっとだけ語らせてください。

 

 

折り返し地点を過ぎ、オカルトという新たな要素も見せつつある「甘神さんちの縁結び」は、これからもまだまだ続いていきます。