ソラ・ハレワタールは「ひろがるスカイプリキュア」の主人公。キュアスカイの正体である。
異世界スカイランドの出身で、幼少期にシャララ隊長に助けられたことをきっかけに、
「ヒーロー」に憧れるようになり、青の護衛隊という騎士団への入団を志す。
ミスト・レックスは「スーパーロボット大戦K」の主人公である。
惑星アトリームの出身で、そこの防衛隊に所属していたが、本作の悪の根源によって母星が滅ぼされ、
逃げ延びた先でも同様に襲撃を受け、失意の中で地球に流れ着いている。
要点から言うと、これら2キャラクターについて、
「よろしくない描かれ方をした結果、想定と異なる掘り下げ方をされてしまっている」という共通点があるという話がしたい。
まずミスト・レックス。悪評が有名な方から話を始めたい。
設定上の彼は、熱血漢だがおっちょこちょい、一見明るい好青年だが、
上記の「母星や漂着先を守れなかった」という事実は彼の心に深い影を落としており、
地球を脅かす様々な勢力と戦うようになると「この地球だけは何としても救いたい」と考えるようになる。
しかしミストは、アトリームにはなかった「人間同士の争い」を目の当たりにする。
「脅威が迫っているのに、なぜ一致団結できないのか」と地球人に対して懐疑的になってしまう。
それでもパートナーの叱咤や戦友達との交流を経て「正しいかはわからなくても、目の前の人々を守る」という答えを出し、
戦士としても覚醒して、母星アトリームの仇を見事に討つ。
・・・という風に書けばまともに見えるが、実際にはかなり問題のある人物として映る。
「できることが少ない中で動こうとする者達に『根本的な解決ではない』と難癖をつける」「廊下で陰口を叩く」
「ヒロインが受けた迫害を『ささいなこと』と言ってのける」といった、狭量で自分本位な言動が目立つ。
その性格の不快さは悪い方法に有名で、「呼び捨てにするほど愛着が沸かない」という理由で、
インターネット上では「ミストさん」とさん付けで呼ばれている。
これは彼が本質的にそういう人物であるとデザインされたのではなく、ひとえに描き方が悪いのである。
根本的な解決が必要なら、その解決が何かを(間違っていてもいいから)示すべきだし、
秘密の多いミストにはパートナーとゆっくり話す機会も必要ということで、廊下での会話も必要なもの。
『ささいなこと』発言は「今地球で起きている問題と比べれば」という前提が明確にあれば、いくらか見え方は変わっただろう。
(なお、ミストが性格に難のある人物だと映ってしまう理由に、
ミストという人物が脚本家が自身の人格を投影した「メアリー・スー」であるとする見解も見受けられる。
確かに「版権キャラが敵わない相手に善戦する」などの描写はあるが、いわゆる主人公補正というものだと感じているので、
ここでは扱わない。もし本当に「メアリー・スー」なら、もうちょっとましな書き方をするだろうという気持ちもある)
とりあえず今の段階では、私がミストさんを「本来の設定と異なる描かれ方をした人物」であると
捉えていると思ってもらって構わない。
続いて、ソラ・ハレワタール。
なお、こちらは本記事執筆当時でまだシナリオ自体が半分程度しか進んでいないので、
憶測や展望を含む記載になるが、ご容赦いただきたい。
彼女は「ヒーローに対するこだわり」があり、そのこだわりに至った理由も冒頭のとおりきちんと描かれている。
プリンセス・エルを巡る争奪戦に巻き込まれる中でプリキュアの力を得て、
図らずしも自身が思い描く「理想のヒーロ―」に大きく近づくことになった。
(このへんはゴープリのはるはる、まほプリのみらい等に似た感じの、
「自分がやりたいこととプリキュアが繋がっている」という自然な導線になっている)
彼女はプリキュアとして戦う間にも、「ヒーローとは何か」を自問し続けてきた。
1クールのラストには敵をも助けるという驚きの行動を見せ、彼女にとってのヒーローが
「ただ敵を挫くだけ」の存在ではないことが示された。
その後、彼女がヒーローを志すきっかけとなったシャララ隊長が敵の手に落ち、手先に改造されてしまう。
それに対して一度はヒーローになることを捨てたソラだったが、仲間達の力や励ましを得て復活。
「ヒーローとして、ヒーローという夢を与えてくれた人を助ける」という、最高の結果を手にすることができた。
本記事執筆時点での彼女に対して起こった大きな変化は、おおむねこんな感じである。
だが、細かな描写を見ていると、彼女について気になる点がいくつかある。
まず、彼女がヒーローを志すきっかけについて、上記のとおりシャララ隊長に助けられた経験からなのだが、
「どんなヒーローになりたいのか」があまりにも希薄すぎるという点。
「敵だからといって見捨てない」「弱っている者に寄り添う」といった風に断片では示されるが、
「何を守りたいのか」という理念的なものがここに至るまでまだ見えてこない。
そう感じるエビデンスとして、ソラは2クールのラストで重大な選択を迫られる。
シャララ隊長が敵の手に落ち、改造されて襲い掛かってくるという試練だ。
要するに「ヒーローとしての使命」と「シャララ隊長の命」を天秤にかけさせられたのだ。
これ自体はとてもいい演出だった風に思える。この時のソラの言動が適切ならばね。
憧れ続けてきたシャララ隊長と戦わなくてはならない心境を察した仲間達が声をかけるのに対し、
ソラは「ヒーローヒーローうるさいんじゃ!私はもう戦いたくない!(要約)」と、思考を捨ててしまうのである。
どちらを選んだかといえば、シャララ隊長の命を選んだということになるのかもしれない。
でもそれは「敵の手から解放した上で助ける」という意味であって、敵のまま放置することではない。
それをソラがわかっていないはずがない。となると、理屈に合わないだだをこねる癇癪持ちみたいな印象を受けてしまう。
(余談だが、ソラいわく「友達はましろ(キュアプリズム)が初めて」らしいが、この発言はやたら真実味を帯びている。
そりゃあこんな極端な性格なら、わざわざ接する必要がない人間なら誰も寄り付かんだろう)
さらによくないことに、仲間達の助けもあって「ヒーローとしての使命を果たしつつ、シャララ隊長も救う」という、
最高の結果を手に入れられてしまう。これだとソラがさんざん悩んだ時間はただの茶番になるし、
「いかなる困難に際しても、仲間を信じて諦めなければ大丈夫」以上の学びは得られなくなってしまった。
いやこれも十分な教訓ではあるんだけどね・・・描きたいこととはだいぶ違う落としどころになってしまっていると思う。
だってこの人、また同じことになったらどうするんだろうね?
また駄々をこねるのか、いや「あげはさんが何とかするから大丈夫!」ってなるのか・・・
いずれにせよ「使命か、愛する人か」という試練は、もう永遠に訪れる機会を失ってしまったのである。
長々と書いてしまったが、これも人物の描き方が悪いのである。
自分のヒーローの原点であるシャララ隊長を生かすも殺すも自由という状況に突如として置かれたソラの心境は
察するに余りあるが、その答えが「仲間に当たり散らして逃げる」では、ソラという人物をどう捉えればいいんだろう?
違う言い方をすれば、スタッフはソラがどういう人間であると我々に気付かせようとしているんだろう?
で、ここで本記事のタイトルが結論として繋がってくるわけだけど、
私はソラ・ハレワタールが「第二のミスト・レックス」になってしまうことを危惧している。
要するに、悪い描かれ方をされた結果、想定と異なる人物像が浮かび上がってしまうことだ。
私自身、遊びレベルではあるが、マンカケを使った創作を体験してきた。
その中で、人物の描写というのは本当に難しく、作者と読み手の間で乖離が起きやすいことはよくわかっている。
いくら作者の頭の中に「この人はこういう人だ」という考えがしっかり固まっていても、
それを作中で表現できなければ、見ている者には伝わりようがないのだ。
アニメもいよいよ折り返し地点を回り、追加戦士の噂もちらほらと聞こえてくるようになった頃。
「ヒーロー」というテーマについて、いよいよ本腰をあげて向き合うことになっていくはず。
この先もたとえば「世界か、友人か」とか「スカイランドか、ましろ達の世界か」といった、
すぐには答えを出せないような深刻な選択を迫られることになるだろう。
その時にまだソラの悪癖である癇癪が出なければいいな、と切に願うわけであります。