○はじめに

私は本ブログにおいて、アニメ「甘神さんちの縁結び」の各話の感想記事を、一話から最終話まで、一通り綴ってきました。

本記事では、その全編を通した総合的な感想や、本作の特色であるラブコメとオカルトの要素を総評する形で、色々と述べさせていただこうかなと思います。

一時期の感想記事に負けず劣らずの長文になることが予想されますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

なお、本作のいいところはもちろんきちんと褒めていきますが、悪いところは悪いとはっきり言いますので、本記事につきましても、何とぞ「本作を悪く言われたくない人は、読まない」でお願いいたします。

 

 

○よかったところ

・恋愛に関する繊細で緻密な心理描写

本作の最大の特色が、恋愛描写における細かな心理描写の妙です。

 

単に「好きか嫌いか」とか「誰を選ぶか」という要素にとどまらず、

・今の自分が過去の哀しみを乗り越えられているのは、上終を想う心に支えられているからだと気付く夜重

・おみっちゃんに指摘されるまで、上終への好意を『穢れた感情』であると思い込み、忌避していた夕奈

・好意をストレートに伝えられず、回りくどく確認しようとしたり、しまいには強引に唇を奪ってしまう朝姫

といったように、「そもそも『好き』ってなんなの?」とか「どうしたら伝わる?どうしたら伝えてもらえる?」のような、関係を基礎からじっくりと積み上げるような恋愛模様が描かれています。

三姉妹同士は上終を争う恋敵でもありますが、そのレースは一直線上で行われているものではなく、それぞれの境遇やアプローチで競われているように見えるところも、よくできていますね。

恋愛というものが、単なる男女の仲の話にとどまらず、「人と人とが相互理解していく過程」として、丁寧に描かれていました。

 

白日に関しても、「縁結び」の折にはそれを引き起こした悪者として描かれたものの、「いつもそばにいた上終が、自分に見せない顔をしたり、以前は考えられないことを言ったりして、変わってしまったことの寂しさ」をリアルに描き切り、単に「三姉妹のライバル」にとどまらない、血の通った人間として描写されました。

 

本作がこのように繊細な描き方ができているのは、現実の恋愛というものが、恋愛ゲームのような「会えば親密になる」「親密になったら付き合える」といった単純なものではないことを、原作者・内藤マーシー先生が正しく理解していることの証左に他なりません。

かの名作「五等分の花嫁」のアシスタントを担当した実績のある高名な先生ですが、その経験を十全に活かした上で、ご自身の想いや願いをきちんと作品に投影するという、理想的なものづくりをされていたことに、私も舌を巻きました。

 

 

・主人公である上終瓜生の成長と変化の過程が心地よい

本作の主人公である上終は、幼少期に母の回復を何度も神に祈ったにもかかわらず、その母を喪った経験によって、「この世に神などいない」という無神論に染まった青年でした。

しかし興味深いのは、その思想をただ「神やまじないの類を否定する心」として抱くだけではなく、「だから、夢は己の手で叶えなくてはならない」という、自身の生き方の指針にまで昇華している点です。

 

さらに、上終は口先だけでなく、その生き方をちゃんと実践しています。夕奈が事あるごとに上終を「ガリ勉」と罵っていたとおり、彼はどこにでも参考書を持ち歩き、隙あらば開きます。三姉妹のことで勉強に身が入らない描写は多々ありましたが、その原因は得てして上終が腑抜けているわけではなく、三姉妹側の「強引で無責任なスキンシップ」に戸惑ってしまったのが原因であることが大半だったので、医者の夢に対する上終の姿勢が希薄というわけではありません。

 

その後上終は、三姉妹との交流や様々なオカルト現象を通じて、神様の存在を受け入れていきます。その過程についても単に「無神論を捨てる」とか「努力をやめて神様にすがる」といった方向ではなく、「神様に祈ることで、夢へと進む自信を得られる」であったり「母に会いたい気持ちを叶えてくれる、ささやかな希望」として描かれているところに、美しさを感じますね。

 

まぁ、一話で夕奈の髪紐のことをアッサリと神頼みしてしまうという一幕はありましたが、ツカミが重要な一話ということで、「神様の加護」という要素をゼロにはできなかったということで、擁護しておきます。

 

 

・甘神ママや舞昼先生といった「親の鑑」の存在

 三姉妹の継母である甘神ママこと甘神 千陽(あまがみ ちはる)や、上終が育った不気味な児童養護施設「きせき園」の運営者である姉小路 舞昼(あねこうじ まひる)は、前者は三姉妹にとっての、後者は上終や白日にとっての親代わりの存在として描かれます。

甘神ママと舞昼先生は、いずれも三姉妹・上終とは一切の血縁関係がないにもかかわらず、まるで実の親のように彼らと慕いあい、強い絆を形成しています。彼らのあたたかな関係性こそが、本作の大きな魅力のひとつとなっています。

 

私が考察した限りは、甘神ママと三姉妹が共に過ごした期間はほんのわずかであり、それも幼い頃の記憶に過ぎないはずです。ですが三姉妹は、その言動の端々から、成長した今でも甘神ママのことを想い続けていることが伺えます。難しく考えずとも、そのことは、三姉妹が彼女から授かった形見の髪紐を、肌身離さず身に付けている事実からも、容易に推測できます。

 

舞昼先生は、上終のことを「自身の施設の子のひとり」にとどまらないレベルで深く気にかけており、上終の医者の夢を叶えるため、月神神社の禰宜として多忙な日々を送る月神さんの手まで借りて、上終と甘神家を引き合わせました。

舞昼先生の奮闘なくして、本作の物語は始まらなかった」と言っても、過言ではないわけです。

上終を甘神家の里子にしたあとも、三姉妹の世話にかまける上終を叱咤したり、上終の初の神職である例大祭の手伝いまでしてくれたり、医者か神主かで揺れる上終の背中を「キミの思うままにやればいいよ」と優しく押すなど、要所要所で舞昼先生のサポートが光りました。

 

この甘神ママと舞昼先生というふたりの人物から感じ取れる大きな愛情が、本作をあたたかみのある、優しい物語に仕上げています。

 

なお、月神さんについても「血の繋がりはないが、三姉妹の師匠であり、母のような人でもある」という建付けをした上で、上終や三姉妹との関係性を深めていく描き方がされていますが、この試みは明確に失敗しています。これについては、本作の「悪かったところ」として、後述します。

 

 

・作中の細かな描写に対するこだわり

私が本作の視聴を進める上で、ひそかな楽しみにしていたのが、本筋に関わらないちょっとしたテキストや演出の妙技です。

 

・二話で上終が読んでいる参考書の英文が、今の上終の状況をそのまま示している

・甘神神社や月神神社について、御祭神まで細かく設定されている

・夜重が本作「甘神さんちの縁結び」の漫画を読むシーンがある

・三姉妹について、食事の量やペースが異なる

 

本作には上記のような、気付いた人だけがクスリとくるような、小さな「見せ所」が随所に隠れています。

それらを探しながら視聴するのも、本作の楽しみ方のひとつと言えますね。

 

 

○悪かったところ

・倫理観や貞操観念、思いやりに欠けすぎた言動が目立つ

本作の人物は、とにかく思いやりがないです。しかも、故意に危害を加えようとするときより、無意識に他人を傷付けるときのほうが、何かとトゲがあります。

「上終が神社の子に対して『神などいない』と言い放つ」に始まり、「上終が三姉妹に付き合ってくれることをお節介のように言う夕奈」や「マラソン大会と七夕まつりが被ってしまった朝姫を誰も気遣わない」など、本作の「心ない言動」の数々は、枚挙に暇がありません。

先述のマラソン大会のエピソードを含む十四話は、まさにその極致とも言える一話です。作中の森羅万象が徒党を組んで朝姫に襲いかかる様子は、私も感想記事の中で「人でなし博覧会」と形容するほどの惨たらしさでした。

 

その「思いやりのない人」の筆頭が、月神神社の禰宜(ねぎ)である月神 宵深子(つきがみ よみこ)です。

彼女は三姉妹にとって、巫女修行のお師匠様であり、「母のような人」であるという建付けの人物です。その設定そのものは、甘神神社の危機に際して夕奈が相談を持ちかけたり、マラソン大会に出場する朝姫のために長野まで馳せ参じたりと、作中の描写にもきちんと生かされています。

しかし、どうやら彼女を「知的で掴みどころのない人」に描こうとしようとした結果、「本音を言わないくせに他人が傷つくことは平気で言う、不誠実な人」として出力されてしまいました。

言葉だけではなく、「男女が泊まる宿を予約するのに、1部屋しか抑えない」「上終がオカルト現象に苦しんでいることを察知していながら、表立って協力しない」など、その行動についても、気が利かないのを通り越して悪意すら感じるような画き方がなされていました。

最終的には、最終話にて「月神さんは上終達の味方ではない」ことが示されることで、「やはり月神さんには悪意があった」ことの答え合わせがされました。しかし「文化祭ではぐれた朝姫を探さない」など、それだけでは説明がつかない薄情な部分や、他人に対して無関心すぎる面も多分に見受けられました。

 

三姉妹と月神さんの間柄についても、「きっかけもないのに、互いに遠慮しあっている」という不自然な状況からのスタートとなり、共感が難しかったです。

「三姉妹が、甘神ママが遺した神社を自分達の力で守ることに固執するあまり、商店街の人々に遠慮して、疎遠となってしまった」というのは致し方ないとしても、月神さんへの関係性においても「遠慮」をキーワードにしてしまったことで、「三姉妹はやたら不必要な遠慮をする人達だ」という印象を、視聴者に与えてしまいました。

その割に、上終に対して遠慮する様子がまったく見受けられないところも、設定とミスマッチです。「上終を家族として認めているからだ」と解釈しても、結局「他人に気を遣う割に、身内に気が遣えない人達」になるだけです。

 

また、この世界の住人はモラル(規範)も著しく欠如しています。

「美人の巫女で参拝客を釣る」「神を祀る場所で肝試しを行う」など、本作の肝である神職に関わる要素についても、神経を疑うようなエピソードがてんこ盛りです。

この点は、主人公の上終すら例外ではないです。一話で神社の子に対して「神様などいない」と言い放ったのはまぁ脚本上の都合ととれなくもないですが、その後も「他人が真剣な話をしているのに、つまらない話で茶化す」「挫けている人の傷口に塩を塗るようなことを言う」など、他人のことを想って言動を選択しない場面が随所に見られます。

作中では「それも上終なりの優しさ」といった描き方がされてはいるのですが、観ている側としては、とてもそうは思えません。ただイライラが募るだけです。

 

また、ラブコメ作品という性質上致し方ないかもしれませんが、「年頃の男女を一緒にお風呂に入れようとしたり、同じ部屋に泊まらせる」「夜重のサークルが、不純異性交友の代名詞である『インカレの飲みサー』に見える」「文化祭にナンパ目的の部外者を入れさせる」など、性に対する意識があまりにも希薄すぎます。

一人の人間の行いではなく、世界規模でこのような体たらくなので、本作を老若男女におすすめできない大きな理由のひとつとなってしまっています。

 

 

・神道や神職への向き合い方と知識があまりにも杜撰

各話の考察の中で私は「本作は、神様や巫女といった要素を『本作の萌え要素』として利用しているだけ」とこきおろしましたが、最終話に至るまで、その印象を改めることはできませんでした。

一時期は巫女装束を着ることすらなくなりました。オカルト要素が本格的にフィーチャーされる段階になっても、三姉妹達は状況に翻弄されるばかりで、「神様に祈って、助言を授かろう」みたいなことは、まったく考えませんでした。

 

私は本作の巫女という要素を、飛行機の「降着装置」にたとえ、「三姉妹は本作の『離陸』を確認した上で、巫女の象徴たる装束を脱いだ」とした上で、「降着装置である以上、最後は出しなおす=巫女で始めた物語は、巫女のやり方で終わらせるべき」とも主張しました。

しかし、今のところそれができたようには見えません。本編漫画はまだ続いてますし、アニメの2ndシーズンにも期待が持てるところですので、24話でその結論を示す必要はないとは思いますが。

 

物語の中盤で明かされた「巫女が少ない」問題も、月神さんに相談しには行きましたが、根本的な解決が示されぬまま「なかったこと」になってしまいました。本作にとって「神社を運営することの難しさを、現実的な面から描く」ことは、三姉妹と月神さんの関係性を進める道具に過ぎなかったわけです。

 

 

・オカルト現象の描写や風呂敷の畳み方があまりにも稚拙

本作は、前半は「予知夢」や「親子で楽しめる体験型アトラクション」、後半からは「タイムリープ」「入れ替わり」「平行世界」といった、様々なオカルト要素が持ち味となっています。

しかし、そのすべてが、オカルトファンを満足させるものにはなっていなかったと思います。厳しく言えば、どのオカルト要素も「他作品で見たような内容」にとどまっており、本作ならではの味とか、本作の存在意義に通じるような重要な役割を担ったとは言えない出来でした。

 

これは本作が「オカルトをやる」ではなく「ラブコメの舞台装置として、オカルトを用いる」スタンスであることによるものです。

実際に舞台装置としては有効に作用しているとは感じますが、オカルトという目で見ると稚拙かつ凡庸であり、オカルト作品が本来持つ「何が起きるかわからないワクワク感」などの魅力は、ほとんど備えていないように感じました。

 

本作のオカルト要素が映えない一因として、「そのオカルト現象を引き起こしている者が、何が目的で、どのような利益のためにやっているのか」が徹底して伏せられていることも挙げられます。

狐面の巫女はまったくコミュニケーションを取ってくれませんし、鹿面の女も白日の「元の世界に帰してほしい」という願いを、なんの代償も取らずにあっさり叶えました。

「神様の崇高なお心を知るなど、我々人間にはおこがましいことだ」ということなのかも知れませんが、創作として見るとしっくり来ません。その崇高なお心のせめて一端だけでも示してくれないと、彼女達の行いはただの「気まぐれ」と映ります。

 

 

・セリフ選びがイマイチ

語彙のない人がよくやりがちな「広い言葉を多用することで、発言が幼稚に感じる」現象が、本作のところどころで起きます。

竹田さんの「夜重のことを知ったところで、お前にメリットはない」発言や、夜重の転落に責任を感じて肩を震わせる竹田さんの様子を上終が「挙動不審」と表現するシーンなどは特に、表現がやたら俗っぽく、明らかに語彙が足りていません。

零細SEの身分で、創作を生業とする方の語彙力に言及するなど、おこがましいことである自覚はあります。しかし、「悪いところは悪い」と認めることは、「悪くなくなることへの第一歩」ですので、あえて直言を申し上げました。

 

その他にも、「見え隠れしている」「転落してしまいました」などの、口語ではあまり用いない言い回しの多用も目立ちます。これは本作がもともと漫画作品であり、ボイスで読まれることを想定していないということなのかも知れません。もしそうであれば、悪いのは「原作のテキストを尊重しすぎるあまり、自然な台詞回しをすることにまで意識が向かなかったアニメスタッフ」ということになっちゃいますけどね。

 

 

・あまりにも蔑ろにされすぎる千鳥さん

先述した「本作の人物の思いやりのなさ」にも通じる話ですが、三姉妹の千鳥さんに対する扱いは本当に酷いので、項目として独立させました。

千鳥さんは、甘神神社の懐事情が思わしくないにも関わらず、孫である三姉妹に家を与え、十分な生活費も渡しているという、まさしく聖人です。常にニコニコと笑顔を絶やさず、神社を召し上げられる苦境に際しても、例大祭の準備や計画を上終に一任させてくれて、神輿フィーバーの提案を快諾しました。

それなのに、三姉妹が千鳥さんを顧みる姿は、ほとんど見受けられません。それどころか、夜中に家を空けたり、他人(白日)を泊まらせるに際して、千鳥さんに連絡をしている素振りがありません。完全に蔑ろにしている風にも見えます。

三姉妹達が「自分達がここで巫女として生きられているのは、誰のおかげか」をもう少し意識してくれたら、本作がもっと丸い作品になっていたように思えます。

 

 

○総評

・ラブコメについては、万人におすすめできる完成度。

・オカルトはイマイチ。他作品を知らない人なら新鮮かも。

・神様や神道の要素は、あくまで本作の香り付け。それ目的での視聴はおすすめしない。

・各人物のトゲのある言葉や思いやりのない言動に挫けないように。

 

 

○2ndシーズンに期待すること

まずは夕奈と朝姫の過去についてでしょう。ふたりとも「甘神ママの実子ではない」可能性は言及されましたが、それ以上のことは不明なままです。

夕奈は「甘神ママの死に責任を感じていたが、おみっちゃんとの交流で前を向く」という回想はありましたが、夜重のように「甘神家に来るまでは、どこで何をしていたのか」という要素は、一切描写されていません。

朝姫については、回想として「いい服を着て、どこかから走って逃げる」様子が描写されましたが、それが何を意味するのかすら不明な状態です。

このあたりを紐解き、夕奈と朝姫を改めて現在へと向き合わせることは、ほぼマストと言えるでしょう。

 

また、月神さんの正体や目的についても、謎が多々残ります。

上終の身に起きた様々なオカルト現象を月神さんも把握しているかのように見えたことや、月神さんが「私は神様の味方です」と言い放ち、兎面を取り出した描写から、月神さんがただの「月神神社の禰宜」ではないことは、色濃く示されています。

 

狐面の巫女についても、推測される要素は多々ありますが、はっきりと答え合わせがあったわけではありません。このあたりもハッキリさせる必要があるでしょう。

正体については「視聴者の想像に委ねる」という終わらせ方をしたとしても、せめて「なぜ狐面の巫女は様々なオカルト現象を引き起こし、上終を翻弄するのか」については、明確な答えが欲しいところです。

 

 

○おわりに

最終話の感想記事から、総括記事の執筆にまで、ずいぶんと間が空いてしまいました。

待ち焦がれていた方はさすがにいないと思いますが、要らぬ不安を与えてしまったこと、大変申し訳ありませんでした。

 

というのも、いつぞやの感想記事において「GRAVITYを始めた」と話したかと思いましたが、そのアプリ内で出会ったとある女性と、毎日LINEにて連絡を取りあうようになり、それ以外のことが若干疎かになってしまったのが主な理由です。

昨日は、その方とお好み焼きを食べに行きました。我が人生初のデートです。終始口から心臓が飛び出しそうでした。

意気揚々と豚モダンを注文したのですが、焼き方がさっぱりわからず、結局店員さんに焼いてもらうという、なんともカッコ悪いところを見せてしまいましたが。

あと、本作感想記事シリーズで事あるごとに私は「夜重推しである」とか「夜重さんみたいなお嫁さんが欲しい」みたいな話をしていましたが、その女性の方、めっちゃ似てます。よく食べるところが特に

 

思えば、私がGRAVITYを本格的に始めたのは、本作を視聴する中で「俺もこんな風に他人と仲良く関われたらいいなぁ」と思ったのがきっかけです。そう考えたら、彼女との縁は、本作が結んでくれたものなのかもしれませんね。まぁ、別に彼女とはまだ何でもないので、今はまだ深く考えませんけども。

 

私としたことが、最後の最後に余計なノロケ話をしてしまいました。

最後になりますが、恋っていいぞ。本作を観て、少しでも興味を持たれた方は、ぜひ一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。

大変なこともありますが、それ以上の幸せな日々が待っているはずですよ~。