【本】今日の一冊…大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』 | クズレコハンター下手のパンダはただ今授業中~ロックと映画とアイドルと…~

クズレコハンター下手のパンダはただ今授業中~ロックと映画とアイドルと…~

Finolia Girlsの皆(特にSurvive-ZERO)、元SDN48の野呂佳代さん、AKB48チームK卒業生今井優さんを応援し、チームBの片山陽加さんも応援している日本語教師が仕事や趣味について語るブログ。


ごきげん優☆




『ルパン三世』や『未来少年コナン』で有名なベテランアニメーター
大塚康生が、日本のアニメーション黎明期からの半生を綴った一冊。

これが本当に面白くて、読んでてグイグイ引き込まれてしまいました。


実はこの本、82年に旧版が出版され、01年に改訂版が、13年に改訂最新版(本書)が出版されています。

自分は旧版を中学生の時に読んでいるのですが、その頃は当時のアニメーションに
対して特に問題意識も持っておらず、ふーんという感じで普通に読んでいました。



ところが。

あれから30年が過ぎ、巷に溢れるアニメを見るにつけ、ガッカリさせられることばかり。


そんな時にタワレコでふと手にした本書。

パラパラとめくって何か感じるものがあり、旧版を持っているにも関わらず購入、一気に読破。



改めて読んで、どうして自分が現在のアニメに馴染めないかよーく分かりました。


例えば二人の登場人物が向き合って会話している場面。

手前の人物はこちらに背中を向けているので顔は見えない。


奥の人物は突っ立ったまま口だけをパクパクさせながら
喋り、手前の人物が喋る時は後ろ姿に台詞だけが被る。



カメラが右から左へゆっくりパンしながら、そんな様子が延々と映し出される。

ほとんど動きらしい動きもなく、それでも絵だけはこれでもかと細かく描き込まれている。


そんなものをアニメーションと認めろと言われても困ってしまう。



もっとイヤなのが、登場人物は画面に映らず、背景に会話が被る演出。


作画枚数を減らして作業の効率化を図るためには仕方ないのも分かる。

あるいはある程度の演出効果を狙ってというところもあるんだろうけど、それでもねぇ。


そのくせアクション場面になると何が起きているのか分からないぐらいビュンビュン動き回ったりして。



本書でも語られている通り、本来アニメーションというのはキャラクターが演技をするもの。


このキャラクターだったらどんな風に歩いてどんな風に座って、どんな風に話すのか。

それを表現するのがアニメーターの仕事なはず。


しかし、現在の日本のアニメは動きよりも絵としての完成度や決めの
ポーズばかりが重視され、キャラクターの演技が軽く扱われている。



たまにTOKYO MXやテレ玉で昭和40年代50年代のアニメを見ると、
キャラクターが生きてるみたいに動いていてハッとさせられる。

まぁ大塚康生氏によれば、その時代のアニメでさえ省セルの産物らしいけど。


ただそう考えてみると、何故そんなアニメが広く受け入れられているのかという疑問も残るわけで…

その辺についても本書ではきちんと論じられています。



要は、止めの美学は日本人の感性に合う、ということらしい。

これは歌舞伎や浮世絵など日本の伝統芸術を見てみても、何となく納得できるところがある。


それと、日本人はストーリーの枝よりも幹の方を楽しむらしい。

可愛い動物逹が主人公の周りをチョコマカと動き回る様子よりも、
主人公がどう苦難を乗り越えるかというドラマの本筋に注目する。


それを止めの絵の積み重ねで見せて行くという手法が日本人に合っているそうで、
確かにマンガなんてまさにそうやってストーリーを引っ張って行ってるもんなぁ。



かといってじゃあそれでいいのかと言うと、それもまた違うと思うんだけど。

やっぱりアニメである以上キャラクターにはしっかり演技をして欲しいものです。


ま、そんな小難しいことを置いておいてもこの本は面白い。



旧版ではほとんど語られていない手塚治虫とのやり取りとか、
『カリ城』のアフレコ時における山田康生のエピソードとか。

他にも、日本では全く話題にもならなかった日米合作『リトル・ニモ』の製作
エピソードや、『風魔一族の陰謀』での演出と作画の確執など読み所が満載。


旧版に比べて1.5倍ぐらいに内容が増えていて(逆に削られている箇所もありますが)、
日本のアニメーションの歴史を紐解く上でも、かなり重要な一冊なのではと思います。

少しでもアニメに興味があるなら、読んで損なし!です。