園井恵子さんへの旅 その2 | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

まずは北九州に行きました。
海峡演劇祭という演劇祭で、
拙作Hgのリーディング公演を行うんですね。
その顔合わせ兼稽古に行ってきました。
全員そろった状況で稽古したいです、とお願いしたため、
懇親会まで食い込むかたちで初読みさせていただきました。








「Hg」の第一話「猫の庭」は、
わたしの作品の中でも
俳優レベルが図抜けて高い本番が出来た作品です。
あのメンバーでないと再演したくないくらいの作品だったので、
やや心配だったのですが、
素敵なメンバーでした。
キャスティングを担ってくださった谷瀬さんに感謝です。
70代の方までいる座組です。贅沢です。
でも皆さんお元気!!


稽古は映像を見てノートを出すかたちになりました。
初ですね。
実際の稽古は最終稽古に合流するだけなのですが、
いいものにしたいと思います。
お近くの方で、興味のある方、
もしいらっしゃいましたらぜひいらしてくださいませ。
本番は26日。どうでもいいことですが、わたしの誕生日です。
おそらく記憶にないくらいの嬉しい誕生日となるハズです。



なんだかたいへんに環境のいいゲストハウスに泊めていただき、
翌日朝一番で広島へ。
小倉→広島って新幹線で一時間くらいなんですねー。


そして朝一で、原爆資料館へ。
もちろん凄惨な事実がたくさんあるのですが、
ここで安全にベルトコンベアに乗るようにその事実を眺め、
しかも自分が作品書く段になって慌ててやってきた自分自身に
なにかしらの薄ら寒さを覚えました。
まあそんなこと言っても書くわけですし、
人並みくらいには勉強してきたはずですし、
これを見てなにがわかるんだろうって思いながら、
でもこれを見るしかないんだよね、って思いながら、
20年越しの資料館を拝観したのでした。
祈念館も拝見し、資料の充実にクラクラしながら、
出来うる限り拝見し、
原爆ドームヘ。







原爆ドームは、可憐な建物だと見るたびに思います。
爆心地にありながら、
半球体というその構造故に重力のかかり方が分散され、
全壊を免れました。
その球体というかたちに、
ひとは本能的に愛情を抱くようにできているのでしょうか。
球体のその建物が、ここに残された意味などないのかもしれませんが、
原爆の悲惨さを伝える、という本来期待される役割を超え、
ああ、よくここに建っていてくれたと、
世界中から来た人に思わせているような気がいたします。


誤解を恐れず言えば、
その建物が耐えてきた時間ごと愛おしいと思ったのです。


原爆は凄惨です。
核は、命も奪いますが、
未来の時間を奪います。
爆弾によって瞬時に亡くなった
たくさんの死のことばかりを言っているのではありません。
生きた、と思ったその先の時間を、
容赦なく蝕んでいく。
その残酷な時間をどう書くか。
大きな傷も負わず、ああ生きた、と思い、
急性の原爆症で亡くなった
残酷すぎる園井さんの時間をどう描くか。


苦しい、悲しい、
それはもちろんそうなのです。
でもわたしは描きたい。
愛おしいと、思ってもらえるように。
生きたと思ったことを。
生きてまた演劇ができると、手紙を書いた彼女を。
可憐に、まあるく。


ヒロシマを生かせずミナマタが在り、
ミナマタを生かせずフクシマが在る。
その連鎖。旅が続きます。