ちいさな単位から変わっていく | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

豊島区で石川大我さん、
中野区で石坂わたるさんが当選されました。
このおふたりは、選挙ポスターなどでは
大きく謳っておりませんが、
ゲイであることをオープンにされている方々です。
おそらく日本初ではないでしょうか。
石川大我さんとはお会いしたことがありますが、
立候補されていたとは知りませんでした。



またセクシャルマイノリティの政治家としては、
性同一性障碍である上川あやさんが先輩として
世田谷区にいらっしゃいます。


これは小さいけれどもほんとに大きな一歩だと
わたしは思います。


現在が、
同性愛者の方にとって生きづらい社会である、
というのは間違いありません。
異論のある方はいないでしょう。



しかし、わたしはこうも思うのです。
同性愛者にとって生きづらい社会は
じつは異性愛者にとっても生きづらい社会であると。
そしてそれは自覚なく、
また見えない分、
とても深くわたしたちを傷つけ損ねていると。



現在の状況は、
わたしたちの身体の個別性、
心の個別性というものが、
けして尊重されていない社会です。
「くうきよめない」
「うざい」
「ありえない」
そのように言われることを恐れ、
わたしたちはわたしたちに属する
ささやかな差異が露わにならぬよう
心をすり減らしています。
その顕在化されたものが
同性愛者差別であり、
障碍者差別というかたちで
「見えている」に過ぎない。



みんなちがう。




身体も心もひとりひとりが違う。




そんなあたりまえのことさえ
あたりまえではない社会。




わたしはたったひとつしかない自分の身体と
自分の性、
自分の精神、
そういったものを抱えて生きていて、
それはもちろん犯してはいけない犯罪とかはあるにしろ
厄介だったり、キライだったりする部分も含めて
愛して生きていくしかない。



それがとても困難だ、と感じることがあります。



考えてみれば、
わたしは20才になるころまで、
同性愛者はぜんぶ
異性装者であると思っていました。
おとこのひとがおとこのひとのかたちのまま、
おんなのことがおんなのひとのかたちのまま、
同性を愛するということがあることを知らなかったのです。
いまと違ってそんなオープンに情報が入ってこないから、
田舎の高校生にとっては
差別というよりファンタジーの世界のできごとでした。
しかし20才になるまでなんにも知らないっていうことは、
ちゃんと頭で解るまでにも、
ましてや平明に対しているなと自分で思えるまでなど、
かなりの時間がかかったのも事実です。
そういう意味では、
わたしは教育を恨んでいます。
こんな余計な苦労をさせやがって、と。
そんなものは、
はじめての性教育のプログラムのなかで、
先生がきちんと話してあげれば済むことです。
偏見なんて芽が出る前に摘んでしまえば
育ちようがないのですから。



水俣の多くの小学校では、
胎児性の患者さんたちが授業に行き、お話をします。
そうやって教育された子供たちと、
障碍から、公害から、隔離されて育った子供たちとの間に
どれだけ大きな差がでるか、
ここで細かく書かなくても想像がつくと思うのだけど
どうでしょうか。
特に密接に授業を受けている袋小学校は、
現在の校舎に建て替えるとき、
生徒の意見を取り入れた、
バリアフリーでエコな校舎を建てました。
この取組は全国から評価されています。



袋はほんとに田舎で、
まわり中田んぼと海しかないところに
ポツーンと校舎が建っています。
しかしそれが周辺のひとにとっても、
もちろん学ぶ生徒たちにとっても、
もちろん水俣を離れた後も、
大きな誇りになっているのは想像に難くありません。





なにもかもが正しくあれ、とは
劇作家であるわたしは思いません。
でもこういう正しさを愛する勇気も
時には必要だと思います。





区、という小さな単位。
小さな単位は、これからの社会にとって、
非力さの象徴ではなく、
可能性の象徴となっていくものだし、
そうしなければいけないと思っています。
その区会議員に、
誰より生き辛さを感じてきた人たちがいる、
わたしたちと共に生きてくれる、
ということに意味を感じます。