2つ前の死についての日記の追記
オレンジクソ野郎の
追記です
ちりさんへの返事をも兼ねてますが
あんだけ長いのに
まだ喋るかと
自分でも思うんですが
日本は表現の自由が保障されてるもので
すいません


笑
死が悲しい……
ということなんですが
一概にそうではないかもしれない
と
思ったんです
死とは
みなが当たり前のようになること
極端な言い方をすれば
みながご飯を食べるように
みなが死ぬ
みなが生きる、
もしくは生まれてくることと
死ぬことは一緒だと思います
普段暮らしてるぶんに
そんなこと考えませんけどね
だいたいの日本人は75歳程度生きますよね。
人は生まれて死ぬ
そうじゃない人は黒柳徹子ぐらいです。笑
黒柳徹子以外は
みな生まれて死ぬまでレースをしなければならないんです
それも
今の時代は
なんでもありのレースです
昔は侍ということは既に決まってる
枠のなかでのレースが
今ではせいぜい親からのバトンを貰います。
レースで何をするか
長時間のレースをするか、したいか
どうやって長時間にするか
だから
もちろん個人によって能力が違います
人は平等ではなく
人種によって家系によって
能力が変わります
しかし
レースをする
という意味では平等になり
途中でリタイアするのも
なんでも自由ですよね。
死ぬことはゴールであり
スタートしてるんだから
ゴールがあるのが当たり前だろ?
と言われるでしょう。
その点、本能に近い生物は仲間が死んでも悲しい様子は見えません。
猿になるとあるかもしれませんが
基本的に動物は仲間が殺されたら怒りはあっても悲しみがない。
もし何か人間が学ぶとしたら
仲間が死んで悲しむより
動物はその日の食料の確保のほうが必死にする
ということかもしれません
また、
僕はニュースで人が死んだニュースを見ても
あまり悲しくありません
たくさんあり過ぎるせいかもしれませんが
殺されたニュース
例えば身ごもった人が殺された
みたいなニュースを聞けば悲しいですが
それは無念だっただろうという想像の憎しみであり悲しみであり怒りであり
同情でもある。
悲しいという気持ちが湧き出るのは知っている身近な人が死ぬから悲しいんです。
それはもう「会えない」という悲しみだと思います。
朝鮮戦争の時の北と南に別れてしまった肉親はとても悲しいでしょう
それが会えるということは
黄泉がえりに近いような嬉しさ、喜びだと想像できます
しかし
人が死ぬことは悲しいというのなら
今でも世界中で起こっている戦争で
リアルに悲しむことができないのはどうしてなのか
戦争中でも敵国に涙する人もいると思います
その人はとても素晴らしい人です
しかし
いざ戦争になって
自分の恋人や親、子供といった人が
敵国から攻撃された時
反撃するのは当然です。
自分の国が勝つのを喜ぶと思います。
その影にある
死んだ敵国の人のことはあまり考えません。
単純な物語でも
官軍であるヒーローと悪役がいて
ヒーローが勝って万歳というのは普通ですが
死んだバルタン星人に涙する子供はいません。
人間とはそういう生き物で
人が死ぬということは悲しいことではないんだと思います。
偏見も全くないので断っておきますが
アフリカで10万人が死んでも
ペットが死ぬ
もしくはそれ以下の悲しみの感覚の人が多数だと思います
まるで人間がウジ虫のような気分かもしれません。
蜘蛛の糸では
虫の一つの命を思った罪人でしたが
人間の本質を表してます
みな
どんだけ良い人でも悪い心はあるもので
両面あるのが人間ですよね
と思うと人が死ぬことが悲しいという感覚は
とても身勝手で
でも身近な人だと悲しいのは事実で
やっぱり
堂々めぐりしちまうな
笑
追記です
ちりさんへの返事をも兼ねてますが
あんだけ長いのに
まだ喋るかと
自分でも思うんですが
日本は表現の自由が保障されてるもので
すいません



笑死が悲しい……
ということなんですが
一概にそうではないかもしれない
と
思ったんです
死とは
みなが当たり前のようになること
極端な言い方をすれば
みながご飯を食べるように
みなが死ぬ
みなが生きる、
もしくは生まれてくることと
死ぬことは一緒だと思います
普段暮らしてるぶんに
そんなこと考えませんけどね
だいたいの日本人は75歳程度生きますよね。
人は生まれて死ぬ
そうじゃない人は黒柳徹子ぐらいです。笑
黒柳徹子以外は
みな生まれて死ぬまでレースをしなければならないんです
それも
今の時代は
なんでもありのレースです
昔は侍ということは既に決まってる
枠のなかでのレースが
今ではせいぜい親からのバトンを貰います。
レースで何をするか
長時間のレースをするか、したいか
どうやって長時間にするか
だから
もちろん個人によって能力が違います
人は平等ではなく
人種によって家系によって
能力が変わります
しかし
レースをする
という意味では平等になり
途中でリタイアするのも
なんでも自由ですよね。
死ぬことはゴールであり
スタートしてるんだから
ゴールがあるのが当たり前だろ?
と言われるでしょう。
その点、本能に近い生物は仲間が死んでも悲しい様子は見えません。
猿になるとあるかもしれませんが
基本的に動物は仲間が殺されたら怒りはあっても悲しみがない。
もし何か人間が学ぶとしたら
仲間が死んで悲しむより
動物はその日の食料の確保のほうが必死にする
ということかもしれません
また、
僕はニュースで人が死んだニュースを見ても
あまり悲しくありません
たくさんあり過ぎるせいかもしれませんが
殺されたニュース
例えば身ごもった人が殺された
みたいなニュースを聞けば悲しいですが
それは無念だっただろうという想像の憎しみであり悲しみであり怒りであり
同情でもある。
悲しいという気持ちが湧き出るのは知っている身近な人が死ぬから悲しいんです。
それはもう「会えない」という悲しみだと思います。
朝鮮戦争の時の北と南に別れてしまった肉親はとても悲しいでしょう
それが会えるということは
黄泉がえりに近いような嬉しさ、喜びだと想像できます
しかし
人が死ぬことは悲しいというのなら
今でも世界中で起こっている戦争で
リアルに悲しむことができないのはどうしてなのか
戦争中でも敵国に涙する人もいると思います
その人はとても素晴らしい人です
しかし
いざ戦争になって
自分の恋人や親、子供といった人が
敵国から攻撃された時
反撃するのは当然です。
自分の国が勝つのを喜ぶと思います。
その影にある
死んだ敵国の人のことはあまり考えません。
単純な物語でも
官軍であるヒーローと悪役がいて
ヒーローが勝って万歳というのは普通ですが
死んだバルタン星人に涙する子供はいません。
人間とはそういう生き物で
人が死ぬということは悲しいことではないんだと思います。
偏見も全くないので断っておきますが
アフリカで10万人が死んでも
ペットが死ぬ
もしくはそれ以下の悲しみの感覚の人が多数だと思います
まるで人間がウジ虫のような気分かもしれません。
蜘蛛の糸では
虫の一つの命を思った罪人でしたが
人間の本質を表してます
みな
どんだけ良い人でも悪い心はあるもので
両面あるのが人間ですよね
と思うと人が死ぬことが悲しいという感覚は
とても身勝手で
でも身近な人だと悲しいのは事実で
やっぱり
堂々めぐりしちまうな
笑