七卿の一人 錦小路頼徳の辞世の句 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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はかなくも 
三十年の夢のさめてけり 
赤間関の夏の夜の空
8.18の政変で三条実美らと西下した
七卿の一人 錦小路頼徳の辞世の句

文久3年2月には国事寄人
4月孝明天皇の石清水社攘夷祈願行幸に供奉
7月,連署して攘夷親征を建議
8.18七卿と供に西下
長州に滞留して赦免、再上洛の機を待つこと8ヶ月
元治元年4月25日
下関白石正一郎邸にて病没

白石正一郎日記によれば
「25日錦様御逝去被遊候ニ付早速山口表へ早飛脚トシテ田所壮介氏発足」
とある30歳の無念であった