しかし、見た目の特徴から疑問の声もある(植村実敏氏談):
みもすそ川公園のレプリカと増幸産業(平成元年製作)のレプリカは、明らかに違いがあります。パリにある本物は、増幸産業で作られたものでないことは増田社長も認めています。また、初代増田社長の指導で郡司さんが製作したと増田社長は言っていますが、これも疑問があります。
その本物が作られた東京都江東区にある鋳造所跡のレプリカの説明では、佐久間象山の指導で作られたとあります。佐久間象山といえば、当時では大砲の知識は十分にあったと思われます。パリのアンヴァリッド(廃兵院)に、長州藩毛利家の紋章がある青銅の大砲が保存されて、次のように刻まれています。
十八封度礟 嘉永七歳次甲寅季春
於江都葛飾別墅鋳之
これによると、長州藩の鋳物師が東京の江東区で鋳造したということになります。それが増幸産業(の前身)であるかどうかがカギとなりそうです。結局、増田初代社長が作った213門の大砲は、下関前田砲台を除いて他の地域に配備されたようです。
また、古川薫先生がパリからもらって下関市立博物館に安置する大砲は、前田砲台の写真に映りパリにまだある物とは異なっている。
参考
下関戦争で、占領された前田砲台(参考)