北九州市の小倉駅前の百貨店がまた閉店となった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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小倉駅前にある百貨店が長続きしない。 

JR小倉駅は新幹線駅もあり交通の便は良さそうだが、交通の要衝であるために個人の自家用車でのアクセスに難がある。また、JRを使うのならいっそのこと博多に行ってしまうのも選択肢にあった。

個人的な発想であるが、JR九州とタイアップしてエキナカにしてはどうか!下関・北九州一円からJRの初乗り料金でショッピングが出来る様にしては!そうすれば、自家用車で近くの駅の空いた駐輪場に車を停めてショッピングも可能となる。

北九州市小倉北区京町3丁目1−1 コレット


参考

① 駅前4度目の“百貨店閉店”に「残念です」

毎日新聞(2019.2.28、参考)

最終日の開店に合わせて来場客を迎える川本光代さん=北九州市小倉北区で2019年2月28日午前10時3分、津村豊和撮影

JR小倉駅(北九州市小倉北区)前の好立地にありながら、人口減少や高齢化で売り上げが減り、小倉そごう、小倉玉屋、小倉伊勢丹に続く4度目の「百貨店閉店」となった「コレット」。11年前の開店時から働く女性社員は「涙が出るが、前を向きたい」と思い出を胸に、28日の「最後の営業日」を迎えた。

2008年の開店時から働く地元出身の社員、川本光代さん(39)=小倉北区=は28日午前10時、2階の正面玄関で目に涙を浮かべながら「いらっしゃいませ」「おはようございます」と声を掛け、買い物客を出迎えた。その後はいつものように、インフォメーションに立ち、買い物客のさまざまな問い合わせに応えていた。

コレットが入居するビルの近所で生まれ育ち、1993年10月に小倉そごうが開店した時は最先端のビルやエスカレーターを見て「都会になった」と心を躍らせた。その後、美容師の道を諦めて小倉伊勢丹(04年2月開店)の派遣社員として働き始め、コレット開店時(08年4月)にコレットの正社員となった。

ギフトサロンや外商などさまざまな部署を経験。発声や表情、立ち居振る舞いなどデパートならではの接客に磨きをかけてきた。それだけに昨年7月の閉店発表には、自分を育ててくれた店がなくなることを思うと言葉にならなかった。「小倉駅前のにぎわいを消してはならないと地域の人たちと守ってきた百貨店。残念です」

閉店後しばらくしてから約500メートル離れた井筒屋本店に籍を移す川本さん。「お客さまや同僚の支えがあって今の私がある。店のことを考えると涙が出るが、くよくよしてはいられない。ここで得た知識や経験を胸に頑張りたい」と新たなスタートに向けて決意を語った。【下原知広】

JR小倉駅前の百貨店の変遷

1993年10月 小倉そごう開店 → 2000年12月閉店
2002年3月 小倉玉屋 開店 →   02年12月閉店
04年2月 小倉伊勢丹開店 →   08年3月閉店
08年4月 コレット 開店 →   19年2月閉店


② 小倉駅前の「顔」さよなら コレット最終日、1000人行列

西日本新聞(2019.2.28、参考)


地場百貨店井筒屋(北九州市)がJR小倉駅前で展開する商業施設「コレット」は28日、営業最終日を迎えた。開店前から約千人の買い物客が列をつくり、約10年間「駅前の顔」として親しまれた施設との別れを惜しんだ。

コレットは2008年4月、撤退した小倉伊勢丹に代わって開業し、現在は入居ビルの地下1階~地上6階で営業。若い女性のファッションに注力するなどしてきたが、福岡市への買い物客流出もあり、経営的に苦戦していた。

福岡県田川市の専門学生、貞末大輝さん(19)は「高校生になって初めて来た時、小倉は都会と感じさせてくれた施設。なくなるのは寂しい」と話した。

主要テナントの生活雑貨大手「ロフト」とファッションブランドの「ZARA(ザラ)」などはビルに残り、3月1日以降も営業を継続する。

=2019/02/28付 西日本新聞夕刊=