韓国は正義の国と言うが、韓国の儒教で言う正義とは何だろう?その時の都合で正義そのものが変わるようだ。韓国には「歴史を立て直す」と言う言葉があるようだか、昔のことも現在の都合で書き直すことが簡単に出来るようだ!
日本にも正義の概念はあるが、その時の都合で正義が変わることは無い!一度約束した事は守ることが正義の大きな支柱である。韓国の様に簡単に不義になる正義とは何なんだろう?韓国人は約束が守れない甘えと言い逃れの人間に見えてしまう。
西欧のキリスト教社会では神様を証人とした約束は絶対に守ると言うルールがあり、日本人と価値観が共通している。大体、約束が守られる保証のない約束なんて誰がするのか?韓国との約束とか国際条約は無意味であることを思い知らされる。
かつて秦の始皇帝が法治主義を貫き徳治(人治)主義の儒者を廃した(殺した?)と言うが、まさに日本人が秦の始皇帝の後継者だなあ!と納得した。
雑談
マラソンの四つん這い事件は、ルールを改正して代走を立てるなどにすれば良い。この例をもとに揚げ足取りして、ルールや約束は守らなくても良いとの話にはならない,
参考
① 【グローバルアイ】約束を守る国・日本、正義が重要な国・韓国
昨年10月、福岡で開かれた駅伝マラソン大会では奇怪な場面があった。走っている途中で片方の足を骨折した19歳の女子選手がこれ以上走ることができない状態になったが、中継所までの残り約300メートルを膝で這って完走した。アスファルトの道を四つん這いで血だらけになって這うこの選手の姿は全国に生中継された。
責任感が血だらけの彼女を走らせたとしても、記者の目には引き受けた区間だけは最善を尽くして走るという「約束」を守ろうとしていた無謀な挑戦としか見られなかった。同時に、日本人たちにとって「約束」とは、膝がこのようになっても守らなければならない「恐ろしいこと」ということをぼんやり感じさせた事件でもあった。
新年早々、安倍晋三首相は「ルールを守る国」を強調した。ある新春対談ラジオ番組に出演して韓国を「ルールを守らない国」の範囲にそれとなく組み入れた。司会者が「(日本はルールをしっかり守る国だが)ルールを守らない国に対し、どう接していくかは非常に難しいと思う」と言う趣旨の発言をすると、安倍首相は「自分のことばかりでは結果的に、国際社会は経済成長できないし、安全保障面でも不安定になる。ひいては自国にとって大変なマイナスになる」と述べた。韓国大法院(最高裁)の強制徴用賠償判決を狙った質問と返事だった。
最近会った韓国問題担当の日本外交官は、韓国と日本の認識の違いを説明しながら「韓国語の『オルバルダ』という表現を日本語で表現するのが一番困る」と告白した。「オルバルダ」が「正しい(ただしい)」という単語だけでは説明できないという話だった。日本人にとって「正しい」は、決められた基準に沿って行うことをいう。
合意や約束があればそのとおりすることが「正しいやり式」だ。しかし、韓国で通用する「オルバルダ」の意味は、それこそ時代によって異なって受け止められる。「その時は合っていて、今は間違っていること」が「オルバルダ」という意味として使われるということだ。韓日慰安婦合意や大法院の強制徴用賠償判決がそうだ。「ヨクサ(歴史)パロ(真っ直ぐに)セウギ(立てる)」は日本語にない言葉だ。「歴史を立て直す」としか翻訳できない。
静岡県立大学の奥薗秀樹教授は、韓日間のこのような違いを「重要視する価値が違うため」と説明する。「日本は約束を守ることが重要な国である一方、韓国は正義を重要視する国」という説明だ。
それなら互いの違いを理解して隙間を埋めようとする努力でもしなければならないが、そうしようとする行為が十分に感知されておらず心配だ。韓日関係はもともとそうなんだという「傍観論」こそ最も警戒しなければならない対象だ。「韓日関係がいつ良かったというのか。少しくらい悪くても構わない」というような認識は、最初から外交をしないという言葉にも聞こえる。新しい年は可視的な相互努力が見える1年になればと思う。
ユン・ソルヨン/東京特派員
③ 北東アジアで秦の始皇帝の法治主義を受け継いで貫いているのは日本だけである