鹿児島中央駅、旧西鹿児島駅 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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鹿児島中央駅(現在)

西鹿児島駅(1975年)

鹿児島中央駅の正面

鹿児島中央駅前の電車通り

顔の中央駅前の電車

西口、新幹線ホーム


参考

鹿児島中央駅の歴史(wikiより)


1913年(大正2年)10月11日に川内線(せんだいせん)として東市来駅から鹿児島駅までの区間が開通したのに伴い、鹿児島市武町武駅(たけえき)として設置された

設置時の初代駅舎は鹿児島駅で使用されていた木造駅舎を移設したものであった。また設置当時、武駅周辺には田園が広がっていたという。川内線開通の2年後には鹿児島電気軌道(現在の鹿児島市電)の高見馬場停留所から武駅付近までが延伸され武駅前に武駅前停留所(たけえきまえていりゅうじょ)が設置された。

西鹿児島駅

1927年(昭和2年)に川内本線(八代-鹿児島間、1924年に宮之城線が開通したのに伴い川内線から川内本線に改称)が全線開通し、川内本線は鹿児島本線に編入され、同時に武駅は西鹿児島駅(にしかごしまえき)に改称。

翌年に駅名の改称に伴い鹿児島市電の武駅前停留所は西鹿児島駅前停留所に改称された。1930年(昭和5年)12月7日には指宿線(現在の指宿枕崎線)として西鹿児島駅から五位野駅までの区間が開通し、西鹿児島駅は分岐駅となった。

第二次世界大戦中の鹿児島大空襲では駅本屋等が焼失する等の被害を受け、戦災復興事業により1950年(昭和25年)4月に駅舎が完成するまで仮設駅舎が使用され、完成した2代目駅舎は民間の資金による民衆駅として建設されたものであった。

1901年(明治34年)に鹿児島まで鉄道が開通して以降、優等列車の発着駅は鹿児島駅であったが、戦後の復興計画により鹿児島駅は貨物の集散駅、西鹿児島駅は旅客の発着駅としての位置付けにより事業が行われ、西鹿児島駅の駅前広場の拡張が行われた。これにより1971年(昭和46年)から優等列車は鹿児島駅から西鹿児島駅発着に変更され、鹿児島市の中心駅としての機能が移転した

1996年(平成8年)に現在の駅舎(3代目駅舎)に建て替えられた

鹿児島中央駅

2003年度中に新八代駅と西鹿児島駅間の九州新幹線(鹿児島ルート)が開通することが決定し、それに伴い西鹿児島駅駅名選定委員会が2002年8月に新駅名を公募した。