直木賞作家古川薫の終焉の地、安岡病院 山口県下関市横野町3丁目16−35 安岡病院古川薫さんは、2016年にがんを宣告されたが作家活動は継続し、病床においても毎日新聞西部本社版に連載した「維新のあきびと(商人)」を完成させ、ここ安岡病院で亡くなられた。参考① 訃報: 古川薫さん92歳=直木賞作家、「漂泊者のアリア」毎日新聞 2018年5月5日 18時38分(最終更新 5月5日 22時30分)(参考)古川薫さん=2014年6月、平川昌範撮影幕末の長州藩を主題にした歴史小説で知られる直木賞作家の古川薫(ふるかわ・かおる)さんが5日、血管肉腫のため死去した。92歳。通夜は5月6日午後6時、葬儀は7日午前11時、山口県下関市楠乃2の551の115の下関典礼会館。自宅は下関市長府羽衣町。喪主は長男貴温(きみはる)さん。下関市出身。1945年に召集され、兵庫県・丹波篠山の航空通信連隊で教育期間中、終戦を迎えた。山口大卒後、中学教師を経て、山口新聞記者として活躍。編集局長を最後に退社し、1970年から下関で創作に専念する。史実を丹念に拾って新しい解釈を生み出す手法に定評がある。高杉晋作や桂太郎、児玉源太郎など幕末・維新期の山口県ゆかりの人物伝を数多く発表した。事実を重視する緻密で雄渾(ゆうこん)な作風は“硬質の叙情”と称賛された。1965年、「走狗(そうく)」が初の直木賞候補となる。1991年、「漂泊者のアリア」で受賞するまで直木賞に10回ノミネートされた。候補10回は直木賞の最多記録。受賞作はオペラ歌手、藤原義江の愛と流浪の生涯を丹念に描いた。2002年には「花も嵐も 女優・田中絹代の生涯」で著書100冊に到達した。以後も、攘夷(じょうい)戦争で持ち去られた青銅砲を追う「わが長州砲流離譚(りゅうりたん)」や、乃木希典“愚将”論の修正を試みた「斜陽に立つ」など精力的な執筆を続けた。2015年の「君死に給(たま)ふことなかれ 神風特攻龍虎(りゅうこ)隊」では、旧海軍の練習機赤トンボの整備士時代に生じた特攻隊員との縁を小説化して話題になった。2016~17年に毎日新聞西部本社版に連載した「維新のあきびと(商人)」は下関の豪商・白石正一郎の視点から志士群像を描いて総決算的な仕事になった。2016年にがんを宣告されたが作家活動は継続し、病床で完成させた。小泉純一郎・元首相ら政界にもファンが多く、地元・下関の安倍晋三首相と親密なことで知られた。② NHKニュース