宗像三女神と天照大神は同一か! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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伊勢の二見浦の日の出

天照大神は宗像三女神の一人と、例えば市杵嶋姫命と、瀬織津姫を介して同一と見なしても良い。すなわち、天照大神は宗像大社にも鎮座していたことになる。宗像大社が裏伊勢と尊崇される訳が分かった。やはり、沖ノ島を中心とした宗像大社が天照大神の居られる高天原であろう!

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宗像大社の沖ノ島


参考

1  宗像三女神は別名を道主貴(みちぬしのむち)と称し、「最高の道の神」として、渡来する民に道を示し、導いて下さる神として、「貴」(むち)という最も尊い称号が記されています。「道主貴」に含まれる「貴」という漢字は、「ムチ」という言葉の当て字にすぎません。この言葉の語源はヘブライ語のmotse、モチ(motse、モチ)であり、その意味は「見つける者」、「見出す者」を意味しています。アジア大陸から訪れる神の民に、旅の航路を示して導いて下さる神だからこそ、「貴」という漢字を当てて「ムチ」、すなわち「道を示して下さる神」と称し、それを神の民を導く「最高の道の神」の称号としたのです(参考)。

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宗像三女神

2  天照大神には、多くの別称があります。古事記では天照大御神、そのほか大日女尊、大日霊とよばれることもあります。その別名が、大日孁貴=「おおひるめのむち」です。大日孁貴命、大日女尊、大日霊、大日女ともいわれます。「おおひるめのむち」の「むち」は尊称(広辞苑第六版)であり、「治める者。束ねるもの」を意味します。ここで、貴(ムチ)は、「尊=ミコト」、「命=ミコト」と同じ意味で使われているようです(参考)。

機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多い(wikiより)。

イザナギの子であり、水平線から立ち上る日の出を迎える神であるオオヒルメノムチに、天から照りつける太陽を表す天照大神という別の神が習合したのではないかという説もある(参考)。

3  日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国とは微妙に異なる特質をもち、日本神話に登場する宗像三女神の一柱である、市杵嶋姫(いちきしまひめ)と同一視されることも多く、「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、宗像三女神または市杵嶋姫を祭っているところが多い。瀬織津姫が弁才天として祀られる例もあるが少ない(wikiより)。

瀬織津姫と湍津姫、又は市杵嶋姫を同一と見る神社もある(参考)。

瀬織津姫を三分割した神が宗像三女神である解釈があった(参考)。

4  瀬織津姫は、祓戸四神の一柱で災厄抜除の女神である。神名の名義は川の早瀬の穢れを清めるとある。祓神や水神として知られるが、瀧の神・河の神でもある。その証拠に瀬織津姫を祭る神社は川や滝の近くにあることが多い。

瀬織津姫の名は記紀には記されていないが、偽書『ホツマツタエ』では日本書紀神功皇后の段に登場する撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と同名の向津姫を瀬織津姫と同一神とし、天照大神の皇后として、ある時は天照大神の名代として活躍したことが記されている(参考)。

瀬織津姫は天照大神と浅からぬ関係がある。また、天照大神の荒御魂(撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ))とされることもある。兵庫県西宮市、西宮の地名由来の大社である廣田神社は天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていた。

伊雑宮(いざわのみや)御師(おし)である西岡家に伝わる文書において、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれ、同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある。両神はつまるところ同じ神であると記されている(参考)

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伊雑宮

荒祭宮(あらまつりのみや)は伊勢市宇治館町にある内宮(皇大神宮)の境内別宮である。祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)である。『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している(wikiより)。

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荒祭宮

湍津姫命は宗像三女神の一神として宇佐神宮にも祀られています。三女神化される前は、湍津姫一神だったと思われます。湍津姫は川神・滝神であり水の神である瀬織津姫のことです。伊勢では内宮の荒祭宮の神でもあります。内宮では天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)と呼ばれ、時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを、「荒御魂」とたたえますと伊勢神宮公式HPには記されています(参考)。

5   『日本書紀』本文では3番目に、第二の一書では最初に生まれたとしており、第三の一書では最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとしている。現在宗像大社では、辺津宮の祭神としている。また市杵島神社では、「市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されているという。」とある。神名の「イチキシマ」は「斎き島」のことで、「イチキシマヒメ」は神に斎く島の女性(女神)という意味になる。辺津宮は陸上にある宮であり、その意味では、中津宮・沖津宮の祭神とする『記紀』の記述の方が神名の由来に近いことになる。厳島神社(広島県廿日市市)の祭神ともなっており、「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとされている。後に仏教の弁才天と習合し、本地垂迹において同神とされた(wikiより)。

6  沖ノ島は天照大神が居られる高天原か!

7  大島、宗像大社、中津宮

8  住吉神社、下関の厳島社

9  永田神社、下関市大字永田郷

10  宗像三女神の道主貴以外には、貴の称号を持つ神は、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち)(天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち)(大国主命)のみです(参考)。


11  伊雑宮は内宮(皇大神宮)別宮で、内宮背後の島路山を越えた志摩市磯部町上之郷にある。伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国外のものは伊雑宮(志摩国)のみ。また神田を持つ唯一の別宮である。当宮は、10社ある内宮別宮の中で荒祭宮月讀宮、瀧原宮に次ぐ順位とされる(wikiによる)。


12  宗像大社と伊勢神宮の神饌の形式が同じ


13  瀬織津姫についての追加情報

伊勢神宮の内宮荒祭宮では、
       天照皇大神荒魂=瀬織津姫
宇佐神宮では、
       比売大神=瀬織津姫
宗像大社では、
       湍津姫神=滝津姫=瀬織津姫
住吉大社では、
       神功皇后=姫神=瀬織津姫
厳島神社では、
        湍津姫神=滝津姫=瀬織津姫
であり、
さらに
        棚機津女(たなばたつめ)=
        棚織姫=瀬織津姫
は、七夕伝説の織姫とも習合した。しかし、大津京に遷都後、即位した天智天皇の勅命によって、669年、天智朝の右大臣中臣金(なかとみのかね)によって大祓の祝詞(おおはらいのことば)が、この佐久奈度神社で創られました。この大祓の祝詞によって、瀬織津姫は祓い戸の女神として封印されてしまいました(参考)。

14  ヒミコ(大日孁貴)=アマテラス=三女神=木花開耶姫=玉依姫と言う説もある(参考)。


: なお瀬織津姫は宗像大社辺津宮と中津宮のそれぞれの境内社の祓方神社に、織姫は中津宮の織姫神社にそれぞれ祀られている。


: 偽書『ホツマツタエ』について、神代文字で書かれた古史古伝であり、真偽は確定していない。参考程度に留める必要がある。



:  宗像の皐月神社(浮殿)には、記紀における神功皇后の新羅征討譚に登場していた天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)の異名をもつ瀬織津姫命がいました(参考)。

所在地 釣川河口の辻八幡宮内
祭神 瀬織津姫命 宗像三柱神 速秋津姫命 神功皇后
由緒 祭神 瀬織津姫命、宗像三柱神、速秋津姫命ハ無格社皐月神社トシテ、大字江口サツキニ祭祀アリ。古ヘ田島宗像宮ノ頓宮地ニシテ、五月五日大祭アリ。競馬ヲモ執行シアリシト。又祭神神功皇后ハ大字江口字原ニ、無格社原神社トシテ祭祀アリシヲ、大正十四年四月一日許可ヲ得テ合祀ス。

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現在、辻八幡宮を訪れても、どの境内社が皐月神社なのかは分明でなく、また、祭神表記もありませんが、宗像五社の神々がそろって、浜殿・皐月神社へ「神幸集合」していた。

神事は宗像近在10社の神人が乗馬で集まり、浜殿にしつらえた五基の神輿に架け渡された緋色の綱を持つことによって神輿の霊と結縁を結ぶというもので、一時期再興されようとしたが祭事が大掛かりになるので行われなくなったという。『宗像神社史』によると宗像五社(第一宮・第二宮・第三宮・織幡神社・許斐神社)の神輿が浜殿に着くと、神輿から「御上座」という胡床(腰掛け)が出されその前で祝詞が奏上される(参考)。


: 日本書紀での宗像三女神と宗像大社三宮の対応の混乱、曖昧化の理由の推理(参考)。日本書紀を正史として尊重するためであるらしい。


:  宗像三女神の一神・湍津姫と同体ともされる瀬織津姫を、宗像大宮司が特に「私祭」していた。玄界灘の中海の大嶋(大島・中津宮)にいる(宗像)神は「厳重之奇瑞」が多く、これを湍津姫と名づけ奉る (参考)。


: 市杵島姫神は弁才天と同神で、水を持つものと言う神で、また芸能の神として信仰され、宗像大社では弁才天信仰の総本宮として崇敬されている方が多いと宣伝している。すなわち、水の女神、弁才天は瀬織津姫と同一神であり、その総本宮と宣伝しているようなものである。




: 瀬織津姫命を三分割した神が宗像三女神である解釈(参考)を大切ですので、丸々コピペしました。

宗像三女神と瀬織津姫
わかりました、宗像三女神の意味がやっと。

雲の合間から降りて来る龍神
雨を降らせ、霧を抜けて山へと降る
そして水流の流れに沿って降り
川から海へ、行き着く先は海の底の龍宮

水の根源神である瀬織津姫命を龍体とし
天から雨や霧となる女神 = 多紀理姫(田心姫・田霧姫)命
神名の「タキリ」は海上の霧(きり)のこととも、「滾(たぎ)り」(水が激しく流れる)の意で天の安河の早瀬のこととも解釈される。日本書紀の「タゴリ」は「タギリ」が転じたものである。wiki
川や滝の女神 = 多岐都姫(湍津姫)命
神名の「タギツ」は「滾(たぎ)つ」(水が激しく流れる)の意で、天の安河の早瀬のことと解釈される。wiki
海上の島や海の女神 = 市杵島姫命
神名の「イチキシマ」は「斎き島」のことで、「イチキシマヒメ」は神に斎く島の女性(女神)という意味になる。wiki

宗像三女神は水の龍体を三分割した女神であったのです。いわゆる瀬織津姫命から生まれた分身の女神

多紀理姫命 = 瀬織津姫命
多岐都姫命 = 瀬織津姫命
市杵島姫命 = 瀬織津姫命

いろんな説があるけれど、どれも正しいという事ですね(笑)市杵島姫命は斎き島に宿る巫女的存在だったのでしょう。水の龍神を祀る巫女として、島に宿る=人間界に一番近い存在なのかもしれません。

撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかき いつのみたま あまざかる むかつひめのみこと)

撞榊(つきさかき)⇒榊をまっすぐ突き通す(正しき神?)
厳魂(いつのみたま)⇒神聖な魂、斎み清められている魂
天疎(あまざかる)⇒天から離れ、天を降り
向津姫(むかつひめ)⇒海に向う女神