「調停は弁護士不要」と簡単に言い切る表現の問題点について | 金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

石川県金沢市在住・ごくごく普通のマチ弁(街の弁護士)が,日々の仕事の中で離婚,女と男と子どもにまつわるいろんなことを書き綴っていきます。お役立ちの法律情報はもちろんのこと,私自身の趣味に思いっきり入り込んだ記事もつらつらと書いていきます。

1.
 私は,


①離婚を考え出した女性へのメッセージ

②離婚の道のり(女性の方へ)

③弁護士を選ぶ(女性の方へ) 

といった一連の記事で,ご本人が人生の操舵者であること,ご本人の自己決定,離婚に関する法律問題の一応の解決にいたる道のりの中でご本人が自分で決めるということの心理的回復における意味について繰り返し書いています。

 そして,私は,私自身の昔からの問題意識として,「当事者の自己決定と専門職の専門性との関係」とか「実質的自己決定支援」ということを考えてきました。
 「専門職支配」にならないこと,さらに,当事者の実質的な自己決定を支援していくような専門職の援助を積み重ねていくこと。
 抽象的で分かりにくいですけれども。

2.
 私は,離婚の問題であれ,多重債務の問題であれ,消費者問題であれ,弁護士依頼するかどうかをご本人にお決めいただく際に,以下の話をすることがあります。

 基本的に自分自身でやれることは自分自身でやった方がいい。
 しかし,自分だけでは対処困難な事柄を取り扱うときには専門の援助を上手に利用することによって,自分だけでは対処困難な事柄を自分自身で対処できる事柄する必要がある。
 軽い風邪なら,薬局の風邪薬で治すなど,自分の判断で対処して治ることも多いでしょう。軽い風邪で大学病院へ行く人はあまりいない。
 他方で,心臓に穴が空いているのを薬局の風邪薬で治すとしたら,それは,無謀です。命に関わるでしょう。
 あなたが対処しなければいけない諸問題をあなたが独力で対処していけるかどうかをよく考えることが大事です。
 あなたがご自身の現実対処能力で十分に対処できるなら,ご自身で対処することが一番よい。
 しかし,あなたが独力で対処困難な事柄に対しては,必要な援助をきちんと利用するということ,それこそが,あなたの健全な現実対処なのです。
 間違っても,心臓に穴が空いているのを自分自身でなんとかしようと思ってはいけません。
 手遅れになることもあります。

3.
 協議離婚に関していうと,相手方との協議をご自身で対処できるかどうか?
 できる場合もあればできない場合もあります。
 それは,相手方の協議の態度にもよりますし,そこで煮詰めなければならない問題の複雑さにもよります。
 たとえ相手方が誠実に話ができる人であったとしても,合意しないといけない事柄が複雑であれば,当事者同士の協議で合意をまとめようとしていくことには大きなリスクが伴います。
 たとえ合意しないといけない事柄が離婚オンリーという一見単純なものでも,相手方がトンデモなDV夫で離婚自体に反対し,別居に対して怒濤のストーカー攻勢をしかけてくるような人であれば,話し合い自体が成立しません。


 離婚の調停について考えてみましょう。
 調停の申立て自体は裁判所に所定の書式がありますので簡単にできます。
 調停の手続には,期日に裁判所へ行き,交互に調停委員と話しをするという口頭での手続ですので,わりと簡単にできるように思えます。
 この点を捕らえて,「調停手続では代理人弁護士は不要」と指摘される方が大勢います。
 私は,そういう意見に接したとき,もう少し,丁寧な説明をした方がご本人のためなのにと思います。

 調停の申立て自体は確かに簡単にできます。
 調停では,基本的に申立人と相手方が交互に調停委員に口頭で事情を説明し,調停委員から相手の言い分を聞いて合意ラインをさぐっていくという手続進行です。
 ですから,きちんとした書面を出さなくても手続進行自体はできますし,それで解決できる事件もあります。
 そういう点をとらえて,「調停は弁護士委任不要」と言うことが,まったく間違いというわけではありません。
 
 しかし,そこで離婚の調停で取り扱われる問題は,子どものことであれ,安全安心のことであれ,慰謝料や財産分与や養育費といったことであれ,ケースによってはとても悩ましい問題があります。
 調停で話し合って合意するということは,離婚に関するそのような諸問題について,自分はこうありたいと思う姿と相手がこうありたいと思う姿が離れている状態の中で話し合い,双方が妥協して折り合いをつけるということです。
 このことを具体的に考えると,私は,「調停は弁護士委任不要」などと簡単に言うことは,読んだ人にとんでもない誤解を与えかねないと思います。


 調停合意=「妥協」というと,「妥協」という言葉のニュアンスとしてマイナスの響きを感じる人がいるかもしれません。
 しかし,決してそうではありません。
 あなた自身の中には,実現したいいろいろな価値があります。
 その全ての価値を100パーセント満足させることは,それができればこれほど嬉しいことはありませんが,それは一般に困難です。
 そのような中で,どの価値をどれだけ優先するか。

 ある価値についてのあるラインを譲れない一線と考えてそれを主張し続けた場合,調停での合意が成立しないとなると,その価値の実現を目指して審判や訴訟へと移行することを決断しなければなりません。
 審判や訴訟へ移行した場合,その譲れない一線の価値が実現される場合もあります。
 審判や訴訟へ移行しても,その譲れない一線の価値が結局は実現できない場合もあります。
 訴訟化することである価値は実現できても別の価値が損なわれることもあります。
 訴訟化することで,迅速な解決ということから期待できる様々な価値は損なわれることになります。
 ですから,ご自身のなかにある様々な価値の葛藤の中で,おりあいをつけ,相手との妥協点を探ることができ,ご自身がその「妥協」の道のりと結果について十分に納得できるのであれば,その「妥協」は,あなた自身の重大な成果なのです。
 そのようにして,ご自身の現実対処能力を発揮して困難な事態に一定の解決を与えたというあなた自身の「達成」なのです。


 次に,審判や訴訟について簡単に触れましょう。
 私は,調停,審判,訴訟と,全てを弁護士として経験しています。
 それぞれにメリット,デメリットがあります。

 調停で成立せずに審判や訴訟になっていく場合,多くの人はそれをマイナスと考えるでしょう。
 宮沢賢治さんは,
 

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

  ツマラナイカラヤメロトイヒ  
(北に喧嘩や訴訟があれば
 つまらないからやめろと言い)

と「雨ニモマケズ」で書いてます。

「裁判沙汰」という言葉もあります。

 つまらないことで訴訟をやるのは,なるほど,無駄です。
 でも,私は,私自身の経験に照らし,訴訟の道のりを歩む中で,迅速さと引き換えに得られる価値もあると考えておりますし,実際に,そういう実例を多数経験しています。
 ブログを読んでいましても,そういう道のりを歩まれているなぁと実感できる方がおいでです。

 その得られる価値とは,例えば,不正義に対してNoを言い続けることから獲得されていくご自身の強さであったりします。
 困難な争いが一定期間長く続くことになりますが,その困難な道のりを適切な援助者を得つつ歩いていくことで,ご自身の自尊感情と誇りをその道のりの中で回復していかれる方が大勢します。
 そのような道のりを歩む中で獲得されたご自身の精神性を大切にされている方も大勢います。 
 ケースによっては,母が不正義に対してNoを言い続けるその道のりが,子どもに対し,生きる道標となることもあります。
 私は,そのような実例も体験しています。

 このように,迅速解決は確かにひとつの価値なのですが,迅速でありさえすればよいという単純なものでもありません。
 審判や訴訟になったことで実現できる価値も確かに存在するのです。
 審判や訴訟の手続でも,当事者の自己決定の価値は極めて重要です。
 それは,それらの手続におけるご本人の手続保障の中で具体化されていきます。
 十分な主張立証を行う,十分な権利主張をする。
 その活動の一つ一つがご本人の自己決定の積み重ねなのです。
 

 離婚に関する法律問題の一応の解決を調停合意で実現するにせよ,審判や訴訟手続で実現するにせよ,私は,究極的には,次のことが一番大切だと思っています。

 その一応の解決までの道のりと結果が,ご自身の自尊感情や誇りを高めるものであるのかどうか。

 そして,この一番大切なことを実現しようとした場合,自己決定ということがとても大切であることを改めて思います。
 そして,その自己決定とは,実質的なものである必要があるのです。
 十分な情報が提供され,複数選択肢の中でその利害得失について熟慮され,ご本人の十分な納得の上で行われる自己決定でなければいけない。
 知識情報が不十分であり,他の取り得る選択肢もきちんと検討されず,複数選択肢のメリットデメリットの考慮もなされず,しかもハラスメント的に決断を迫られる中で決定するとしたら,それは,私は,「自己決定」の名に値しないと思っています。


 さて,調停は,先にお話したように,申立自体は簡単にできます。
 期日に裁判所に行き,口頭で説明すれば手続が進んでいきますので,ご本人が独力で簡単にできるようにも思えます。
 こういうった点をとらえて「調停は弁護士委任不要」といった場合,それは,ご本人の自己決定という点からして,本当に,そう言えるでしょうか?

 調停の手続の中では,あなた自身の中にあるさまざまな価値の中でどれをどの程度優先するか,どこで譲れない一線~妥協可能ライン~を引くかが問題になります。
 それを自己決定するということを具体的に考えていただけたらと思うのです。
 
 例えば,離婚に関する法律問題について話し合っているわけです。
 あなたは,離婚に伴う諸問題についての十分な法律知識をお持ちですか?

 また,調停委員は,法律の専門職ではありません。
 しかも,調停委員は,申立人と相手方の間に立つ仲介者であって,あなたの援助者ではありません。
 調停委員があなたの立場にたって,あなたの法律問題について正確な法律知識を与えてくれるなどということは,期待できることではないのです。

 さらに,素敵な調停委員もいればトンデモな調停委員もいます。
 トンデモな見解を披瀝してそれを押しつけてくるような人も現実にいます。
 ハラスメント的な調停委員の言動があった場合,あなたはしっかりと抵抗できますか?
 その調停委員との「良好な関係」を維持しつつ,調停の場をあなたなりにコントロールしてあなたの言い分を共感的に聞いてもらえるような雰囲気に変えることができますか?

 あなたは調停委員の話す内容を正確に理解し,その上で,いろいろなことを考えてあなた自身の方針を言葉でもって伝えていくことがご自身で十分にできますか? 
 あなた自身の考えが社会的な妥当性とかけ離れていないかどうかをご自身で自己チェックしつつ,他方で,あなたが正当に主張できることは正当なこととご自身で判断し,萎縮することなく,調停委員に説得的に話すことができますか?

 あなたは調停や審判や訴訟の手続についての十分な法律知識や具体的なイメージをお持ちですか?
 調停が不成立になった場合にその後の手続がどのようになっていくかの具体的なイメージを持たないまま,最終妥結ラインの線を引くことはできないでしょう?
 審判や訴訟の具体的イメージを持たず,過度に審判や訴訟を恐れてそれを避けたいと思っているとしたら,あなたの最終妥結ラインはどんどん下がる一方になります。
 そのようにして最終妥結ラインを下げ続けて調停で合意したとした場合,それは,あなた自身の実質的な自己決定の結果だと言えますか?
 後で後悔することはありませんか?


 私は弁護士として調停事件に関わる中で,当事者の方が,ものすごいストレス,思い悩みの中で調停を進めていることを知っています。
 弁護士依頼していても,私が当事者の方に法的な知識や手続進行についての説明をし,ご本人が考えを整理するために問題状況を整理し,ご本人と話し合い,ご本人の相談に乗りつつ調停手続を進めても,それでも,私は,当事者の方はストレス一杯,思い悩みで一杯であることを感じています。
 だからこそ,弁護士依頼していない方々が,孤立無援状態で,どれほどのストレスや不安や知識・情報不足の中で調停の手続に臨んでいるのかに思いを馳せます。

 最初はご自身で調停を進めていて途中から私に依頼するようになった依頼者から,その方がご自身で調停を進めていたときのストレスや不安やご自身お一人で対処困難になった経過をお聴きすることがあります。
 そのようなおり,私は,不本意な調停合意を成立させる前に専門の援助を必要と判断されたことを嬉しく思います。

 他方で,私は,ご自身で調停を成立させた後で,その内容に後悔してなんとかならないかという法律相談を受けることもあります。
 その中には,調停委員がとにかく合意を成立させるために,調停の条項について不正確極まりない説明をし,ご本人を誤解させたとしか思えないものもありました。
 例えば,調停条項の中には,清算条項といって,「当事者間には調停条項で取り決めたことのほかは,財産的な権利義務関係が一切ないことを確認する。」という内容の条項が入ることがほとんどなのですが,その条項が入っているにもかかわらず,調停委員から,「調停成立後も,慰謝料や財産分与などを相手に請求できる」などという完全に間違った説明を受け,清算条項の意味も分からないままで調停を成立させてしまったという方もいました。

10
 かなりの調停事件は弁護士を代理人として委任せず,ご本人で手続進行がなされています。
 そのような調停手続の道のりと結果が,ご自身の実質的な自己決定の点で問題がないのであれば,そのようなご本人でのハンドリングは,私はとても素敵なことだと思います。

 でも,それは,実質的な自己決定ということを考えた場合,それは,そこで扱われてる問題が比較的単純であったりとか,ご本人がそれなりによく離婚の法律問題を調べていて十分に理解されていたりとか,調停委員がハラスメント的な言動をする人でなかったりとか,ご本人の合理的思考能力が優れていて諸価値が対立する中での利害得失判断をご自身で冷静に考えて決断できるとか,そのような諸条件があって実現できるものだと思います。
  
 私は,ご本人がご自身で対処できるものはご自身で対処されるのがよいと思っていますので,ご本人の現実対処可能な調停事件については,「弁護士依頼不要」と思います。
 しかし,そのようなご本人の現実対処能力を超える調停事件はいくらでもあります。
 そういう事件では,その事件をご自身の現実対処が可能な状態にまでもっていくために,専門の適切な援助が必要になってきます。
 心臓に穴が空いているのに薬局の薬で治そうとするのは悪しき結果となる可能性が大きいのです。

11
 こういう次第ですので,私は,「調停は弁護士依頼不要」などと簡単に言い切ったとしたら,私は,読んだ人にとんでもない誤解を与える不親切な記載だと思います。
 
 「調停は弁護士依頼不要」というのは,私なりにより正確に言いますと,「調停の申立ては裁判所備え付けの書式を使えば簡単にできるし,手続は口頭の説明を基本に進めていくこともできるので,弁護士依頼しなくても,一応,その手続を進行させることができる」という意味でしかないように思います。
 ご本人の実質的な自己決定を実現できているかどうか,調停の道のりと結果がご本人の自尊感情と誇りを高めていくようなものになっているかどうかという観点から調停手続を見ますと,私には,とても「調停は弁護士不要」などと簡単に言い切ることはできません。

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