第817話 江戸の大火(1)明暦の大火 と 稲田堤のイタリアンランチ | 時代劇本舗

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時代劇と食べ物と酒などのことを徒然に綴る予定でござる。

昨年末、京王稲田堤駅近くで用事があり、昼食

をその近辺でとることになりました。

とはいえ、あまり土地勘が無い場所でもあるの

で、駅近くで発見したお店に入ってみることにし

ました。「Bambu」というお店です。

イタリアンのお店のようです。ランチがお得感満

載のようです。

パスタがメインのランチにしました。まずは、小

スープ。ミネストローネです。

続いてグリーンサラダ。新鮮なレタスです。

それがしは鱈のブッダネスカ。

猫奥さんは、鶏ときのこのトマトソース。

しっかりとアルデンテの茹であがりです。

デザートと珈琲もついていました。この内容で

お値段は1100円~1400円くらい。なかなか

のお店でございました。

 

 

【時代劇こぼれ話】江戸の大火(1)

         明暦の大火

 

昨年末、新潟県糸魚川市で大火がありました。

150軒もの住宅やお店が被害に遭い、大き

な災害になってしまいました。たった1軒の

失火から、これだけの大火となったのは当日

に吹いていた強風のためだと言われています。

20mを越える強風が、火の粉を次々に撒き

散らし、密集した木造住宅街を焼き尽くして

行ったというわけです。

 

この大火、実は東京でも人事ではありません。

東京都内にはまだまだ木造住宅の密集した場

所が多くあり、その不燃化は遅遅として進ま

ないのであります。さて、今回は江戸時代の

大火についてです。

 

江戸時代はまさに3年に1回のペースで大火

が発生し、多くの市街地が焼失して焼け出さ

れた避難民も多く発生していました。その中

でも三大大火と呼ばれるのが明暦の大火、明

和の大火、文化の大火であります。その最初

の一つ、明暦の大火は明暦三年(1657年)

一月十八日から二十日にかけて、江戸市中を

焼き尽くした大火になりました。死者は何と

10万7千人。江戸城も被災し、天守閣は焼

け落ち、外堀の内側の全てが灰燼に帰しまし

た。ようやく出来始めていた江戸の街も大半

が焼け落ち、とてつもない惨状となったよう

です。

 

この火事は、本郷、小石川、麹町の三箇所か

ら同時に出火し、一度は鎮火したと思われま

したが、再び火勢が強くなり、江戸の町を全

て焼き尽くしました。特に囚人の解き放ちを

集団脱走と勘違いした役人が、浅草橋の門を

閉じたため、その周辺では避難民が立ち往生

し、ある者は門を乗り越えようとして堀に落

ち、ある者は押されて圧死し、大惨事となっ

てしまいました。この周辺だけで2万人余り

が落命したと伝えられます。

 

この火事の原因については諸説あり、本郷の

本妙寺火元説、老中屋敷火元説などがありま

す。本妙寺については、早死にした娘の振袖

をお焚き上げしようとしたところ、突風が吹

いてそれが火の粉となり、街に飛び散ったと

いう恐ろしい伝説があります。このため、明

暦の大火の別名を「振袖火事」と呼ぶそうで

す。しかし、本妙寺はその後大きな寺に発展

したため、火元であるならば咎めがあるはず、

ということから、この寺が誰かの失火の罪を

被ったのではないか、とも言われます。そう

なると、老中の屋敷の失火を本妙寺が引き受

けた、という説が有力視されますね。

とにかく、江戸城も周りの大名屋敷も灰とな

り、町人地もほとんど焼失するという、歴史

に残る大火となってしまいました。江戸の街

づくりは振り出しに戻ることになったわけで

す。将軍家綱のもと、江戸幕府は火事に強い

街を造るべく、新たな取り組みを始めました。

 

本日もお読み頂き、有難うございましたm(_ _)m