城址
【高舘城址ツアーのつづき】
高舘トンネルの脇にある旧道を行ってみます
ちょっとだけ荒れた道をちょっとだけ進むと、ありました
「歩道入り口」「展望台」と書かれた案内掲示と
踏むのがちょっと怖い木の階段…
でも、もちろん登ります
先日の黒羽城同様、河岸段丘に造られた城跡に向かって急峻な階段を上って行くと
道だかなんだかわからないところも
虫はもちろん、蛇だって出てもおかしくない道を登って行きます
自分で踏んだ木の枝の端が変なところで動いたことに、勝手に一人ビビって大きな声出しても大丈夫
誰もいないからです
でも、誰もいないなら滑落したら誰も助けに来てくれないのかなぁ、と思ったら携帯の電波が4Gで5本立ってました
しばらく登って行くと道が開けて、案内表示が見えてきました。
「憩の森」という方向へ行ってみると、展望台がありました。
が、ロープが張られていて展望台に上ることはできませんでした
展望台から少し奥に行くと「高舘最高点300m」の小さな看板。
木があって全景を楽しめるわけではありませんが、遠く那須高原や日光連山、そしてその手前に広がる那須野ヶ原、那珂川を垣間見ることができます
実はここが高舘城址。
高館城の歴史に関しては不明な部分が多いようで、伝承ではあの那須与一宗隆の父、資隆が築城し、与一も在城したとのこと。
そうすると、築城は平安末期ということになります。
また、源頼朝の命をうけた梶原景時に攻められ、平氏に与した与一の九人の兄がこの高館城に立て籠もり、攻め落とされた、という伝説もあります。
先日走った黒羽城の築城が天正4(1576)年ですから、近くにありながらも全く別の時代の城郭ということになります。
そう言われると、黒羽城に比べて造作が原始的
自然公園として整備された城址内を、北方向とは逆の駐車場方面に向かいます
ちょっとだけ行くとこぢんまりした駐車場があります。
さっきのトンネルを抜けてすぐのところからこの駐車場まで車で登ることができるようです。
そのトンネルまでのルートの途中から曲がり、しばらく下っていくと道を間違えたところまでつながっていました。
そのまま植えられるのを待つ苗が並ぶ水田の横をゆっくり走って、車を停めた黒羽運動公園まで帰ります
黒羽運動公園まで戻れば、そこには日帰り温泉の五峰の湯があるのですぐに汗を流して今日のワークアウトは終了です
高舘トンネルの脇にある旧道を行ってみます
ちょっとだけ荒れた道をちょっとだけ進むと、ありました
「歩道入り口」「展望台」と書かれた案内掲示と
踏むのがちょっと怖い木の階段…
でも、もちろん登ります
先日の黒羽城同様、河岸段丘に造られた城跡に向かって急峻な階段を上って行くと
道だかなんだかわからないところも
虫はもちろん、蛇だって出てもおかしくない道を登って行きます
自分で踏んだ木の枝の端が変なところで動いたことに、勝手に一人ビビって大きな声出しても大丈夫
誰もいないからです
でも、誰もいないなら滑落したら誰も助けに来てくれないのかなぁ、と思ったら携帯の電波が4Gで5本立ってました
しばらく登って行くと道が開けて、案内表示が見えてきました。
「憩の森」という方向へ行ってみると、展望台がありました。
が、ロープが張られていて展望台に上ることはできませんでした
展望台から少し奥に行くと「高舘最高点300m」の小さな看板。
木があって全景を楽しめるわけではありませんが、遠く那須高原や日光連山、そしてその手前に広がる那須野ヶ原、那珂川を垣間見ることができます
実はここが高舘城址。
高館城の歴史に関しては不明な部分が多いようで、伝承ではあの那須与一宗隆の父、資隆が築城し、与一も在城したとのこと。
そうすると、築城は平安末期ということになります。
また、源頼朝の命をうけた梶原景時に攻められ、平氏に与した与一の九人の兄がこの高館城に立て籠もり、攻め落とされた、という伝説もあります。
先日走った黒羽城の築城が天正4(1576)年ですから、近くにありながらも全く別の時代の城郭ということになります。
そう言われると、黒羽城に比べて造作が原始的
自然公園として整備された城址内を、北方向とは逆の駐車場方面に向かいます
ちょっとだけ行くとこぢんまりした駐車場があります。
さっきのトンネルを抜けてすぐのところからこの駐車場まで車で登ることができるようです。
そのトンネルまでのルートの途中から曲がり、しばらく下っていくと道を間違えたところまでつながっていました。
そのまま植えられるのを待つ苗が並ぶ水田の横をゆっくり走って、車を停めた黒羽運動公園まで帰ります
黒羽運動公園まで戻れば、そこには日帰り温泉の五峰の湯があるのですぐに汗を流して今日のワークアウトは終了です