こんにちは、みなさんお元気ですか?

今回は、ここ茨城県筑西市の歴史・文化財のお話です。


さて、筑西市の下館市街(旧下館町)は、坂の多いまち。それは下館が、南北に張り出す細長い馬の背のような台地上に造られた下館城とその城下町で形成されていたからです。このため東、西、南の3方向から城下へ出入りするには、必ず坂を通らなければなりません。


その坂のひとつが「江戸坂」。大町三丁目交差点を起点に西へ、西町を通過して荒町交差点まで続く坂です↓



大町三丁目交差点から↓


以前記事にした西町の北向地蔵を過ぎて↓




さらに下ると、建っているのがこちら↓


「江戸坂」の碑↓





江戸坂

この坂は水谷家時代末期にはすでに西坂と呼ばれていたそうだが、江戸時代初期、水谷家の移封後に入部した松平頼重の初期、江戸街道を開いた時整備され「江戸坂」と呼ばれるようになった。

頼重は水戸徳川初代頼房の長子(次弟は水戸二代藩主光圀)、下館城主在位三年で高松へ移封となった(下館五万石~高松十二万石)。この期間、町名改変も行っている。大町、西町などがそれであり、菅谷を新町と改称したのもこの時代といわれている。



というわけで、坂のまち・下館には、この江戸坂以外にたくさんの坂があります。今後機会があれば記事にしたいと思います。


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