茨城県筑西市の友好都市である岡山県高梁市(たかはしし)をあとにした、わたくし臣(しん)・・・
倉敷市玉島(旧玉島市)に移動し、備中松山藩主・水谷(みずのや)氏が勧請した羽黒神社を訪れました。

ここ玉島の羽黒神社境内にはなんと、備中松山藩主の水谷公三代をまつる水谷神社が鎮座しているのです。

こちらはその拝殿↓

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この拝殿は最近建てられたようで、コンクリート造り(?)です。

拝殿の奥には、菅原神社(天神様)、水谷神社、住吉神社、和霊神社が↓

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以下は案内板より
「水谷神社 御祭神  水谷伊勢守勝隆公 水谷左京亮勝宗公 水谷出羽守勝美公
由緒 今を去る三百有余年前 備中松山(高梁)五萬石城主水谷公三代に依って半世紀にわたり玉島浅口平野の一大干拓が見事に完成し あわせて玉島港都の構築がが企てられ 松山(高梁川)全域を改修 高瀬通し(パナマ運河より240年前に造った閘門式の運河)をつくり玉島隆盛の基盤が造成され 港は瀬戸内随一の商港として繁栄しました 実に水谷公三代は我が玉島の御祖(みおや)であります
宝暦二年(1752)四月 当時の玉島住民は水谷公三代の御偉業をたたえ 報恩感謝のまことを以って三代の御霊を斎き祀り 今日に至ったのであります 昭和63年5月 水谷左京亮公三百年祭奉賛会建之」

なんと水谷公三代は玉島の人々に慕われていたのみならず、遂には神様になっていたのです。

さらに羽黒神社の東参道には、こんな建物も↓

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水谷公記念館です。
この記念館は昭和33年、水谷公玉島開墾・羽黒神社鎮座三百年記念祭奉賛会が三百年記念事業のひとつとして建設したもの。
この年玉島市では、水谷公玉島開墾・羽黒神社鎮座300年を記念し水谷公三代の遺徳を讃えるため、全市をあげて様々な事業を行ないました(平成19年にも鎮座350年祭が行なわれています)。

水谷公がいかに玉島で愛されていたか、よくわかりますね。
同じく水谷公を藩主とした常陸国下館(茨城県筑西市)の住民として、誇らしいような嬉しい気持ちです。


というわけで水谷公ゆかりの地をめぐる旅、「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅10 羽黒山清瀧寺」に続きます。


■倉敷市玉島
岡山県倉敷市の西南部に位置する地域。
寛永19年(1642)常陸下館藩(筑西市)の藩主・水谷氏が備中松山藩主となり玉島の新田開発を始める。
元禄6年(1693) 水谷氏が断絶し、領地の多くが幕府に接収される。
昭和28年(1953)玉島町が市制施行し玉島市となる
昭和42年(1967)玉島、倉敷、児島の3市が合併し新・倉敷市が誕生。
現在は倉敷市役所玉島支所管内