茨城県筑西市の友好都市である岡山県高梁市(たかはしし)をあとにした、わたくし臣(しん)・・・
倉敷市玉島(旧玉島市)に移動し、備中松山藩主・水谷公ゆかりの地をめぐる旅はまだ続きます。

さてここ玉島には、高瀬通しの船だまりや玉島湊を見下ろすように小高い丘・羽黒山があります。
もともとは瀬戸内の海上に浮ぶ小島だったというこの羽黒山、その頂上に鎮座するのが玉島の羽黒神社です。

こちらが羽黒神社の東参道↓

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現在、参道はほかにも2つあるようです(写真左:南参道、右:西参道)↓

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南の参道を登ると神社の拝殿前に出るので、もしかしたらこちらが本来の表参道だったのかもしれません。

安政4年(1852)に再建されたという拝殿です↓

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こちらの本殿は嘉永3年(1845)再建とのこと↓

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玉島の羽黒神社は万治元年(1658)、備中松山藩主の水谷勝隆公が建立したもの。
玉島地方の干拓を行なうにあたり、その成就を祈願するとともに玉島の守護神とすべく、水谷家代々の氏神である出羽国羽黒山の出羽神社の神霊をこの地に勧請しました。
水谷家が無嗣断絶で改易となった後も、安藤家や石川家、板倉家といった歴代松山藩主により引き続き保護され、今日に至ります。

ちなみに水谷公の旧領である常陸国下館(茨城県筑西市)にも、初代下館城主・水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が建てたとされる羽黒神社が現存しています。

筑西市民のみなさん、倉敷市にも羽黒神社があることをご存じでしたか?
そして倉敷市民のみなさん、筑西市にも羽黒神社があることをご存じだったでしょうか?

境内で、水谷公寄進の六角石燈籠(倉敷市指定文化財)を見つけました↓

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「水谷出羽守勝美」の文字が読みとれます↓

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わたくし臣(しん)が住む筑西市から遠く離れた倉敷市に羽黒神社があり、今回そこに参拝することができて感激です。

というわけで、次回は「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅9 水谷神社」に続きます。


■倉敷市玉島
岡山県倉敷市の西南部に位置する地域。
寛永19年(1642)常陸下館藩(筑西市)の藩主・水谷氏が備中松山藩主となり玉島の新田開発を始める。
元禄6年(1693)水谷氏が断絶し、領地の多くが幕府に接収される。
昭和28年(1953)玉島町が市制施行し玉島市となる
昭和42年(1967)玉島、倉敷、児島の3市が合併し新・倉敷市が誕生。
現在は倉敷市役所玉島支所管内