こんにちは、みなさんお元気ですか?

先日、梅林について紹介した茨城県筑西市岡芹にある定林寺。
ここには、茨城県や筑西市の指定文化財がいくつかあります。
今回は、筑西市指定文化財(史跡)の水谷家歴代の墓をご紹介します。

水谷氏は、代々下館城の城主をつとめた武将の一族。
その「水谷家歴代の墓」が、同寺境内にある墓地の一番奥まった場所にあります。
墓地はゆるやかな丘のような形状になっていて↓

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登りきったところに「水谷家歴代の墓」が↓

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以下は筑西市ホームページよりの解説

【水谷家歴代の墓】
定林寺墓地の奥にある東西3.6メートル(二間)、南北2.7メートル(一間半)の区画に、下館城主水谷家の碑と五輪塔があります。
中央の角碑には、碑面の上段右から左へ初代勝氏、2代勝国、3代勝之、4代勝吉が、下段右から左へ5代治持、6代政村、7代勝俊、8代勝隆の法名忌日が刻まれています。
水谷家は、寛永16年(1639)3月、勝隆の時に備中成羽へ移封となり、さらに寛永19年(1642)7月28日には備中松山へ移封になりました。
水谷家は、結城氏の客分として結城にいましたが、文明10年(1478)水谷勝氏が下館城を築き独立し、歴代勇武と外交手腕に秀でた人物を輩出しました。

水谷氏といえば、戦国時代に活躍した無敗の猛将・水谷蟠龍斎(ばんりゅうさい・6代政村)が有名なのですが、備中松山(岡山県高梁市)に移ってからも備中松山城(国重要文化財)の整備を行うなど、藩主として多くの実績を残しています。

ちなみに「水谷」の読み方は、「みずたに」ではなく「みずのや」。
みなさん、正しく読めましたか?


というわけで、下館城主・水谷家歴代の墓のご紹介でした。