毎年


年齢が変わるたびに


前年どんな歳だったかと、今年をどんな歳にしたいかを


ブログに書いているのだけれど


今年はバタバタしていて、遅くなってしまった!


ということで


おそばせながら!


23歳について、


振り返っておきたいと思います。


どんな歳だったか!


書いておかないと、忘れちゃうからね!





23歳になる時


ここからの一年で、人生が決まるような気がしていた


というか


キメないと駄目だと思ってた



23歳で


なんの結果も出せなかったら


まずい、と思ってた



そういう気持ちで取り組んだ23歳で


結果、出せたな、


と思えたことが


まずとても嬉しかった



23歳は


22歳までの自分とは


全然違うステージに入ることが出来た年でした。


世の中から


それまでとは全然違う目で、見てもらえるようになった年だった。




20代前半、女、とか


色白、セミロング、とか


そういうカテゴリに対しての依頼じゃなくて


「下田美咲」って存在に対して


お仕事を頂けるようになって


何をするときも


私が「これについては、こうだと思う」というのが


他の何よりも大事なこととして


優先してもらえるようになって


毎日が、楽しくなった。




下田美咲に対してのオファーが増えて


だんだん時間が足りなくなって


私じゃなくても出来る作業に関しては


他の人にお願いするようになって


『私にしか出来ないこと』


って言葉の意味が、はじめて解った




これといった才能も特殊スキルも持っていない私に


「私にしか出来ないこと」なんて無いと


ずっと思っているけど


誰にでも出来ることを


誰もやってないくらい全力でやり続けたことで


それが「私にしか出来ないこと」になったらしい




23歳になった頃から

私がすることを


「下田美咲にしか出来ない」と言ってもらえるようになって


それをお金を払ってでも欲しいって風に、求めてもらえるようになっていって


本当にすごいことだと思った



自分のことながら、


とんでもない事態が起きている、、、!


と何度でも思う


すごく、嬉しい




自分にしか出来ないことって


自分で決めることじゃなくて


他人が言いだしてくれた時に


はじめて、


自分にしか出来ないことを、やっていい人になれるんだと


知った。




23歳で


そんな風にお仕事を出来るようになるなんて


思ってなかったから


びっくりだし


ほんと、楽しいし嬉しいし幸せ!





去年の夏に


私が神サマネージャーと呼んでいる


現在の下田美咲の側近スタッフのYさんと出会えたことで


三年前から企画書として存在していた「お手を拝借!もういっちょ!」を


理想の形で、音源にすることが出来て


一つ目の夢が叶ったのが


去年の秋の始めで


その頃から


どんどん夢が叶っていったなぁと


振り返ってみると思う。





下田美咲の動画プロジェクトの存在が


口コミで、じわじわと広がっていった結果として


テレビからのオファーが来た2月。


そこから


「今夜くらべてみました」「ズームインサタデー」「アウト×デラックス」「ロンドンハーツ」に出演。




きっと説明しても


普通じゃ考えられない展開すぎて


あまり理解されないのだと思うけど


私は未だに、どこの芸能事務所にも属していなくて


すべてのテレビ出演は


私のブログに載せているアドレスに


番組スタッフさんから


「YouTubeを見て・・・」とご連絡を頂くところから始まった。



私は


自分の状況の、全部を知っているから


むしろ、誰よりも


「こんなことってあるんだなぁ」


って


この展開に驚いている。





営業ゼロでテレビに出られるなんて、びっくりだし


事務所の力、というのか


大人の動きなしで、


こんなところまで来れるんだ、って


ひたすら驚いてる。


ものすごく夢があるなぁ、って感動してる。



全てのテレビ出演の時も


一番最初のご連絡は、ここから始まっていたのだけど


「何が出来るとかはわからないが、とにかく一度会ってみたい」


「下田さんのことが知りたい、一度お話を聴かせてほしい」


という、お問い合わせが


日々増えていき



そうしてお話させて頂くたびに

(私が、心にあるものをひたすら言葉にする二時間コース)


「下田美咲と何かをしたい」


と言ってくれる人に出会えて


仲間がどんどん増えていった


その人たちのことを


チーム下田美咲、と呼ぶようになって

頼れる仲間の数だけ


できることが、増えていった。


どうにか出来そうなこと、諦めなくていいことが増えていった。





頼った分だけ、仲間が増えるし


甘えた分だけ、身内になれる


私は、素の性格だと


人に頼る甘えるが超ーーー苦手なのだが


そう思うから


「迷わず、頼るし甘える!」という決意をして


そう行動した


仲間になりたいと思ったら、頼ったし


もっと身内になりたいから、甘えた




頼ること、甘えることの苦手さは


ぜったい恩返しする!


チーム下田美咲を、私は幸せにする!


という決意で、バランスとった




今、私の周りに居る人は


私と関わることを選んでくれた人で


私は、その人たちの人生を


私に関わらなかった場合より、絶対、いい人生にしたいと思う


チーム美咲になってくれた人の人生を


なんとしても、楽しいものにしたい



下田美咲に関わることにして良かったー!!と


いつか絶対思ってもらえるようにしたい。






23歳で起きた出来事を


まとめてみる



・「女々しくて」公式カバーで歌手デビュー


・まさかの宮下さんとコラボで曲を作れることになり、夢が叶う


・「お手を拝借!もういっちょ!」が完成


・せあらーずにパフォーマーとして加入、はじめてのワンマンライブ作りに取り組む


・この世で一番好きな曲である「LOVEドッきゅん」を歌うクラブプリンスさんワンマンライブオープニングアクトを務め、大興奮


・「今夜くらべてみました」に出演


・その際に、どうやって自己紹介しようかと考えるうちに「ライ縦ライ横ライ下田美咲」というコールが生まれる


・念願だった「下田美咲Wikipedia」が作られ興奮


・下田美咲の動画プロジェクトが100万回再生を突破


・おめでたいということで、家の中に、金の屏風を特設


・さらに特大くす玉を制作


・さらに全国のシモリアンへ「おめでたい」の鯛を募り、数千匹の鯛で部屋が埋まる


・せあらーずを脱退


・日本合コン協会から「飲みのコール賞」を受賞。はじめての表彰式を経験。


・「コール日本一」になる


・コールの人として、文化放送「福井謙二のグッモニ」に出演


・その放送がキッカケとなり、文化放送のCMを作ることに。


・宣伝トラックに憧れすぎて、家の車を改造し、下田美咲宣伝カーを自作


・ズームインサタデーに「カラオケ盛りあげの達人」として出演


・「下田美咲、タガメ完敗!録画してくれてたのにごめんねカーニバル」を挙行


・私のゴールデンボンバーさんへの熱意がアウトとされ、「アウトデラックス」に出演


・ブログが炎上(5000件の苦情)


・「お手を拝借!もういっちょ」の配信がスタート


・配信おめでたい!キャンペーンしたい!と思い、下田美咲うちわ、下田美咲ステッカー、下田美咲チラシを制作


・そのことで破産


・車の上に乗ってパフォーマンスがしたくなり、さらに改造、美咲カーをパワーアップさせる


・破産カーニバルを挙行


・「お手を拝借!もういっちょ!」のカラオケ配信がスタート


・かねてから一番出たい雑誌であったメンズナックルとコラボ出来ることに。夢が叶う


・嬉しすぎて「お手を拝借!もういっちょ!メンズナックルバージョン」を制作


・ブログがオフィシャル化!芸能人ブログとなる


・まさかのロンドンハーツからオファーが!


・ロンドンハーツ特番「女性芸能人スポーツテスト」の収録に参加





うん


テンコ盛り!




下田美咲宣伝カーを作ったことで


今まで行けなかった場所まで行けるようになった!




とにかく大好きで


尊敬してるコール、感謝してるカラオケという分野で


「日本一」を頂けたり


日本代表の人に選ばれたことが


とても嬉しかった。





人生楽しくなってきた!って何度も思った。






23歳の下田美咲物語の登場人物となってくれた皆様


本当にありがとう。


おかげで


超――――――――――――――――


良い一年だったよ!