佐賀県唐津市で、令和5年度拉致問題を考える県民の集いが開催された。
「北朝鮮よ、姉 横田めぐみを帰せ!」を演題とし、家族会代表であり、横田めぐみさんの実の弟である、横田拓也さんのご講演。
冒頭に、幼少期のご家族の写真を掲示され、誰もが当たり前に過ごしている、何気ない幸せな日常が、いきなり奪われたこと。今もなお続いているご家族の苦悩を思わせていただくと、決して許されることではないこと。
講演の最後に、
もし、今帰ってきたら、まず「おかえり」よりも先に「ごめんね」と伝えるだろう、という横田さんのお言葉はあまりにも重たすぎる。
全国民が「もし自分の家族が拉致されたら」と我が事として捉えることで、拉致を絶対に許さないという覚悟で北朝鮮に対して訴えていかなければならない。
「北朝鮮よ、姉 横田めぐみを帰せ!」
講師:横田拓也(横田めぐみさんの弟)
(以下、講演メモ)
自分の家族に起こったらと考えてきいて欲しい。
住宅街。自宅から1分ほどのところで拉致された。通学路。
21年。日朝首脳会談から。
横田めぐみさん。いま59歳。
中学生の頃の顔しか思い出せない。
夢や記憶の中でしか会えないつらい日々を過ごしている。
3代目の家族会代表。先代はすでに他界。
家族会の会議で互選。
やえこ、たくや、というメモ。
飯塚繁雄さんのベットに。
初代は横田滋さんが10年間。
飯塚繁雄さんが2代目。14年間。最前線で声を上げた。
トランプ大統領が家族会と面会。飯塚さんが代表で。亡くなる数ヶ月前で、控室で横になっていた。毅然とした姿で面会した。
私が3代目。46年経過している。私が9歳の時に起きた事件。
9歳の子が最前線で声を上げるということ。
静かな怒り。
コロナで活動休止した。人権問題としての深刻さ国際に向けて。
日本国内で風化するのではないかという恐れが4年間あった。
ようやく再開された。GWで数年ぶりに訪米が叶った。
地獄絵図のような話。
13歳の少女が自宅付近で拉致。
白い車、40歳くらいの女性に声掛け事案。怖くて走り去った、その後にめぐみさんの拉致。
新潟県警の大規模捜査。
元工作員の証言。
めぐみさんは拉致されて船底。何時間もかけて北朝鮮へ。泣き叫んでいた。指先が血で染まっていた。13歳の少女、どれだけの絶望だったか、怖かったか。
皆さんの家族に置き換えて考えていただきたい。
なぜ拉致されたのか?それはわからない。
考えられる理由、、、
背乗り。日本人になりすます。他国に侵入するためになりすます。
職をもった人を人材活用することも否定できない。
日本語、日本文化を工作員に伝えるため。
結果的に何の罪もない人を拉致している。
日本には一番レベルの低い人が派遣される。海岸線が長いため監視が行き届かないから。
拉致の船。海上保安庁がかつて銃撃。自沈した船を展示している。ロケットランチャーなど。
日本は平和だが、近隣はこのような状況。
姉はひまわりのような姉だった。食卓の中心、友達の中心。新年強く前向き。
北朝鮮が自殺と言っているが到底考えられない。
当時こたつでテレビを見ていた。めぐみさんが帰ってこないので心配して外を見に行った。通学路で出会わないはずがない。海側にも行ったが帰ってこない。
3人で探した。
廃ホテルの中も。防風林の松林。
食卓の雰囲気ががらりと変わった。会話が一切なくなった。真っ黒な食卓。警察がきた。イタズラ電話、脅迫電話。警察の何十足の靴。
無言電話。
拉致被害のどの家族にも無言電話がかかっている。北朝鮮が気づいているか確認の電話をしているのではないか。
海岸沿いのカップルの車を見て回った。不信者扱いもされた。
それでも帰ってこない。朝起きてもめぐみさんは帰ってこない。心の整理が出来なかった。この1週間が一番辛かった。
父が犬を飼った。父が散歩ががりだった。毎日散歩。
どこかに姉の靴とか落ちないかと思っていると息子。父も「自分もそう思いながら歩いている」と。
当時のカメラは目が粗いのでよくわからない。新潟日報の本社で話してカメラマンに確認した。
自分の大切な家族がいなくなったら、探すでしょ。
遺体が上がったという警察からの電話。確認したら違う人。そういう連続。
当時政治は北朝鮮を丁寧に扱っていた。この時にもっと動けていたらまた違ったのではないか。
拉致対策本部は2006年9月に設置。何の事件でも初動が大事。政治の甘さが1番の原因。
1988年に拉致の疑い濃厚という国会答弁。しかし、報道もほぼ扱われなかった。見殺し、黙殺。
長くかかっている原因は報道にもある。
もし、拉致事件が起きてなければ、どれだけ社会貢献、自己実現できていたかと思う。
普段はサラリーマン。週末のみ。めぐみさんと同じ位の歳の人と仕事をする。
会社入って恋人できて結婚して、普通の姿があったのではと思う。
いつもダブらせる。こんな自由を北朝鮮に奪われた。
両親は決して取り乱さなかった。
一度風呂で泣いている父に遭遇。なぜこんな辛い思いをしないといけないのか。
1997年3月に家族会設立。拉致されて20年。当時はまだ拉致「疑惑」。まだ奇異な目で見られていた。
マスコミは有識者と真逆の主張をしていた。
私達の親世代。
街頭署名をずっとやっている。
当時は叩き落とす人、怒声をあげる人。
募金してくれる子供。
今は1700万筆。
両親は活動し続けた。
めぐみさんに会う前に倒れたら意味がない。
ただ、絶対後悔したくないから活動し続けるという意志。
国会で1997年1月に国会で横田めぐみさんが取り上げられるという話し。父親は実名公開すべきと主張。家族は反対。北朝鮮は証拠なくすために殺すのではないか。もう何の進展もない。実名ださなければだれも振り向いてくれない。
結果として、怒りのモチベーションが高まったが、本当に苦しい経過だった。
日朝首脳会談。拉致問題は知らないと言われ続けたが、初めて認めた。
2002年の頃。北朝鮮はリスク承知でなぜ認めたか?
当時のブッシュ大統領が、イランイラクを悪の枢軸。攻撃を回避するために拉致を認めた、日本からもお金を得るという政治的思惑ではないか。
4人生存8人死亡。8人の中に横田めぐみさんも。北朝鮮の秘密を知っているから?スパイの顔を知っているから?
北朝鮮はいかなる手を使っても生存してないという話し。2004年に遺骨を渡された。DNAが違うとわかった。
昨年2月。ロシアウクライナの現状。多くの人が家族を引き裂かれている。果たして遠い国の話なのか?
46年前に私は家族を引き裂かれた。人質外交している。許さない。
ブルーリボンでの意思表示は意味がある。助けたいという意思表示。
魚なら泳いで行きたい。
鳥ならば飛んで行きたい。
日本政府、北朝鮮政府に意思表示。
日朝首脳会談の後に5人のご家族が帰国した。
もしかしたらめぐみさんも帰還されるのではないかという期待。
現場には行ってないが、車を止めて泣いていた。
父は泣きながらカメラを撮っていた。
ミサイル、核開発、4〜8億円。軍事衛星が発射された。この費用を拉致被害者に使ってもらえたら。心を改めよ。
主権国家の日本から発信した問題。横田家の問題ではない。
トランプ大統領が拉致を知っていると発言。
この1週間前に訪米し補佐官に訴え、トランプ大統領に伝わった。
声を上げなければ負け。
会場にいたアメリカ人の言葉。
北朝鮮が一番悪い。ただ、この自由の国で何も声を上げないことは同じくらい罪深い。
金正恩には英断してほしい。日本と良識的な関係を築くべく。
キムジュエさん、自分の娘に注ぐ愛情とめぐみさん拉致被害者の家族が注いだ愛情は同じではないか。一国のリーダーとしてそれで良いのか。北朝鮮の幹部には伝わっているようだ。
わかってもらうためには日朝首脳会談が必要。求めるのは全拉致被害者の帰国。
北朝鮮は24時間監視社会。岸田総理に覚悟を持って。
そのような政治環境をつくることが大事。
私達は何をすべきか?
今の小中学生はリアルタイムで知らない。
なぜ、教えているのか、行間を伝えること。
政府のパンフレット。ネットでダウンロードできる。小学生が読んでもわかるパンフレット。いかに風化させないか、家族、職場同士で。
解決につながる原動力に。
私たちが持っているのは言葉の力のみ。民主主義の力を試されている。
母は88歳になる。他の家族も高齢に。
声を上げ続けること。
父は「日本はこれだけ豊かになったと、六本木に連れて行きたい」
母は、草原に寝そべって「やっと自由になったね」と話したい。
家族に、職場に語って広げていただきたい。
めぐみさんが帰ってきたら、「おかえりなさい、」よりも「ごめんね」の方が先。何もやってないわけではないが、何もできてない。
絶対にあきらめません。応援をよろしくお願いします。