【対馬研修2日目】
8月9日(木)

民宿前の川に元気よく魚が泳いでいる!
そんな自然を満喫しながら、ラジオ体操から朝礼へ。

体調が優れない子達が不思議と回復し、一時は帰宅させる事まで本気で考えた子もいましたが、全員で乗り切ることが出来ました。

いよいよ小学生は大船越小学校へ。
中学生は大船越中学校へ。
現地での平和学習に参加。長崎県内では、原爆を落とされたこの日は登校日であり、平和の尊さを学ぶ大変重要な日。

その中で、小学校は昨日練習した賀島兵介紙芝居を披露。昨日の練習の成果もあり、無事に終了。

賀島兵介公は、鳥栖では良い政治を行ってくれた副代官として知られているが、対馬では、殿様に提言したことから島流しに遭い、不遇の最期で終えたことから、対馬の三聖人と言われながらも評価が低い。この紙芝居をきっかけに、更に名誉が回復することを祈るばかり。

紙芝居発表後は、大船越小学校約70人全員と、ジャンケン列車で交流。「一つの花」という戦争アニメを鑑賞し、校長先生による講話。アニメの内容はともかく、校長先生から、平和の尊さを強く訴えら、数人の生徒から挙手にて感想が述べられました。

更には、平和の象徴「折鶴」を10グループに分かれて作り、楽しく交流しながら千羽鶴を作りました。

中学生は、大船越中学校にて、平和学習に参加。鳥栖の中学生もそれぞれ感想を述べさせていただきました。

あっという間の時間を終えて、全校生徒からお見送りいただく中、次の会場へ。

万関橋で記念撮影。ここは1900年に大日本帝国軍により対馬東海上に時間短縮のため開削され、日露戦争時には、ここを通って日本海海戦へと出撃していた。景色は圧巻。

そして昼食会場へ。対馬市の資料館横の市役所の部屋を借りる。
資料館には、「たしろ鎌」を見学。かつて対馬は農業が出来ず米が取れなかったので、鳥栖から輸送していた。その時代に、賀島兵介公などが、田代から農夫を連れてきて開拓させた経緯がある。この鎌も、おそらくその時に伝わったものではないかと言われている。

昼食後は「伊那」地区へ。ここは「賀島兵介 終焉の地」であり、記念碑が掲げられている。ここで、この歴史に詳しい現地の斎藤さんからの講話。このエリアは、全て地名か「米」に関わっており、永く歴史を辿れば、先祖は鳥栖にある人が多いというお話し。

更には奥に進み「田の浜」地区へ。ここは、賀島兵介公が、田代から、田代吉右衛門・伝右衛門の二人を連れてきて、沼地であった土地を整地し、米作りを始めたといわれる場所。ここでは、この2人の子孫である「乙成(おとなり)」姓が7軒、「米田」姓が2軒。前区長の米田さんからの講話。乙成さんのご先祖は田代の人。そして、彼らが対馬で活動するに移り住んだのが「米田」さんだと言われているそうだ。

また、この地に東京大学を出て、対馬で漁師として働く銭本さんから「何故対馬で漁業を始めたのか?」について講話。

山から一気に田んぼが広がり、すぐに海が広がる大自然を堪能することが出来ました。

今日の宿は、対馬少年自然の家。
夕食を済ませ、楽しみにしていた「サマーナイトフェスティバル」。

まずはクイズ大会。3つの班が、「対馬」「賀島兵介公」「鳥栖の明治維新」というテーマで事前に宿題として作り上げたクイズを出題。審査員に実行委員が入りましたが、これがなかなかレベルが高い。子供達が家族と一緒になって勉強しながら作ってくらたことが実感出来ました。ですので、回答者もレベルが高い。良い学習をしていただいたと思います。

クイズ大会の後は、実行委員が秘密で進めていた「肝試し」。泣き出して参加出来ない子もいる中、お化けや仕掛けも担当者により作り込まれ、叫び声や笑い声が施設内に大きく響き渡りました。

夜中は、子供達は疲れていたのか、例年よりも早く寝入ったようです。