クリスマスが終わってD500がようやく手元に戻ってきました。資金面での制約もあってなかなか修理に踏み切れなかったのもあり、実に3ヶ月弱の間入場させていました。年内に修理が完了したおかげで元日大樹に間に合ったのは有難かった。その前哨戦に、1年の撮り納めとなるTHE ROYAL EXPRESS四国クルーズの送り込み甲種を撮りに行きました。

 

既に卒論を書き終え、残されたいくつかの課題を出して卒業判定を待つのみとなっていた私は大きな解放感と共に冬休み最初の数日を過ごし、28日の夜に翌日の天気予報を最終チェック。晴れは間違いないとスペーシア甲種以来の浜名湖を目指す決断をしました。日中の東海道線を下る8863レだか9863レのスジはロケーションに恵まれており、複数ある定番アングルのうち遠すぎない距離と見栄えの良さを鑑み浜名湖にした次第です。

しかしスジが寝ている甲種輸送を1発だけ撮って終わるのは味気ないので、朝からバリ晴れという事もあり東海道線を代表する風景撮影地・黄瀬川橋梁の富士山バックを急遽組み込みました。

 

どうやら黄瀬川は小田急の始発に乗り、御殿場線に乗り換えて一駅行けば現マルせずとも撮影可能な模様。とはいえ古の有名撮影地なだけに混み具合は計り知れないため、物置に眠っている5段脚立を引っ張りだして未だ夜も明けぬ住宅街を歩いて中央林間から電車に乗り込みました。藤沢駅から熱海行に乗り換えるとネタ鉄の現場で見たことのある顔ぶれが数名。彼等が目指す駅も同じかもしれません。相模貨物で折り返し待ちのモノを確認し、熱海・沼津と乗り継いで大岡で下車。

撮影地まではそう遠くなく、明らかにそれとわかる徒歩鉄の流れに乗って川沿いの歩道に上がると、文字通り黒山の人だかりが現れました。

 

せせらぐ黄瀬川を跨ぐ東海道線の鉄橋の彼方には冬の朝日に照らされてエロく発色する富士山。それに向かって並び立つカメラの放列、飛び交うヲタクの談笑。ざっと200人は超えるであろう、久し振りに経験する大激パでした。富士山を画角のど真ん中に配置するベストポジションに近い立ち位置に行ってみると馴染みの面々が雛壇を組んでいます。私が土人活動に専念するあまり疎遠になっていた子とも再会し、彼等に混ぜて貰える事になりました。物置の奥から担ぎ込んだ5段脚立が功を奏し、問題なくポジショニングが成功。あとは黄瀬川の水面の揺らぎ次第で使うレンズが決まります。

黄瀬川の流れは穏やかなため、水面を入れて列車と富士山を反射させる事も可能なのですが、あいにく当日は風が強め。水鏡は時折見られましたがモノ通過直前になって波立ってしまったので反射は諦め富士山と列車をクローズアップ。通過時刻が迫ると、200人の群衆は一気に静まり返り、川の音だけがうるさく聞こえて来ます。やがてその静寂を破るようにEF65PF型が登場し、ロイヤルブルーの電車を従えて鉄橋に差し掛かるとシャッター音の嵐。過ぎ去る列車を見送ってモニターに視線を移すと理想的な画が出来上がっていました。

 

 

さて、ここからは再び長々と電車に揺られて西へ進みます。静岡貨物でバカ停するモノを追い抜き、浜名湖まで。

知り合いの大半は用宗~焼津の森バックに行くようなので、車で追っかけるか用宗駅で下車していきました。問題の区間に差し掛かるとこちらもクソデカ雛壇が構築されており、モノ通過まで時間あるのに車とか大丈夫なのかと心配になりましたが無事撮れたようです。

我々は新居町で下車し、海風が吹き付けるなか真っすぐ東へと歩いて西浜名橋に到着。先客の大半は一番神戸寄りの釜にキロポストが刺さるスパンに構えていました。というのも前進すると柵がめっちゃ高いので空中戦必至で、バリ鉄の皆さんは園芸脚立で構えていました。私もゲバを全開にしてセッティングし、黄瀬川で合流した知り合いを脚立にホモらせ、定時でやって来たロイヤル甲種を迎撃しました。

 

 

どこまでも青。これが撮りたかった。

 

飲まず食わずでここまで来たのでさすがに体力の限界。同行者と相談し、鷲津のすき家でお昼を食べて帰る事にしました。さわやか行ったら延々と待たされそうだし何より歩いていくのが面倒くさいので。そんな訳でヲタクの忘年会は牛丼でした。近くのスーパーでおやつを調達したりトイレ休憩したりとフレッシュになったら上り列車に乗り、浜松で蕎麦をすすったり持ってきたパソコンで年賀状のデザインを作ったりしながらゆっくり関東に帰りました。追っかけ勢が最後に向かった森岡陸橋や、浜名湖と天秤にかけて行かなかった三河大塚の大カーブもVでしたね。