今回は小説仕立てでお送りします。くさい文章に耐えられる方だけお付き合いのほどよろしくお願いします。

 

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関東最難関のカシオペア撮影地がついに晴れるかもしれない。2023年6月3日は各種予報サイトが台風一過のバリ晴れを予想し、これまでにない期待と緊張が走った。


宇都宮線蒲須坂~片岡間、栃木県さくら市と矢板市の境は上り列車の好撮影地であり、田園地帯の築堤の東側から上野行きの寝台特急を狙うアングルが全国に名を馳せていた。

しかし定期の寝台特急が全滅して以降は、午後が順光の線路西側が人気を集め始めた。一つは昔から有名な「カマスのお立ち台」、そしてもう一つ、夏光線の夕方だけに現れる下り列車の順光撮影地、いわゆる「逆カマス」だった。撮影対象は上野16時20分発の臨時夜行列車「カシオペア」。通過は18時以降で、日の長い時期でも日没が迫って低い位置から太陽が差す時間帯だ。この上ない好条件だが、その列車を青空の下で拝む事は途轍もなく難しい「鬼門」だった。

 

広大な平地の西側に位置し、北側に高い山々がそびえる栃木県北部は、日中に太平洋側から流れ込む湿気と偏西風が山頂付近でぶつかって渦を作り、発生した雲が午後の日差しを遮る性質を持っている。夏の夕方の蒲須坂は地平線に沸いた雲に阻まれ、晴れる事が滅多にないのである。

これまで数多の先人たちがハイリスクハイリターンの戦いに挑み、散っていった。ブログなどに公開されている過去の実績を見ても、1年に1回晴れれば御の字というレベル。晴れたとしても薄い雲が広がったりピンポイントで発生したチビ雲が太陽光線を弱めてしまう事もある。それでも我々は挑み続けた。いつか来るであろうこの地で「カシオペア」のバリ晴れカットを写せる日の為に。


「逆カマス」と私の因縁は今から4年前に始まった。

既に寝台特急としては引退し、団体ツアーの専用列車となった「カシオペア」はもっぱら上野から青森までの片道のみ営業運転していた。

青森まで行った列車は上野に回送されるが、撮りたいのはやはり寝台特急の威厳を今に伝えるヘッドマークを掲げた機関車が銀色に輝く12両編成の客車を牽引する姿であった。逆カマスは地元でそれが叶う絶好の場所だった。

 

初挑戦となった2019年5月25日、現地には昼過ぎから数人の撮影者が待機していた。まだ鬼門の洗礼を受けた事のない私もそれに混じって三脚を立てていた。日が傾いて徐々に光線状態も良好になり、これは期待できると思ったのも束の間、地平線ギリギリに立ち込めた雲の層に入った太陽は再び現れる事はなかった。定刻になるとEF81 81が牽引する「カシオペア紀行」が淡い残照に照らされながら通過した。鉄橋を渡って緩いアウトカーブの築堤を走る姿はカッコよかったが、あと一歩のところで無残にも敗北した悔しさはいつまでも残った。そしてこの年はついに晴れる事なくシーズン終了となった。


挑戦2年目は新型コロナウィルスの爆発的な感染により緊急事態宣言・外出自粛要請が発令され、旅行商品である「カシオペア紀行」も設定自体されない時期が長く続いた。9月11日にようやく走ったものの、既にカマスで夕陽を浴びる時期は過ぎていた。この年は勝負すらできなかった。


挑戦3年目はコロナによる規制が各方面で緩和され、年度初めから「カシオペア紀行」がほぼ毎週末運転されるようになった。

そしてすぐにチャンスがやって来た。2021年4月9日、この日WeatherNewsの1時間予報では矢板市の天気が良好だった。この日は本来なら撮影シーズン前だが、金曜日に発車するため平日ダイヤに対応した早スジでの運転だった。

当時のダイヤでは蒲須坂界隈を18時半に通過するのが通常のスジ(遅スジ)だったが、それとは別に白河までの区間が40分ほど早いスジもあった。これなら4月上旬でもカマスで日が当たるのである。

 

しかし私はその場に行く事は叶わなかった。大学の授業に出なければならず、終わった後から向かおうにも間に合わないからだ。

しかしSNSや撮影地で出会った私の知り合い数名が逆カマスに挑んでおり、その様子はLINEで教えてくれた。地元鉄を中心に十数名が集結し、面潰れながらもしっかりと車体側面に全開露出の光線が当たっていた。数年ぶりに逆カマスで勝ち星が上がった瞬間だ。それを私はスマホの画面越しに見る事しかできず、歯痒い思いをした。

当然このまま終われる筈がなく、自らの手で勝利を掴み取るべく晴れそうな日は必ず参戦するつもりでいたのだが、週末の蒲須坂界隈がスッキリ晴れ渡る事が一度もないまま2021年のシーズンが終わった。


そして挑戦4年目、JR東の機関車全廃がいよいよ近づき、カシオペアの存亡も危ぶまれる情勢となった2022年は撮影に一層力を入れた。

撮影の傍らインスタグラムに写真を投稿していると定期列車時代から精力的に撮影しているカシオペア真剣部の方々と知り合う事が出来、また年月を経て集まった多くの弟子と共に撮影する機会も増えた。カシオペア真剣部の方々とは逆カマスの難しさを分かち合い、弟子達は私と同じように果てしなき戦いに身を投じる事になった。

 

また、この年のダイヤ改正により「カシオペア紀行」の運転時刻に変化があった。宇都宮を17時42分着の44分発とそれまでより30分近く早くなったのだ。これはカシオペアが寝台特急として走っていた8009列車のスジを概ね踏襲しており、撮影シーズンが拡大し勝率が僅かながら上がった事を意味する。


そんな環境が出来上がっていた5月14日、千載一遇のチャンスが訪れる。

その日は終日曇り予報ではあったが、18時以降西側から晴れてくるらしかった。地元鉄でありカシオペア真剣部の1人でもあるゆーたろー氏が何年ぶりかの挑戦を敢行した。私や複数の知り合いもそれに続こうとしたが、如何せん晴れ予報でも晴れない場所である当地で無駄足を踏みたくないと思うようになっていた。

私は蒲須坂駅まで行ったものの上空に広がる灰色の雲を見て「どうせ無理だから」と参加を見送り、その日の列車は宇都宮駅停車中にスナップ撮影するにとどめた。

 

しかし私が宇都宮で列車を見送った20分後、ゆーたろー氏は奇跡を起こした

InstagramのDMに「勝ちました」と写真付きで報告が来て、私は愕然とした。

日没直前、分厚い雲の切れ目と地平線の僅かな隙間に太陽が差し込み、とんでもない劇的勝利を収めてしまったのだ。

初挑戦の日と同じEF81 81がエロ光に照らされて真っ赤に染まり、ヘッドマークまでしっかりと光が当たっている。私はその場に居なかった事を激しく後悔した。


だが、次のチャンスは意外にも早く巡って来た。6月25日、梅雨の最中でありながら栃木県上空は朝から晴れ渡り、夕方までそれが維持される事が見込まれた。

しかしこの日の牽引機は双頭連結器を装備した139号機で、カシオペアの先頭には似つかわしくないと思って撮りに行く事を一瞬ためらった。それでもやはり勝利を収めたい気持ちは変わらず、自然と足は逆カマスに向いていた。

 

現地にはすでに多くの鉄道ファンが集まっており、近隣の県はもちろん東海地方から遥々やって来た有名撮り鉄も居た。折しも長野県で「篠ノ井線120周年号」というイベント列車が走っていたので、それを撮ってから転戦して来たようだ。そしてもちろんカシオペア真剣部も居た。

彼等に混ざってポジショニングし、待ち時間は談笑して過ごす。終始和やかな雰囲気だったが、上空はそうではない。地平線近くに雲が現れては消え、最後まで油断できない天気になっていた。

そして18時5分、EF81 139が牽引する「カシオペア紀行」は定刻通りに通過した。太陽光は薄雲によって全開露出より2割ほど弱い力で差していた。手放しで喜ぶ事はできなかったが、晴れの逆カマスでカシオペアを撮る事に一応は成功したため撮影後に同行者と乾杯した。


これ以降はシーズン終了まで4回の運行が残されており、薄雲もない完璧なバリ晴れで優勝する事を目指して挑戦は続いた。8月に設定がないため7月29日発の青森行きがラストチャンスとなり、幸運な事に予報は晴れだった。牽引機は北斗星塗装のEF81 98。撮らない選択肢はなかった。逆カマスに着くとやはり雲が点在し、10分先行の黒磯行き普通列車まではなんとか日がもったが、その直後、大きな雲の中に隠れたっきり出て来なかった。光線がなくなって諦めムードの中カシオペア紀行は通過し、2022年シーズンは黒星で終わった。


ここまで戦績は1勝のみ。天気に恵まれず現地に赴く事すらしなかった回数が圧倒的に多く、撮影シーズン中ほぼ毎週末走っていても1度も晴れずに終わった年もあった。鬼門は圧倒的な存在感をもって常に我々の目の前に立ちはだかっていた。


しかし、諦めずに狙い続ければ勝てる時が来るという信念が私の心の中にはあった。ゆーたろー氏が負け戦で逆転勝ちしたように、たとえ上空に雲があっても何度負け続けても、必ず晴れる時が来ると信じていた。

そしてその瞬間に立ち会い、この手で最高の1枚を手にする事が出来れば、何物にも代えがたい快感がやって来る事を私は知っている。多くの先人が経験して来たように、私自身も様々な列車の撮影現場で味わってきたように、勝利の瞬間は何よりも素晴らしい。記録にも記憶にも残る、かけがえのない思い出になるのだ。


そして迎えた2023年。ダイヤ改正を経て3月末からカシオペア紀行の運行シーズンが始まった。折しも桜前線が栃木県に迫る時期でもあったため、その最初の運行と翌週の運行は桜の花と絡めて撮った。列車そのものが無くなってから後悔しないように、カシオペアの姿をなるべくカメラに収めるようにしたのだ。そして逆カマスの戦いは夕日が地平線ギリギリから照らすようになる4月28日から開幕し、さっそく晴れベースの予報が2週連続で出たものの、どちらもあっけなく曇られて負けた。

 

春は移動性高気圧と低気圧が交互にやって来る周期変化の時期だ。皮肉にも週の中盤に天気のピークが訪れ週末にかけて崩れていくサイクルが出来上がり、晴れ予報すら出ないまま1ヶ月が経過した。こうなっては勝負にすらならず、その間は風景写真でお茶を濁していた。このまま梅雨入りして1勝もできずに折り返してしまいそうだ、と地元鉄やカシオペア真剣部の間には焦りが見え始めた。


そんな中、台風2号がやって来た。週の後半にかけて本州の南岸を進み、嵐を巻き起こしながら関東に近づいて来る。予想進路と気圧配置を見た時、私の目には一筋の光が見えた。台風一過だ。台風が金曜日の午後から土曜日の未明にかけて関東地方に最接近するならば、そのあとはほぼ丸一日抜けの良いバリ晴れが訪れる。台風が上空の湿った空気を全て持って行ってくれるから、法則通りの雲も沸きにくい。これは千載一遇の好機だと、我々は再び逆カマスに集う約束をした。

 

金曜日の夕方、私は授業に出てから栃木に向かった。

雨が降りしきる中4段伸縮脚立とハスキー5段三脚を担いで傘をさして歩くのは一種の拷問である。それでも翌日に逆カマスで優勝するためなら耐えられた。

午後の東京は台風の中心にかなり近く、風が吹き荒れていた。これから夜にかけて雨も強まるため、安全に帰れるうちに帰る必要があった。新宿のホームで強風に脚立が倒されないようにしっかり押さえながら湘南新宿ラインを待ち、なんとか定時でやって来た電車に乗り込んで宇都宮に着いた。ダイヤは乱れ始めていたがカシオペア紀行が走る翌日の夕方にまで響く問題は起こらないはずだ。明日の昼過ぎはどの予報サイトを見てもバリ晴れ確定演出で、今シーズン最大のチャンスがやって来ていると誰もが感じていた。

私の知り合いも次々と参加を表明し、カシオペア真剣部の方々も合わせて大賑わいになる事が予想された。彼等と共に雛壇を組んで鬼門に挑むのだ。胸の高鳴りを感じつつ、万全の状態で活動できるよう就寝した。


当日は7時前に起床した。予報通りまだ雨が降っていたが、徐々に弱まり8時頃には完全に止んでいた。家の軽トラに機材を積み込んでいると雲の隙間から日差しが降り注ぎ、たちまち気温が上昇、暑くて熱い一日が始まった。

 

SL大樹を撮ってから昼過ぎに現地に到着すると、すでに数人の撮影者が集まっていた。逆カマスの陣を張る場所には見慣れた顔ぶれが揃っており、私は挨拶をして仲間に加わった。

前回撮ってから1ヶ月近く、断続的に雨が降ったため線路際の草を心配していたが、弟子のゆうや君とりょう君そしてゆーたろー氏が全て一掃してくれていた。立ち位置を確約させたら昼食のため一旦離脱し、午後のSL大樹も撮って日が傾き始めた頃に再び蒲須坂に向かった。

既に私の知り合いが何人もゆーたろー氏達に合流し、現場の状況を知らせてくれた。既に雛壇が出来上がり、立ち位置近くの駐車スペースも満車に近い状態だという。安全にアプローチできるように午前中の立ち位置である線路東側に駐車し、鉄橋をくぐって徒歩で何度目かの逆カマスに参戦した。

 

正面から雛壇を拝むとそれは壮観だった。その多くは私にように何度も鬼門にはじき返されてきたこの地の恐ろしさを知る者たちだ。この日ばかりは、と予報を見て一世一代の大勝負を挑みに来たのである。逆カマスは、かつてないほどの熱気に包まれていた。これだけの人数が集まるのは初めてではないだろうか。それだけこの日が特別な日なのだ。地元鉄やカシオペア真剣部だけではなく、全国を飛び回ってネタ列車を追い回すバリ鉄の面々も集まっている。撮り鉄の最前線から退いたためにしばらく会っていなかった古い友人もいる。この場所は、こんなにも多くの人たちが夢見る場所だったのか。


ハスキー5段を脚立のジャングルジムにねじ込み、雛壇の一部になる。高さのある築堤を見上げるように構えるため、脚立を駆使して高い目線でカメラを並べる様はさながら空中戦。理想的な構図が組めたら脚立を降りて同業者と談笑して待ち時間を過ごし、雲の動きに神経を尖らせた。今こんなに晴れていても30分後、1時間後にはわからないのがこの場所だ。上空の風が強いため、雲は次々と流れ空は刻々と色を変えていく。

 

17時前に上りの貨物列車が通過し、コンテナの後ろにも日が回った事を確認した。下りの順光時間帯が始まった。

夕焼けが始まり、少しずつ赤みを増していった。黒磯行き普通列車が1本やって来る。シャッターを切り、露出と構図を見る。すでに充分すぎるほどのエロ光に期待は高まるばかりだ。まだ30分、ここから更に太陽は低くなり光線も良くなっていく。

 

西の空を見る。ギラギラ照りつける西日の周りにはやはり雲が点在している。この雲に今まで何度もやられてきた。もしまた負けたら、誰もが一抹の不安を感じながら、それでも晴れる事を信じてその時を待った。

 

17時58分、カシオペア紀行に先行する黒磯行き普通列車が通過した。全開露出の低光線、完璧な条件だ。あと10分以内に全てが決する。

 

しかし、あろうことか普通列車が通過した直後、太陽は突如発生した雲に遮られた。

あちこちからため息が漏れるが、それでも我々は諦めなかった。上空の風は強い。雲は北西に落ちていく太陽とは逆の動きをしている。まだ5分ある、絶対晴れるんだ、全員で優勝するんだ、だから信じよう。最後は気持ちだった。


18時3分、ついにその時が来た。上空の風に吹かれ、薄雲がちぎれて消えていく。雲の下から現れた太陽は、光芒を従えて西の地平線近くから線路を眩しく照らす。誰かが携帯する無線機から「下り接近」とTC列警の自動音声が流れた。西の空には太陽を遮る雲は無く、あとは役者の登場を待ってシャッターを切るのみとなった。

 


鉄橋の向こうの蒲須坂踏切が鳴った。

 

来る。

 

無線の電源が切られると辺りは静寂に包まれた。

カーブの向こうに1対の前照灯が見え、すぐにローズピンクに身を包んだ前面とその中心で存在感を放つ紫色のヘッドマークが視界に入った。

 

EF81 81。既に南から上がっていた目撃情報で把握していたが、4年前に初めてこの地を踏むと同時に鬼門の洗礼を受けたあの日のカシオペア紀行を牽引していた機関車であり、1年と半月前に大敗北を喫したあの日のカシオペア紀行を牽引していた機関車でもある。今日という日に同じ機関車でリベンジが出来る事が嬉しかった。

 

リズミカルなジョイント音を奏でながら荒川橋梁を渡り、築堤に姿を現した。

緩いカーブを曲がって銀色の飾り帯が輝き、機関車のすぐ後ろに繋がれたラウンジカーの曲線的な窓が強烈なギラリを放つ。

EF81の正面と背景の木が重なる理想的なタイミングでシャッターを切ると、目の前で野太いモーター音を響かせ、12両編成の重厚なE26系客車を従えて、青森に向けて颯爽と駆け抜けていった。


その瞬間、雛壇全体が歓声を上げた。

誰も彼もが待ち望んでいた瞬間、その最高の瞬間に我々は立ち会ったのだ。まるで天国にいるかのような心地よさが全身を満たした。

 

雛壇の至る所から拍手と雄叫びが飛び出し、やがてそれは撮影地全体を包み込んだ。

私もその中の一部になってあらん限りの声を上げて発狂していた。周囲に何もないだだっ広い空間の片隅で、近所迷惑を憚る事もなく、声を張り上げて喜びを爆発させていた。

 

カメラのモニターには、一点の曇りもない圧倒的な光線量を浴びて輝くカシオペアの編成写真が映し出されていた。4年間狙い続けた憧れのショットである。

 

そしてこれを共に仕留めた同志たちに祝福の言葉を送った。

 

幾度となく負け続け、それでも諦めずに挑戦して来た地元鉄の仲間たちに。

この地での勝利を求めて遠路はるばるやって来たカシオペア真剣部の方々に。

朝から現地に張り込んで舞台を整えてくれたゆーたろー氏に。

 

心からの「おめでとう」を。

 

 

あれから早くも2ヶ月が経つ。

太陽は冬至に向かって次第に低くなり、日没も早まっている。もう逆カマスの撮影シーズンは終わる。そして同時に、我々の長きにわたる挑戦も幕を閉じる。

 

あれ以来も何度かチャンスは訪れたものの、理想的な晴天の下でカシオペア紀行を拝む事は出来ていない。あの日こそが今年一番の好条件であり、あの時あの場所に居た我々だけが、まさに完璧で究極のVカットをものにしたのである。

 

JR東の機関車全廃というタイムリミットが目前に迫る中、果たしてカシオペアはあとどれぐらい走ってくれるだろうか。現在のカシオペアの立ち位置が一般の旅客列車でない以上、公式発表はない。あと1年、最後の夏も再びその姿を拝める確証はない。走ったとしても、鬼門が再び開かれそこから太陽を拝めるかどうかは本当にわからない。

だが少なくとも私は、もう後悔する事はないだろう。あの時撮れた写真が、逆カマスで最後の勝利にもなり得るからだ。栃木に生きる撮り鉄としてこの素晴らしい戦いに挑めた事は、生涯の財産になるだろう。