GWが終わって大樹がひと段落したのでJRで日常鉄をしました。日光線には9日から日光へ修学旅行に来る南関東の小学生を乗せた集約臨時列車が走り始めています。車両はE257系の臨時列車用の9両編成。年齢一桁の頃から183系、189系、185系と変遷して2019年から中央線から退いたE257系松本車(0番代)が使われ始め、それが大宮に転属、大半は185系を置き換える形で踊り子用に改造され(2000番代)残った2編成が波動輸送に対応する臨時車両(5000番代)として活躍しています。また千葉支社向けの5両編成(500番代)の一部が踊り子用(2500番代)と波動輸送用(5500番代)に改造され、後者が日光集約臨として走る事もあります。

特徴は現在の185系と同じ緑色の塗装。最初は烏山線のキハ40にも見えて懐かしく感じました。日光の杉並木と良い感じにマッチしそうな塗装なので地元ネタとしては格好の被写体です。

 

朝は布団の中で過ごし、12時前に出庫。文挟でE257系大好きクラブの宮ミヤと合流し、駅南側の杉並木で往路を狙います。文挟界隈には例幣使街道の杉並木に沿って走る日光線を撮れる場所が点在しており、日光線を象徴する沿線風景の一つになっています。

 

 

実際は杉よりも雑木が多く写っています。草が伸びまくってケツが見えなくなってるな…森のトンネルという言葉がピッタリです。てか回送だし英字幕やないか

 

この後は大樹5号に転戦しようかとも思いましたが、宮ミヤが復路も撮るというのでせっかくだから付き合うことにしました。

上り列車も杉並木構図で撮ります。こちらは定番の日光街道踏切(なお線路が跨いでいるのは日光街道ではなく例幣使街道)。今市駅の手前で杉並木を横切るこの場所は全国区の有名撮影地です。定番なだけに色々な人が撮っていますが、個人的な最適解はプロカメラマンの中井精也氏が撮った立ち位置だと思っています。踏切から例幣使街道を鹿沼方面に200mほど後退し、黄金分割の右下エリアに列車を配置、標準から中望遠で構えると杉並木の奥行き・大木の貫禄・列車の存在感の3要素が上手くかみ合います。おそらく初見でこれを導き出した中井先生は流石ですね。

そしてこの撮影地において最大の障壁となるのは車。バイパスが整備されているものの幹線道路であり主要な生活道路でもある例幣使街道は、一日を通してまあまあの交通量です。踏切が閉まっていざ構えたら、後方から走って来た車がそのまま踏切で止まり爆死したケースは山ほどあります。あと狭い隙間を横切る列車を仕留めるためシャッターチャンスもごくわずかです。今回は無事撮れるでしょうか、通過するその瞬間まで気が抜けません。

 

 

勝利!!!!!

松本車だったら武田菱が良いアクセントになったからもっと撮りたかったな…ちなみにここで検測車(キヤE193系)を撮ると赤帯が目立って激Vでした。

 

この後は東へ車を走らせ宇都宮線の撮影地を巡回。草の成長で撮れなくなるといけないので、行ける時に行ってお手入れをします。何ヶ所か回りながら南下し、651系廃回を撮った中阿久津に到着。ゆーたろー氏がここでカシオペアを撮りたいというので東京寄りのジャングルを一掃します。651系廃回は釜込み8両ですがカシオぺアは13両もあるので更に広い範囲を写す必要がありますからね。


3人で1時間ぐらいかけて作業を終えて立ち位置に脚立を立てたものの、撮影地に向かう途中に素晴らしい麦畑が広がっているのを見つけてしまったのでそちらがどうも気になってしまい、ゆーたろー氏にベスポジを譲ってモノ通過10分前にショバ変。一面の麦、そして宇都宮方面には段々畑になっているVな風景。しかし背景には鉄塔が林立し、ここでの撮影を想定していなかったため線路際には雑草がチラホラ。想像以上にハードルが高く立ち位置を迷走し、雑草を誤魔化しつつ麦畑を広々と入れる50mmアングルで、鉄塔は中途半端に切ってもかえって悪目立ちしそうなので敢えて風景の一部として全て画角に取り込みました。

三脚でアングルを固定して置きピンして設定をいじって撮る態勢になった時には通過時刻になっていました。


うーん段々畑をもっと主張させたかった、もっと寄って少し圧縮が正解だろうかって感じ。なんならドローン俯瞰したい。そして何より晴れろ(晴れてたらカマス行ってますが)。

収穫間近ですが、次回以降リベンジしたいと思いながら帰宅しました。