岸和田天神宮へ、月限定の御朱印頂きに行く
ここ2年ぐらい前からか、御朱印に力入れる様になった岸和田天神宮。そんな話を日部神社で話してたら、神職さん曰く、娘さんが帰って来たからと言ってたけど、どうなんだろう?最近、良く神社や寺で色んな話をする機会が増える。おそらく誰でも使えるフリー素材利用し作ってるんだろうな月限定御朱印、社務所の前を通り目にするも…自分は、なんかなぁと頂かなかった。それが今回の話です。梅田へ行ってる時に同級生から電話。 やっと繋がって要件聞けば何やそれって言う話を前回書きました。答えは、防災訓練です。あれこれ電話で話してた断片の記憶が10時かも、知れない。10時って可笑しいなと感じたけど、自分が行くとよと言うたから行けば、やっぱり時間間違ってた(笑)まぁ、強制じゃないし、遅れてでも来たと思われたんで結果オーライか。防災訓練から帰って来たのがお昼前。行こう思うとこないんだけど、ダラダラ過ごすのも勿体ないって事で…岸和田天神宮へ、月限定御朱印頂きに行く。初めて御朱印頂きブログにしてから、まぁ、しょっちゅう話にするので書く話がない。だけど、御朱印頂いたんで…何時もとは、ちょっと違う写真から。岸和田駅から左手を見たら、遠目に鳥居が見える。駅近なとこに鎮座する岸和田天神宮。岸和田天神宮の由緒は…正平十七年( 1362 )、泉州沼村の村長だった沼間将監と言う孝心の厚い人が父親の病気平癒の為に、山城國は八坂神社に祈願した所、無事願いが叶った。その御神徳を村人へ告げ、邸内であった( 現在地 )とこに社殿造営し、八坂神社で祀る速須佐之男の御分霊勧請したのが始まりと言う。手水舎ならぬ、金魚鉢も久し振りに覗いたけど健在だった。覗いた時に見ればプカプカ浮いてる。あぁ、お亡くなりになったんだねと定期的に入れ替えられてんじゃない?そもそも天満宮じゃないの言うのは、上記の話がなのと…私人が祀ってた菅原道真公を合祀。近代社格制度における神社調査では、元々社名が天神宮であった事から、主祭神を誤認したんだそうな。菅原神社の名称で届け出を行ったので以後この名が定着する。昭和57年、御鎮座六百二十年を機に現在の社殿を造営し名称を元へ戻し、岸和田天神宮と改称した。岸和田天神戎神社。御祭神の事代主命は、今宮戎から勧請したと言われてる。朱色の鳥居が、お稲荷さんあるし、 そうなのかな思ってるんだけど毎回来て思う為岩大神ってのが良く分からない。梅の花が、もう咲いてた。頂いた、月限定御朱印。通常意外に御祭神の御朱印が出始めた頃。こう言うのが出るも、今思うと頂けば良かったんだけど…あの時はパッとせんなぁと頂かず、あとで後悔する。最初に書いた通りネットの使えるフリー素材使って作ってるんだろうな、今や4種類の月限定御朱印を出す。初めて1枚頂いた。