序 『リハビリとらう"』

ノイズが厄介なのだ。

人間関係、将来の不安や妄想、はたまた過去のトラウマに虚無感、孤独感などなどが脳内をめぐる。

そのノイズを運動や酒などの快楽で自分を表面的に痛めつけてごまかしているにすぎないのではないだろうか。
それはつまり、常時内面的な苦痛を持って生きていることになる。
だから生きているだけでしんどいのだ。
そういう性質なのだ。
他の人は知らない、少なくとも僕は。

音楽を作る、絵を描く、文章を書く。
ツールはなんでもいい。
創作するということは、その苦しみのノイズと向き合うことでありそこから意識的、もしくは無意識的に単純な言語で表現しきれない感情や価値観、アイデンティティを自己の外に放つことでノイズの正体を受け入れて治癒していくプロセスであるような気がする。

この長い長いリハビリのようなプロセスが終わり完治するときはいつか来るのだろうか?
きっとこないのだろう。
けれども創作しているときや、それを見たり聴いたりしているときは不思議となにか救われている
例のノイズが軽くなっていると思う。

そう考えると創作というプロセス自体が自らにとって終わりのない救いなのかもしれない。

僕は僕のために音楽を作っている。
誰かのためになんて余裕は無い。
けれどひとりだけの世界に閉じ込めてそれでおしまいではあまりにも寂しい。

誰かに聴いてほしい。
浅くではなく、どこかの知らない誰かでもいいから
深くわかってほしいのだ。
わがままだけど。
せっかく独りぼっち、この世に生まれ落ちてきたのだから。

技術や知識は多分に乏しく拙さのある曲たちだけど
100人か200人にひとりかふたりくらい真に深く共鳴してくれるのではと思ったりしている。
もし、同じようにノイズに苦しんでいる人に届いて少しでも心が楽になってもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。

そんな妄想もしたり…。

〜原田しん之すけ〜