24時間TVを観て思う事 | 清水美也子のオフィシャルブログ

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毎年24時間TVを観ると怒りが込み上げて来ます。
この番組が集める募金や影響力の大きさを考えるとなおさらです。

私は中学生で入院した病院(大阪日赤病院 大手前整枝学園)には
本当にたくさんの肢体不自由児が入院していました。

そこでは重度の障害から軽度の障害まで
様々な児童(幼児~20歳前後)が共同生活を送る病院でした。

私のように足の手術の為の一時的な治療目的の子供も居れば、
生活訓練の為の長期入院、または入退院を繰り返す子供など
状況は様々でした。

私はそこに入院した事で障害者の実際の生活・苦悩を感じ、
また様々な障害児を抱える親の姿を見て来ました。

24時間TVが取り上げるのは本当に極端な障害者の方が多く、
私達の身近にいる症例の方の内容は極めて少なく感じます。
障害者と言っても、障害の程度は様々で、
同じ病気でも一人一人症状はかなり違います。

TVで紹介するには極端な方がドラマになり見せ場があると言う
制作側の安易な考えが丸見えだから腹が立つのです!!
言葉悪く言えば『お涙頂戴物語』として現実を知らない人々の
同情を引いて募金を集めているように見えてしまうのです。

この番組の全てを否定しているのではありません。
現実・事実をありのままに放送しない事に
異議を唱えたいのです。

日本は人と違う事を極端なまでに意識させます。
みんなと同じである事が良い・・・と言った考え方です。

海外は陸続きに他国があり、言葉・髪の色・瞳の色・肌の色が違う人達が
共に同じ国民として住んでいるから同じではない事が当たり前なのです。

せっかく24時間TVを毎年放送し、その影響力も大きいのだから
もっと本質を、もっと意義のある内容で放送して欲しいと思います。

中途半端なお笑いや貧困の海外ドキュメントでは無くて
国内の障害者施設の実態や実情
世の中にはどのような病気や障害があるのか?
福祉が充実している国ではどんな取り組がおこなわれているのか?
など、私達が障害を持つ方とコミットして生活出来るような内容を
放送して欲しいと思います。

そして重度の障害の方を支援して夢や希望を叶える事も大切だと
思いますが、本当に苦労しているのはパッと見た感じでは
障害を持っているとは分からなかったり、
軽度から中程度の障害を持っている方や、その親御さんだと思います。

あきらかな障害や病気の場合は出来る事、出来ない事が
はっきりしている場合が多く、周りの方もお手伝いがしやすい場合も
多いと思います。

私が一緒に生活をしてきた方の多くは手や足の一部に障害があるだけ
だったり、知能は正常だけど重度では無く
見た目には分かりにくいが故に思うどおりに身体が動かない、
それ故に周りもどう扱ってよいか分らず
自分で出来ないと判断してしまって
諦めて気持ちの持って行き場が無く
非行に走ってしまう子供もいるのです。

そして障害を持つ子供を受け入れられず家庭が壊れてしまう
そう言ったケースも見て来ました。

障害を持った方も堂々と
“出来ない事は出来ない、だけどこれは出来る”
と言って社会に溶け込んでいかなければいけないし、
受け入れる側の社会も障害を持った方を特別視するのではなく
それぞれの特性を生かせるような環境整備・心構えを持つ事

海外の様に障害を持った方も生きやすい社会になると思います。

日本は先進国でありながら、肝心な事はとても先進国とは
思えないほど遅れていると思います。

TVの影響は大きいからこそ本当に役立てるような内容で
放送して欲しいと思います。

1年に1度だからこそ本当に考える、見直す為の番組にして欲しいです。
パーソナリティーに有名人を使うのもよいですが、
この募金がどのように使われ、活かされているかも
毎年報告するべきで、今何がどれだけ必要か
もっとアピールすべきではないでしょうか?

24時間TVはキレイ事では語れない内容を扱う番組だからこそ
もっと本質を、真実を見せる番組にして欲しいと思います。
そして世間に問いかけて欲しいです。

そして障害を持つ方にも
障害を持っている事は辛い事が多いかもしれない、
悲しい思いをする事も他より多いかもしれませんが、
卑下して、誰かが手を差し伸べてくれるのを
当たり前ではなく、やはり感謝し、困っている時は
自ら“助けて下さい”と言えるようにならなければ
社会は変わらないと思います。

私自身は障害者とは言えない程度の病気ではありますが、
やはり障害者手帳を持っています。

1年間だけですが入院中は院内学校(養護学校)にも通いました。
松葉杖を使いながら友達の手助けなくては学校生活が
送れなかった時期もありました。
足のせいにして諦めかけた事もたくさんありますが
私自身がヤル気を持ち続け、諦めなかったからこそ
今があります。

健常者と言う言葉は嫌いですが、
健常者と障害者の狭間の私だからこそ感じる事があるから
これからも障害を持つ方の社会への自ら適合しようとする姿勢を
持って欲しい、
そして受け入れる側のあり方・受け入れ方も問うて行きたいと思います。

miyako