皆さんおはようございます☺️
3月11日、ちょうどあの東日本大震災から9年の月日が経ちました。
忘れてはいけない震災、多くのことを教えられた震災。 そのことを忘れないために、自分も今日はこころ穏やかに、発生時間の2字46分には、黙祷をしたいと思っています。
 皆さんは、あの震災のときは、なにをされていましたか?
仕事に行っていた方、ご自宅にいらした方。 いろいろな方がいらっしゃるんでしょうねー。
 自分はあの日、ちょうど会議に出かけていました。
当時も、群馬県の視覚障害者協会の会議に出かけていて、たまたま帰ってきた ほんの数十分後のできごとでした。
初めは、なにが起きたのかわからずただただ沈黙するばかり。 家のあちらこちらから物音が聞こえ、茶碗などの陶器がいくつか落ちました。
その後、テレビをつけると東北の方で地震が起きているという知らせ。
東北に住んでいる知人に電話をするも、電話が繋がりません。
というか、その当時、関東方面の電話もつながりませんでした。
 今は、LINEがあるから回線の混み具合等も以前よりは減りましたが、その当時はまだLINEが普及しておらず、電話かメール、Twitterが主な連絡手段でした。
心配になった自分は、仕事先の父親にメールを打ちましたが、やはり送信失敗。 たまたま家にいた母と妹で、大丈夫かねと話していたのです。
無事に父とも連絡がとれたのは、そこから1時間ほど経ったあと。
テレビでは、津波がきている、早く逃げるようにという警戒放送。
東北のことではありましたが、心臓がどきどきしていた自分がそこにはいました。
 そこから、関東にも余震が何度となく襲い、自分はその日とその翌日は、眠れない日を過ごしました。
 こちら群馬でも、家が倒壊したり、瓦が落ちておなくなりになられた方がいらっしゃいますし、なんといっても東北の皆さんのことを思うと胸が張り裂けそうなくらいです。
 そして、もう一つ忘れられないことを書きたいと思います。
それから3日くらい経った頃でしょうか、だんだんと電話が復旧し、次から次へと東北の友人・知人に電話をかけていたときのこと。
一人の視覚障害を持つ60代の女性の電話が繋がらないのです。
その方の住まいは、宮城県。 そのなかでも、特に被害が大きかった地域。
そんなこともあり、心配していた自分の予感は的中してしまいました。
 その方の親戚と連絡がついたのは、震災発生後5日くらい経った頃でしょうか。
携帯電話の着信履歴を見て、こちらに連絡をくれたのです。
第一声は、「ごめんよー。 なくなっちまってねー」。
覚悟はしていましたが、聞いた瞬間は自分の胸が締め付けられる思いがしました。
その女性は、一人暮らし。 カラオケが大好き、パソコンでいろいろなことをする、本当にアクティブな女性でした。
震災の日、1度目の揺れで家が倒壊し、家の下敷きになってしまったということ。 もともと近所からもおとの付き合いもあり、すぐすぐ逃げれば助かったのに… そう思うと、涙が止まりませんでした。
 自分たち視覚障害者は、いつ災害が起きても、なかなか一人で行動することはできないのが現状です。
そこを助けていただくのは、やはり周りの人なんですね。
もちろん自分たちも 「あんたたちが助けてくれなきゃ生きられない」とは思いませんし、当たり前とも思っていないんです。
ただ、いざというときのために、自分たちのことも、心の片隅に置いておいてほしいなー、忘れずにいてほしいかなー。 そんな風に思うのです。
隣近所との関係が薄れていくなか、こういうつながりというのが 災害のときに試されるんだなー。 そんな風に思った震災。
自分もものすごく勉強させてもらったし、これからも受け継いでいけたらと思っています。
 改めてにはなりますが、東日本大震災でおなくなりになられた皆さんに心からお悔やみ申し上げます、そしてまだまだ頑張っていらっしゃる皆さん。 いつかくる春を信じて☺️ もう少しです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました☺️